今日の画像は『奥穂高への道354』、誉の女優『吉行和子さん、岸田今日子さん、富士真奈美さんと』。そして、『冬の比治山』です。比治山神社が存在感を示す以外、なーんにもありません。比治山といっても、標高は71mの小山。ただただ散歩歩きにすぎません。

         <朝日がザイテングラードを照らす>




















































 

■■■やや物憂い表情、哀愁を帯びた顔、知的な香りがするセンス。私はこの『吉行和子さん』のファンだ。母『あぐり』のテレビ小説では活躍の場がなかったが、なんのその。そして年の離れた兄、吉行準之助と。和子は30歳代まで『ぜんそく』で大変悩まされたそうだが、その苦悩をはじき飛ばしての活躍に喝采である。

■■劇団民藝にいた頃、全く同じ生年月日の女優がいた。いつもテキパキとして弁も立つ彼女と私は全く違うのに、それでいて気が合った。その後、彼女は劇作家の清水邦夫さんと結婚して『木冬社』を立ち上げる。私は1980年から数年間、木冬社と清水さんの作品に出た。どれもたまらなく面白かった。

80年の『あの、愛の一群たち』という芝居では、私は精神科の病院を抜け出してきた女の役。岸田今日子さんが私の姉で、松本典子さんが演じる中年女性も巻き込まれ、3人の掛け合いが面白くて客席は笑いの連続だった。翌年には清水さんは再びこの3人を中心に『あらかじめ失われた恋人たちよ 劇篇』を書いた。

この2本の芝居から少し経って、岸田さんから『人生観を変えてみませんか』と電話が掛かってきた。『変えてみたいです』と即答。インド旅行への誘いだった。後で聞くと、皆に断られて、私なら乗ってくるのではと思ったのだと言う。

とはいえ、2人ともインドのことは何も知らない。岸田さんの友人でインド文化研究者の山際素男さんが、心配して付いてきてくださった。そして、84年暮れからの旅のてんまつを『脳みそカレー味』という楽しい本にまとめてくださった。

そこから岸田さんと旅行するようになり、やがて岸田さんの友人の富士真奈美さんも加わって、3人の旅が始まった。はじめはスペインで、全員が1カ所ずつ選んで、マドリード、バルセロナ、マジョルカ島を巡った。

親友同士でも、旅先で険悪になることはある。けれどこの3人の旅は、まるで性格が違うが故に、うまくいった。『私のことを分かってくれるはず』という期待はせず、相手を面白がり、興味を持つことが出来た。

その後、この旅はテレビ番組にもなった。台本もなく、自由にさせてもらった。趣味がバラバラだから、洋服がカブることもない。基本的に、私は時間厳守でせかっかち、岸田さんは泰然自若、富士さんは大荷物で、カバン一つが全部化粧品だったりした。『何なのそれ』としょっちゅう笑い合った。私達の旅は、中高年の旅行ブームを盛り上げることに一役かったという。

台湾やタイ、オーストラリアなどに出かけた。オーストラリアのエアーズロックでは、男性の背中につかまって、嬌声をあげながらオートバイに乗った。私達の好みの男性を連れてきてもらえると聞いたので、皆、トラボルタ、バンデランス、ジャッキー・チェンなどと張り切ってリクエストしたのだが、やって来たんのはどれが誰やら分からないお兄さん達だった。

岸田さんは『私が一番長生きするわ』と言っていた。5歳下の私も、その3歳下の富士さんもそう思っていた。けれど、妹の甲状腺がんが見つかったのと同じ頃の、2005年の暮れのこと。仲間の集まりで、岸田さんと私が交互に詩を朗読した時、途中から、彼女の口から言葉が出なくなった。

脳腫瘍だった。それでも、年明けには電話で話して、自分も体調が悪いのに、母と妹を看病する私に『芝居の代役をやってもいいわよ』などと気遣ってくれた。けれど、理恵と同じ06年に逝ってしまった。理恵が5月4日、岸田さんが12月17日である。


■■オスカー女優ヘレン・ミレン『世界を変えようとする若者を称賛したい』>『クィーン』(2006年)でエリザベス女王を演じアカデミー主演女優賞を獲得、世界に名を馳せたヘレン・ミレン(76)。新作『ゴヤの名画と優しい泥棒』では、女王とは対照的な、英国ニューカッスルなまりも強い労働者階級の妻を演じる。英国が誇る名優として愛されるヘレン・ミレン。新作では頑固だが優しい夫ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)の愛妻ドロシー役だ。

物語の始まりは1961年のロンドン。ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画『ウェリントン公爵』が盗まれる。この大事件の犯人は、60歳のタクシー運転手ケンプトンだった。絵画を盗むことで高齢者の公共放送(BBC)の受信料の無料化を主張したのだ。逮捕され、裁判で有罪を言い渡されるはずだったのだが……。驚きの結末を迎えるこのストーリーは、実話に基づいている。

──この事件について知っていましたか?
『実は知らなかったの。この事件が起こった当時、私は16~17歳だったはず。正直なところ、若いころは新聞も読まなかった。40代くらいになるまで、自分の人生を生きるのに目いっぱいだった。だから、脚本を読むまでこの事件を全く知らなかった。最初読んだときはフィクションかと思ったの。ところが実際に起こったことだった。すべてが真実だったのは、うれしい驚きだった』。

──『クィーン』での演技で評価されましたが、あなた自身は労働者階級の出身で、今回の役柄ドロシーにより親近感を抱いたのではないですか?
『確かに生い立ちを考えれば、私はエリザベス女王陛下よりもドロシーに近いと思う。女王陛下のような生活を私は全く経験したことがないから。とはいうものの、役柄という点では、生活様式という要素を取り除けば、二人は人間的にそれほど異ならないと思う。私は役を演じるとき、自分との共通点というのを常に探す。外側をはがして残る人間性に、目を向けようとする。エリザベス・ウィンザー、私はあえて彼女をこう呼びたい。女王陛下ではなく一人の人間として見ているから。今回も、ドロシー・バントンがどういう人間であるか、という点から見て役作りを始めた。たぶん多くの俳優も同様で、特別な方法ではないと思う』。

──なぜこの役を引き受けたのですか? 演じてみて一番よかったと感じた瞬間とは?
『どんな役にもエキサイティングな瞬間はある。脚本を開いたとき、美しく書かれた内容であれば、素晴らしい映画になるだろうと感じる。それが最初のエキサイトメント。脚本が良くなければ、どんなに努力しても良い映画はできない。共演者によるところも大きい。共演者と意気投合できれば、良い作品になる可能性は高くなる。今作で共演したジムがそうだった。彼の目を見た瞬間、一緒に満足できる仕事になると感じた。最高な瞬間は、何といっても観客が映画を見て好きになってくれる瞬間よ。見終わった後に観客の満足した顔や、会話が弾んでいる様子を見た時。この映画がそうだった』。

──ジムが演じたケンプトンは、労働者階級で独学して政治的な信念を持つ頑固な男。彼のような人は現在の英国にもはや存在しない気がしますが。
『彼のような英国人はずっと居続けてほしいと思う。個人主義でエキセントリックな変わり者というか……。ああいう人は、どんな国にもいると思う。「変わり者」という特性は、人間の本質を顕著に表す一面だと思うから』。

──今作には60年代の映像も挿入され、当時の雰囲気が伝わってきます。あのころを振り返って、現在の英国から失われてしまったと思うことはありますか?
『私の両親の世代の人たちを失ったことは、寂しいことだと思う。両親は二人とも他界した。彼らの世代は世界恐慌を経験し、第2次世界大戦を生き延び、社会主義的な考え方を取り入れた国家も実現した。戦後できた国民保健サービスや、すべての国民が教育を受けられるようになった社会。母は14歳で義務教育を終えた後は教育を受ける機会はなかった。両親の世代は驚くべき苦労をくぐりぬけ、平和で安定した世界を築いた。私たちが生きる社会は、そんな世代、ケンプトン・バントンの世代に負うところが大きいと思う。苦労して、いまの社会の礎を築いてくれた世代が英国からいなくなるのは寂しいこと』。

──60年代と現代の最大の違いは何だと思いますか?
『年を重ねると、世界から取り残されていくように感じる。近年テクノロジーが驚くほど発展し、産業革命よりもずっと大きな変化をもたらした。これからも世の中はさらに大きく変わっていくと思うし。自分の育った世界と現在が、あまりに異なっているということが、この映画から見て取れると思うの』。

──もしあなたが、ケンプトンのように名画を盗むとしたら、何を?
『カンディンスキーね。どの作品とは言えないけれど、とても好きだから。カンディンスキーが無理なら、ゴヤのほかの作品かしら。ゴヤの絵は大好きで、この前も後期の作品をマドリードで見た。難しいテーマだけれど、見応えがあった。レンブラントもいいと思う』。

──ケンプトンは、かつての労働者階級のヒーロー的な存在です。いまの若い世代にも、彼のように弱者の権利のために立ち上がる人がいると思いますか?
『そうあってほしい。若者とは、世界を変えたいと欲するものだと思う。ところが80年代はちょっと例外で心配だった。80年代の若者は、世界を変えたいという願望がしぼんで、お金儲けだけに興味を示しているように見えた。私にとっては違和感のある時代だった。けれども最近はそれが変わり、うれしいことに、若い世代は非常に積極的に世界とかかわるようになったと思う。環境問題、社会問題、性的な意識など、さまざまな分野で行動している。すごく良い変化だ。それこそが若者の特権だと思うから。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリやブラック・ライブズ・マター(BLM)や#MeToo運動など、間違っていると思うことを断固拒否する。若者のそんな行動が好きなの。いまのウクライナにしてもそう。厳しい情勢にありながらも、市民の熱さを感じる。こうした運動の原動力になっている若者を称賛したい』。(AERA)

◆私が『ヘレン・ミレン』を知ったのは、NHK・BSで放送した連続物語『第一容疑者』である。ある意味奔放な女性刑事で、勘を大事にするタイプ。難事件を苦もなく解決し、対決する上司らの鼻をあかす。とても魅力的な役であった。その後も時折映画で観たりしていたが、そういえばミレンのドキュメントがあったなあ。あれはエルタミージュだったか、何か・・・。でも魅力的な女性、卓越した女優『ヘレン・ミレン』ではある。


■■<満州事変と相似形 『プーチンの野望』>私が編集者として最後につくった本『逆転の大戦争史』(オーナ・ハサウェイ、スコット・シャピーロ著 2018年10月)の企画書にはひとつのグラフがつけられていた。

これは、ハサウェイとシャピーロが、10人のエール大学の学生とともに3000時間をかけて、1929年以前と1946年以降に、侵略行為によって占領された土地の面積を求めたもので、1929年以前には、毎年22万平方キロメートルの土地が侵略によって国境線が変わっていた。現在の日本の国土が、約38万平方キロメートルだから、毎年日本の国土の半分の領土が侵略されていたということになる。これが1946年以降を見てみると、8311平方キロメートルにまで激減する。つまり、1946年以来、国境線が大きく変わるような侵略はなかったのだ。

唯一の例外が2014年のロシアによるクリミアの併合だったが、仮にウクライナにロシアの傀儡政権ができると、1928年のパリ不戦条約で決められ、第二次世界大戦をへて定まった『新世界秩序』が大きく揺らぐことになる――。

1928年より以前の『旧世界秩序』では、戦争は合法であり、政治の一手段だった。戦争であれば領土の略奪、殺人、凌辱も罪に問われない。しかし、この『旧世界秩序』の時代、交戦国以外の第三国が経済制裁に加わることは違法だった。

当時としては史上最多である日本を含む63カ国によって批准されたこのパリ不戦条約が、今ではほとんど忘れ去られているのは、その後第二次世界大戦があったためだ。あの戦争があって、何の『不戦』か、ということだ。しかし、実は第二次世界大戦は、枢軸国側の侵略を、大戦を通じてほぼもとの国境線に戻した戦いとも言えるのだ。

今回のロシアの侵攻の狙いは、ウクライナに傀儡政権を武力によって樹立することだ。この意味で、実は今回の侵攻は、パリ不戦条約の4年後に行われた日本の満州国建国と相似形をなす。でっちあげの鉄道爆破事件によって、満州全土に武力侵攻した日本は、翌年清国最後の皇帝である溥儀をたて傀儡政権を樹立する。関東軍が満州に侵攻した4年後には、イタリアがエチオピアに侵攻し、7年後にはドイツが他の欧州諸国を侵略する。つまり枢軸国はパリ不戦条約によって定められた『新世界秩序』に挑み、敗れたのだ。

今回、プーチンは、第二次世界大戦をへて定着したこの『新世界秩序』に再度挑み、世界を今一度『旧世界秩序』にひきずり戻そうとしていることになる。なぜこのようなことが起こったのだろうか?

そのことには、2010年以降のアメリカの国力の相対的な低下が大きく影響している。ソ連邦の崩壊で、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』(1992年)で書いたように、『民主主義』は究極の政治形態になったはずだった。事実1990年からの20年間は、パックスアメリカーナとも言えるアメリカの一極支配の時代で、中国は2001年にWTOに加盟した。が、この20年は、中国やロシアが資本主義経済圏に組み込まれ国力を増した時代でもあり、アメリカは、イラク・アフガニスタンという二つの戦争によって国力をすり減らした20年でもあった。

そしてそのことが、2017年からのトランプ政権を生んだのである。トランプは国際条約を次々に破棄して、内向きな米国をつくっていった。イランの核兵器開発を抑止する核合意からの離脱(2018年)、中距離ミサイルの全廃を目指してロシアと結んでいたINF条約から離脱(2019年)、気候変動に関するパリ協定から離脱、NATOの離脱を示唆(2020年)。

パリ協定などバイデン政権になって復帰した協定もある。しかし、トランプは一度おきてしまった事件だ。もう一度そうした大統領がアメリカには生まれるかもしれない。そうなれば、アメリカはもう他国のことはかまっていられないだろう。

そうしたサインをうけて、プーチンは、今ならば、侵略を非合法とする『新世界秩序』を崩せるとふんで、国境線を越えたのである。ではなぜ、今回アメリカは、イラクがクウェートを侵攻した時(1990年)のように軍事介入をしないのだろうか?

それは朝鮮戦争を例にとるとわかりやすい。あのとき、マッカーサーは、中国の諸都市を爆撃し、核を使用することを主張して時の大統領トルーマンに解任された。あのとき仮に米軍が鴨緑江を越えれば、それは限定戦争ではなくなり、ソ連の参戦もありえた。東京や大阪が爆撃され、全面戦争に発展する恐れがあった。そしてソ連は核をもっていた。

今、プーチンは核の使用を示唆している。核戦争に勝者はいない。これは、米国の戦略の基本線だ。それが核をもたないイラクとの戦争と決定的に違う。

『新世界秩序』で戦争を抑止する方法は、『旧世界秩序』では違法とされた経済制裁だ。しかし、この経済制裁は小さな北朝鮮のような国には効くが、ロシアのようなサイズの国だとどうだろうか?今私たちはその効果の帰趨を固唾をのんでみまもっている。

鍵を握るのはロシアの最大の貿易国である中国ということになる。その中国についてはいずれ書く時がくるだろう。(下山進筆)

◆    まさに、ウクライナ問題の核心をついているねえ。中国がキーを握るのは確か。さあ、どう出るか、習近平、だなあ。


■■<『花実自然ジネン』 坂村真民詩集>
  花実自然
  花実自然と
  わたしはちかごろ
  称名のように
  となえている

  枇杷の花
  葡萄の花
  梨の花
  柿の花
  みなつつましい花だ
  それなのにその実の
  なんという
  ふくよかさよ
  うつくしさよ

  はなやかな花たちが
  たちまちにして
  すがたを消し
  つつましい花たちが
  いつのまにか
  すばらしい実をつける
  この天地の妙理を
  ふかくあじわえと
  わたしはちがごろ
  名号のように
  となえている


■■<『安倍さん、説明しないままですか』>体調不調を理由に2度にわたって政権を投げ出した安倍晋三元首相は、最近は元気を回復されて、以前にも増してご活躍のご様子である。派閥の会長としてのお仕事や、時々の政治の局面での発言など、テレビや新聞によく登場されている。政治家として充実した日々を過ごされているようだ。

一庶民としてごく普通の感覚で生きている私としては、そういう元首相のご活躍を目にする度に、どうも割り切れない思いを感じている。

いわゆるモリカケ・サクラ問題、国会での100回を超える虚偽答弁問題など、いずれも国民を納得させる説明は今もってされていない。このままで済ませるつもりなのだろうか。

私は若い頃、『政治は最高の道徳である』という言葉を聞いて、今もよく覚えている。政治家はウソをつかず、間違ったことをしたら国民に正直に謝り、自分のしたことに責任を持つならば、それを見ている国民は、おのずから道徳的生き方が身につくという意味だ。この言葉を、元首相はどのようにお聞きになるだろうか。(朝日新聞投書 埼玉県男性(82))

◆心臓君にはこのような道徳論などまさに字の如く『馬耳東風』『寝耳に水』でござるよ。森友学学園問題で、公文書の改ざんを支持した財務省の局長を、その事実がばれてもなんと『国税庁長官』に昇格させたお人である。日本社会に、嘘をついても『功績を上げる』ことが大切だと、まさに『安倍道徳』なるものを日本国に知らしめたのだ。が、その悪道徳を日本国民は批判するどころか、先の衆院選でも自民党が第一党として堂々の議席数を取らせている。日本にはもはやこの人が言う『政治は最高の道徳である』なんて、存在しないのだ。それを信じる方がバカらしさを感じるだけの世の中に堕落してしまっているのだねえ。残念ながら、この日本国は。

広島で起こった『河井夫妻による大買収事件』について、自民党本部はなんら原因の究明や、『1億5千万円』もの選挙資金が支給された謎を解こうという動きはまったくない。汚れ切った自民党を、それでも国民が支持する日本国ではなるのだ。まさに『社会正義』などないに等しい国になっている。