今日の画像は、憧れのオープンカー④『4ベントレー コンチネンタル GT スピード』。そして、シロとムラサキの流麗なる『ダッチアイリス』です。シャープな曲線を持つこのダッチアイリス、好きですねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     <グラナダ市内>

 

■■■長らく、人生を通じて一応『カープファン』の私。なんと『名伯楽』と称えられた『内田順三さん』がカープの出身とはしらなかった。名伯楽は、緒方孝市、前田智徳、新井貴浩などカープの面々に限らず、松井秀喜、高橋由伸、坂本勇人、岡本和真など錚々たるプレーヤーを育てているのだ。関根潤三さんが、カープのコーチだったとも知らなかった。根本さんとの縁でコーチをやっていたんだねえ。根本本を読んで知った。内田さんのコーチ論を以下。

 

◇私が述べていることは、勿論野球の世界のことだ。だが、案外野球以外の社会にも通じるkとではないかと思う。

世の中の会社にも、プロ野球の世界と同じように新入社員はやってくる。会社によって、その社員らを一人前にしてくカリキュラムは違うのだろうが、根本は大きく変わらないはずだ。新人の面倒を見る、直接の上司や先輩、研修担当といった人達が、野球でいう私のようなコーチなのだろう。

 

でも、そんなコーチにあたる人々の新入社員評というのは、手厳しい傾向にある。『あれは、これがダメだ』『彼はこれが出来ない』と目につく短所を次々に言葉にする。挙げ句の果てには『最近の若い者は・・・』と個性も何も破棄し、世代論で片付けようとする。これでは、その新人は育たない。

 

こなってしまうと、会社は大きな損失をしたことになる。プロ野球のように先に契約金が発生する訳ではないが、その新人を採用するのには、多かれ少なかれ会社は労力や時間をかけているはず。当然、その人材の成長を見越した上でのプランもあるだろう。それが、指導する側の『ダメ』の言葉で、吹き飛んでしまったことになる。

 

プロ野球のチームだろうと、会社だろうと、その他の組織であろうと、人材というのはやってきた時点ですでに宝のはず。『ダメ』という言葉は使えない。

 

しかし、何年も思った通りには伸びてこない人もいる。それでも『ダメ』はまだ早い。そこで、どうしようもない崖っぷちから、見事立ち直った男の話を最初にしておこうかと思う。真っ赤な『55番』を背負って、ヒットを量産した『赤ゴジラ』こと、『縞重宣』の話だ。

 

★★<財政悪化で囁かれる『永久国債』>『骨太の方針』から『財政再建の数値目標』が消えた。経済財政諮問会議が7月8日に示した原案で分かった。

 

骨太の方針は政府の経済財政運営の指針だ。2001年以来『25年度までに、政策経費をどれだけ税収で賄えているかを示す基礎的財政収支=プライマリーバランスPBを黒字化する』という目標を明記してきたが、今回は示さなかった。

 

理由は阿倍政権が新型コロナ対策をするため、大盤振る舞いを続ける財政支出だ。自民党議員の間では『PB黒字化の目標を撤廃して、コロナ対策に集中すべき』という意見が高まってきている。

 

新型コロナに対応する財政支出の急増は日本に限ったことではに。IMFは6月、世界全体で実施された財政措置が1,070兆円に上っている、と集計結果を明かにした。

 

出口戦略の一案として、市場関係者の間で浮上しているのが『永久国債』の発行だ。永久国債とは何か。発行国は購入者に対して毎年利子を支払うが、償還期限が決まっていないもの。1751年に英国政府が発行した『コンソル公債』が最も古い。当時の英国はフランスとの戦争により財政が逼迫。窮地を脱するため、ペラム首相が発行したのが既存の債務をまとめたコンソル公債だった。

 

永久国債については、米連邦準備制度理事会FRBのバーナンキ元議長が2016年4月、本田元内閣官房参与に語ったことがある。米金融通信社ブルームバーグが配信した記事によれば、パーナンキ元議長は訪米中の本田元参与に『政府が市場性のない永久国債を発行、これを日銀が直接引き受ける手法を挙げた』とある。

 

日本はGDPの2倍を超える財政赤字を抱える。コロナ対策で財政支出は更に膨らんでいる。頭の痛い問題の解決策として永久国債は果たして『究極の一手』となるのか。

 

果たして、永久国債を発行するかねえ、政府は。しかしそれしか道がないよにも見えるな、昨今の日本の経済環境からすると。困ったもんだ。コロナ対策にしても、政府が打つ手は後手後手で、時期を見誤ったGo To トラベルのように、全く意味をなさない無効果のものもある。いつも『責任を感じる』と首相は言うが、口先三寸で、その責任を取ったことはない。まったく無責任首相と言う以外にない、心臓君だ。

 

★★<自転車『シマノ』、時価総額で自動車日産を抜く>コロナ危機で株式市場が映す企業の力関係が激動している。強いメッセージを放つのが、29日に株価が上場来最高値を更新した自転車部品大手の『シマノ』だ。

 

『コロナ前』である、1月末の時価総額は1.6兆円で日本の86位だった。ところが先週末時点では2兆円の64位と22位も順位を上げた。象徴的なのは、4月にJR西日本を、6月には日産自動車まで抜き去ったことだ。『のりもの銘柄』の浮沈を通じ、市場は何を語っているのか。

 

まずは『密を避けたい』という人々の行動変化が浮かぶ。電車よりクルマ、さらに自転車の方が『密フリー』だ。20分の満員電車通勤を1時間の自転車通勤に切り替えた人は、筆者の周囲にもいる。

 

だが、経営戦略の視点で見ると、『グローバル』という別の切り口が浮かぶ。シマノは日本屈指のグローバル企業で、海外の売上が全体の89%を占める。シマノの部品は世界の高級ロードレースやマウンティンバイクに欠かせず、1998年以降は社内でも英語が公用語だ。

 

日産も海外売上比率が78%と高いが、経営危機で海外事業の見直しを余儀なくされている。販売は韓国や東南アジアからの撤退や縮小を表明。生産もインドネシアやスペインの工場閉鎖を決めた。1月に2.5兆円あった時価総額は1.8兆円に減少、順位も53位から72位に落ちた。

 

JR西日本は内需が全てだ。人口減少の逆風に、コロナによる利用客の激減が加わった。時価総額は1.8兆円から1兆円へ、順位も79位から124位に落ちた。『シマノ→日産→JR西日本』。新たな序列は3社のグローバル戦略の濃淡と重なる。株式市場は銘柄の選別を通じ『こんな今だからこそ海外に打って出てほしい』と迫っているかのようだ。

 

日本企業は財務面で、海外企業など攻めの手を打ちやすい。財務の安全性を示す自己資本比率は2007年の46%から19年度の53%に高まり、全体の6割近くが実質無借金企業になった。


財務と並ぶ日本企業の強味は経営風土だ。京セラは1990年、米電子部品メーカー『AVX』を買収した。欧米という京セラの弱点を埋めた上、19年までの30年間で売上高が3倍、利益も13倍に成長した。日本からの海外企業買収が山ほど失敗に終わった90年代以降、成功した数少ない事例だ。

 

稲盛和夫名誉会長がこだわったのが『和魂洋才』だった。『相手に善かれす』と思いやる日本の精神は、人種を問わずビジネスに必要だ。自ら講師となり、AVXの人々に説き続けた。一方、社名も経営陣も変えず、株価連動報酬など米国で広まっていた経営手法はためらわず取り入れた。

 

世界で今、資本主義の形が変わりつつある。株主や経営者がエゴを捨て、社会や従業員など幅広いステークホルダーに尽くしてこそ持続的に成長出来る、まさに利他的な資本主義へのシフトだ。

 

コロナは稲盛流にも終生を迫る。融合が成功した背景には、密接な交流があった。日米の経営陣は2カ月に1度は会い『コンパ』と呼ぶ懇親会で本音をぶつけ、損得を超える『同じ釜のメシを食う仲間』を作った。人の行き来が出来なくては、それも難しい。

 

コロナは米中緊張の一因にもなり、世界の分断も加速している。日本の経営者は、未曽有の事態をグローバル化を棚上げして国内にこもる理由にするのか、それとも殻を破るきっかけに使うのか。マネーがどちらを選ぶのかは、3社の株価がもう語っている。(日経新聞梶原誠筆)

 

『シマノ』のすごさは、これまでも色んな場面で知ってはいたが、株価、時価総額が日産を追い抜いたとはまた凄いねえ。まさに『出でよ、第2、第3のシマノ』ではあるなあ。アベノミクスとは対峙する領域になるが、国内で安閑としていれば、その先の崩落は見えていると言えるねえ。

 

★★<母を語る『雨の中で踊る母』>母は教師であった。今ならそんなことはないと思うが、臨時教師として母が小学校で私の担任になったこともあった。当時は気恥ずかしい気持しかなかったが、若い頃の母が教師として、どんな思いで教壇に立っていたのかを、私自身が長じてから折りに触れて聞けるようになった。

 

▽おしっこをもらした1年生の女の子の話  『あ、水だ』と男子が叫ぶと、彼女の椅子の下から一筋の流れがあった。非難の眼差しで取り囲む級友の真ん中で、彼女は机に頭を押し付けて動けずにいた。母はその子の傍らに行き、『おしっこが出ちゃったのね』と、とっさに言ったという。そして今度はクラスのみんなに向かって『みんなも先生も赤ちゃんの時、おしっこをもらしていたのよ』と続けた。

 

すると周りの子らの表情がゆるみ、一人の女子が水を汲んでくると言ってバケツを手にした。別の子は雑巾を手にした。そして母は、一人で泣いている子と共に保健室に着替えに行ったのだ。

 

教室に戻ると床はきれいに拭き取られ、子供達は給食の続きを食べていたと言う。そして、その『事件』が彼らの話題に上ることは二度となかった。母はその時に、子供達の魂の素晴らしさを感じたと語った。

 

また、世の中が戦後の時代で、貧しい家庭の子供がいて、文具が十分に持たされなくクレヨンが持参出来ない子に、そっと『教師のお手伝い係』を与えて、プリントの配布や連絡のワークでマナーや言葉遣いを身につけさせた。

 

保護者面談の日、廊下でウロウロしているお母さんがいた。その人がその子の母親だった。そして彼女は『息子は学校へ行くのを嫌がりませんです。「僕にはお母さんが2人いて、一人は家に、一人は学校にいる」と言っています。そのことをお伝えしたくて来ました』とだけ言うと、リヤカーを引いてバタ屋の仕事に戻って行ったと言う。

 

その貧しい時代、母のスタンスは『徹底した共感』と『差別を許さない心』にあったように思う。ことなかれ主義の組織の中ならば、きっと軋轢もあっただろうが、幸い、母を見守る人々には理解者が多かった。

 

時が経ち、教員を辞めた母は、カウンセリングに出会う。学習塾を始め、その研修の講演で心理学の話を聞いたのがきっかけだった。そして『人には心がある』と開眼したのだ、と言う。そして『相手の言葉に意見を挟まずに肯定的に聞くこと、アドバイスするのではなく、本人の心の中にすでにある「解答」を導く手助けをすること』こそがカウンセリングの真髄だと知る。40代からスタートした学びは、『悩みや困難を抱えた人々への傾聴』の必要性の認識から、相談電話『ぬくもりほっとらいん』に結実する。

 

2004年に始まったこの活動は、『誰でも匿名で相談出来る』電話サービスで、2008年にNPO化、母は理事長になった。以降、無償のボランティアの『聴き手』によって月に150本もの様々な相談を受け止めるセーフティネットとしての活動を続けている。

 

2017年、80歳になった母は突然日記を書き始めた。慣れぬコンピューターを駆使して毎日キーを叩き始めた。母は新しもの好きなので、これまでと違う世界やタスクを苦にしないようだ。

 

それは1日も休まず1年間続いた。そして『本にしたい』と言う。幸い、知り合いの紹介で有能で誠実な編集者と繋がり、その夢は実現した。365日のうちから、180本を選んだ。題名は私が考えた。日記の中にアイルランドの諺が出て来た。『人生とは嵐が過ぎ去るのをじっと待つことではなくて、雨の中でダンスをするのを学ことである』と、かの国のマスコットに刻まれていたと言う。

 

『雨の中で踊る』か。それは母の生き方そのもののように思えた。母は『じっと耐える』ことを嫌って、解決を求めて歩く人だったし、引っ越しを決めたり、部屋の模様替えなど、家に変化をもたらすのは常に母だった。私はこの言葉を推し、それは本のタイトルとなった。渡邉晴代著『雨の中で踊る』である。

 

親の影響があったのかどうか。私もまた非常勤講師として人にモノを教える立場になった。今も元気で歩ける母は、コロナ禍が過ぎたらまた旅に出たいと言う。雨の中で踊ることを、いつまでも止めないに違いない。(尾道空き家再生プロジェクト理事・渡邉義孝筆)

 

いいですねえ、『雨の中で踊る母』なんて。ちょっとはそっとでは見つかりませんぞえ、なあ。素晴らしい話ではあります。そのご子息が、また尾道空き家プロジェクトをけん引しているのですから。この母ありて、この子あり、だなあ。まさに、献身のDNAが引き継がれている思いがする。お見事!

 

★★<新宿・アントニオ猪木酒場がコロナの影響で31日で閉店、最終日に別れ惜しむ>東京・新宿の人気店『アントニオ猪木酒場』が、7月31日(金)23時をもって閉店となった。同店舗を運営する(株)ジー・テイストに電話取材すると『コロナの影響で売上が減り存続が困難になりました』と言う。

 

プロレス、格闘技はコロナで大会が減少、さらに無観客試合が多い。現在は限定的な集客が可能になったが、試合後に飲みに行くと言っても、店の場所が感染者が多いと報道されている新宿ということもあり、行きにくいのが現状だ。客足の減少も無理もない。  

 

同店は、プロレスラーのアントニオ猪木が活躍した昭和の時代を舞台に、常時プロレス映像が流れ、店内ではアントニオ猪木ブランドのグッズ等も販売されていた。  

 

まさに『元気になる居酒屋』で、猪木の必殺技であるコブラツイストをイメージした前長60cmの『コブラツイストうずまきウインナー』や、16文キックをイメージした『16文ハンバーグ』等、昭和のプロレスファンにはたまらないメニューが並ぶ。  

 

最終日には多くのファンで賑わう中で同店で度々イベントを行った西口プロレスのアントニオ小猪木も一般客に混じって来場。新規客が来るといくつか空き席がある中で『満員です』と店員。ソーシャルディスタンスに気を使っているのだろう。  

そんな中で小猪木は静かにビールジョッキを傾けていた。同団体に所属するレスラーの小橋太っ太は、混雑を避け閉店前日に来店した。ツイッターには多くのレスラーから閉店を惜しむ声が綴られている。  

 

アントニオ猪木酒場は2006年の池袋店にて開店。それを皮切りに運営のジー・テイスト社がフランチャイズ展開をし、沖縄・仙台・千葉・福岡・広島にも進出したが、現在はいずれも閉店。新宿店(2008年開店)を残すのみとなっていた。

 

同店ではトークショーや西口プロレスの公演が行われており、猪木本人もときおりイベントで来店したが、最近はコロナの影響のためイベントも行われていない。最終日もコロナは増え続ける東京・新宿ではもちろんイベントは無し。しかし多くのファンが来店し、昭和なプロレスフードメニューとビール片手に別れを惜しんだ。

 

まあ、本当にプロレスファンにとってみれば残念無念だろうねえ。まさにコロナが世界を変える、の図だねえ。

 

★★<『李登輝さん』逝去>『笑顔になると、木の香りがにおい立つようである』と、司馬遼太郎さんは書いている。台湾の『李登輝元総裁』のことだ。1993年1月、作家は『街道をゆく』の取材で総統と会った。『大木に荒っぽく目鼻を彫ったよう』な風貌に魅せられ、初対面の会話は大いに弾む。

 

日本統治下の島に生まれ、京都帝国大学で農学を修めた李さんが政治の世界に入ったのは不惑を過ぎてからだ。政敵とわたりあい、やがて戦前から台湾に住む『本省人』として初めて総統になる。作家が訪ねて来たのは、民主化への闘いを進めている最中だった。『台湾紀行』として世に出た一冊に、その素顔が浮き出ている。

 

権力を自分に引き寄せてはならぬ。まして自分が権力そのものになってはならない。李さんは熱っぽく語ったと言う。自己をかくも客観視出来、抑制出来る指導者を得て、台湾は確かな民主主義を手に入れた。大陸とは随分違う、自由で成熟した社会の空気は旅行社にも心地良い。それを創り上げた人が亡くなった。

 

司馬さんと親しくなってからの対談で、民主化の仕上げに向かっていたと総統は語っている。『台湾人として生まれ、台湾のために何でも出来ない悲哀がかつてありました』。無念を乗り越えた、97年の生涯だったろう。晩年の写真からも『木の香り』がにおい立つ。そして台湾という場所の苦しみも、そこには宿っている。(日経『春秋』)

 

★★<照ノ富士、優勝決定を逃す>大相撲14日目、前頭17枚目、元大関照ノ富士は関脇正代と対戦し、寄り切りで敗れた。また、2敗の大関朝乃山も敗れ、2敗が照ノ富士と正代の2力士と。この対戦で照ノ富士が勝っていれば、1敗を維持し、2敗がいなくなって、単独優勝が決まるところだったが、残念、千秋楽にお預けとなった。

 

千秋楽照ノ富士は関脇御嶽海3敗と、正代は大関朝乃山3敗との対戦。どちらかが勝ち、どちらかが負けると、勝ち残った方が優勝。両者が負けると、優勝決定戦でややこしい取り組みになりそうだ。最後の力を振り絞り、ガンバレ、照ノ富士、だねえ。