今日の画像は、世界の絶景、息を飲む美しさ⑤ミャンマーの『まばゆい光芒に包まれるパゴダ群』イスタンブール『アヤソフィアとブルーモスク』、『ボスポラス海峡、夕日に浮かぶ乙女の塔』。そして私が2014年に訪れた際の『アヤソフィア』の画像です。素晴らしい建物ではありました。『乙女の塔』はあの007のロケにも使われました。なかなかの絶景ではあります。

 

 

 

                  <アヤソフィア>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           <アルハンブラ宮殿>

 

■■■今、NHK朝ドラ『エール』が人気を博している。主人公は、作曲家『古関裕而』。古関の作曲で有名な歌に『長崎の鐘は鳴る』がある。作詞は『サトウハチロー』。この人達の先陣に、作詞家『西條八十』。日本歌謡界の先人である。早稲田大学教授の身で、歌謡の作詞に入ったと、学内で批判が出て、なら、大衆のためと、歌謡作詞の道を選んだ。サトウハチローはその西條の弟子にあたる。西條が切り開いた、『日本の歌謡先史』の一筋をひも解く。

 

◇西條八十は、結婚してから、妻晴子の母性愛の強さをたびたび感じた。母徳子は八十だけの母でなく、兄隆治や妹冨貴、放蕩者の長兄英治にとっても母である。その点、晴子は母性愛を独り占め出来る唯一の女だった。晴子はよく慈愛に含んだ眼差しで八十を見た。

 

晴子と結婚し、彼女が見つけてきた南佐久間町の借家は狭かったが、結婚以来、初めて夫婦水入らずの生活が過ごせた。八十の詩はまだ金にならない。そこで晴子の父の助けを得て天ぷら屋を開いたり、友人の指南で株取引を始めるなど、およそ似つかわしくない商売に手を出した。天ぷら屋は儲からなかったが、株は面白いように儲かったので、ついのめり込んだ。

 

大金を得て浮かれている八十に、晴子が言った。『私は株で儲けた1万円より、詩を書いていただく10円の原稿料の方が嬉しいです』。潤んだ目で訴える晴子を見て、八十は持ち株全てを売り払った。気分一新のため、また引っ越した。こんどは出資している建文館の神保町社屋の2階である。ここで晴子は長女を産んだ。大正7年5月3日、時は若葉の季節。八十は娘に『嫩子フタバコ』と名付けた。嫩は若葉の別名である。

 

その頃、建文館が発行する雑誌『英語之日本』に、八十は『蝋人形』という詩を発表した。それが掲載されている号を荷造りしている最中、和服姿で口髭をはやした眼光鋭い男が訪ねてきた。『西條八十さんはおられますか』。ワイシャツにズボンという軽装で作業をしていた八十が『私です』と答えると、その男が驚いたように『あなたが?』と言った。

 

『私はこういう者です』。差し出された名刺には『鈴木三重吉』とあった。鈴木は夏目漱石の門下生で、『千鳥』などの小説が独特の文体で人気がある。『実はこの度「赤い鳥」という童謡、童話の児童雑誌を創刊しました。そこであなたに、新しい童謡を書いていただきたいのです』。『赤い鳥』のことは噂に聞いていた。童話は、泉鏡花、島崎藤村、芥川龍之介、徳田秋声、童謡は北原白秋、三木露風と言ったそうそうたる文学者達が寄稿するらしい。八十は喜んで引き受けた。そうせ書くなら、他の作家に負けたくない。それには、児童のための良い歌だけでなく、大人にとっても幼年時代の純な情緒を呼び覚ますような歌を書こうと思った。早速執筆にかかり、出来上がったのが『忘れた薔薇』(後薔薇二改題)だった。

 ▽船のなかに 忘れた薔薇は 誰が拾った
  船のなかに 残ったものは 盲人が一人 

  鍛冶屋が一人 オウムが一羽・・・

 

船中に忘れられた赤い薔薇は『真理』を指している。子供には難しい歌詞だが、意味は理解出来なくとも、言葉の響きが伝われば良い。八十は、子供も大人も共感出来る童謡を作ったつもりだ。

 

『忘れた薔薇』は、『赤い鳥』10月号に掲載され、好評を博したが、二作目の創作になかなか発想を得られない。八十は嫩子を抱いて表に出、上野公園を抜け、東照宮辺りをぶらついた。公園内には野鳥がたくさんいて、ヤマガラやコジュケイなどの鳴き声が聞こえる。ベンチに腰を下ろすと、すぐ近くの木に止まった山雀ヤマガラが、まるで気難しい人物のごとく、黙りこくっているように見えた。その瞬間、少年時代に見た光景が脳裏に浮かんだ。あれは中学に入ったばかりの頃だ。家庭教師のイギリス人エミリイが番長教会のクリスマスのミサに連れて行ってくれた。会堂内の電灯はすべて灯されていたが、ただ八十の頭上の電球一個だけが消えていた。それが子供心に、たくさんの金糸雀カナリヤが賑やかにさえずっている中で、一羽だけ唄を忘れたように思えたのだ。

 

『鳴かない鳥、唄うのを忘れた金糸雀か』。それはまるで詩を書かなくなった詩人と同じではないか。生活のためとは言え、天ぷら屋を開いたり、株取引きに手を出していた頃の自分は、まさに歌を忘れた金糸雀であった。そうだ、これを詩にしよう。急いで帰宅し、机に向かった。
 ▽唄を忘れた金糸雀は、後の山に捨てましょか   いえ、いえ、それはなりませぬ
  唄を忘れた金糸雀は、 背戸の小藪に埋イけましょか  いえ、いえ、それはなりませぬ
  唄を忘れた金糸雀は、柳の鞭でぶちましょか  いえ、いえ、それはかわいそう
  唄を忘れた金糸雀は、象牙の船に、銀の櫂  月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を思い出す

 

八十が兜町通いをしていた頃、家族を養うという大義名分のもと、金儲けにうつつを抜かす己を罵る心の声を何度も聞いた。詩を書くことを忘れた詩人など、捨ててしまえ!鞭で打って殺してしまえ!埋めてしまえ!その度にもう一人の自分が弁護する。そんな人間でも、詩作をするにふさわしい環境と発表の場を与えれば、再び詩人としての道を踏み出せるはずだ、と。

 

『かなりあ』が『赤い鳥』11月号に発表されると、大変な反響を呼んだ。『西條、これは傑作だよ』。柳沢健がやって来て、興奮気味に言った。柳沢は『未来』の同人で、参加当時は東京帝国大学の学生だった。柳沢の賛辞はひいき目ではなかった。同様に曲を付け、広く親しんでもらおうと考えていた鈴木は『かなりあ』の作曲を山田耕作に依頼した。ところが、山田はアメリカへの演奏旅行に忙しく、代わりに門下生の成田為三を推薦した。成田は赤坂小学校の音楽教師で、すでに林古渓の『浜辺の歌』などを作曲していた。出来上がった『かなりあ』の楽譜は、翌大正8年の『赤い鳥』5月号に掲載された。これが日本で動揺に火が付いた最初である。(参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)

 

★★<独ワイヤーカードが破産申請 不正会計で債務超過>不正会計疑惑が浮上していたドイツのフィンテック大手、ワイヤーカードが、破産手続きの開始を裁判所に申請した。同社では19億ユーロ(約2280億円)の現金が行方不明となっており、債務超過に陥ることは避けられないと判断した。欧州を代表するフィンテックの破産は監査や監督の在り方などにも波紋を広げそうだ。

 

ワイヤーカードはこれまでフィリピンの大手2行の信託口座にあるとされてきた19億ユーロが実際には存在していない可能性が高いと発表。2019年通期と20年1~3月の決算を取り下げる異常な事態になっていた。

 

同社は当初、強気の姿勢を貫いてきたが、監査法人が現金の存在が確認できないと通告したことが不正会計疑惑を高める契機となった。ドイツの検察当局は19日に退任したマークス・ブラウン前最高経営責任者(CEO)を、売り上げなどを水増しした疑いがあるとして逮捕していた。

 

ワイヤーカードは銀行団と融資の継続などについて議論を進めていたが、巨額の現金が失われるなか、債務超過に陥ることは避けられず、破産申請する必要があると判断したもようだ。最新の財務情報(19年9月末)によると、同社の債務規模は46億ユーロ(5520億円)となっている。

 

ワイヤーカードの破産申請で、監査法人やドイツの金融当局にも厳しい視線が注がれそうだ。同社の不正会計疑惑は英紙フィナンシャル・タイムズが19年1月に報じていたが、それから1年半もの間、監査法人も監督当局も十分な対応をとれていなかったことになる。独金融当局は同社の株価下落に対して空売り規制に踏み切るなど、支援とも受け取られかねない動きをみせていた。

 

ドイツでは近年、ディーゼルの排ガス規制を巡る不正や米司法省によるドイツ銀行への巨額の制裁金などの企業統治を巡る問題が繰り返されている。ドイツ主要30銘柄(DAX30)にも入ったワイヤーカードの破産申請はドイツ企業全体への信頼を揺るがせかねない。

 

2000億円超の現金が行方不明とは、また奇怪なる事件だなあ。ちょっとやそっとの数字ではない。意図的に仕組まれたものと見られるが、ドイツ金融界は揺れるねえ。

 

★★<中国新幹線、勝算なき膨張>中国版新幹線『高速鉄道』の膨張が止まらない。独占運営する国有の中国国家鉄路集団は2020年も総距離を1割増やし、30年に日本の14倍にも上る4万5千キロにする計画だ。政府の意をくんだ拡大路線の結果、負債額は82兆円に達する。財政改善策にも着手したが、当面は政府支援に頼らざるを得ない。

 

『新しい鉄道で街が栄えるなんて、誰も期待していませんよ』。中国東北部、遼寧省朝陽市。7月に新しく路線が増える予定の駅周辺にある食料品店の男性従業員は、こうぼやいた。この駅は18年末に開業したが、利用客は少なく、今も周辺にホテルや店舗はほぼないと言う。

 

朝陽市は景気低迷が全国でも著しい遼寧省内でも、GDPで下位に沈む自治体だ。目立った産業もない地域に駅や新たな路線が出来る現状こそ、計画の野放図さを象徴する。

 

鉄路集団は鉄道省の下部組織が独立して誕生した。中国経済の高速成長に沿って全国に路線を張り巡らせ、ここ数年も年10~20%のペースで総距離を拡大。19年末には3万5千キロに達した。20年もさらに4千キロが開通する見込みで、30年に4万5千キロに引き揚げる計画を掲げる。

 

交通運輸省は『交通インフラは経済を成長させ、ゆとりのある社会の基礎となる』と意義を強調している。ただ、路線拡大の優先はひずみも生む。19年12月期の売上高は17兆円、最終損益は375億円の黒字だったが、売上高純利益率はわずか0.2%。直近の20年1~3月は新型コロナの感染拡大に伴う外出制限が響き、910億円の最終赤字に陥った。

 

既に負債総額は5兆4千億円に上る。もともと赤字路線が多く、上海市などの大都市を除き、黒竜江省や遼寧省、内モンゴル自治区などの景気低迷が激しい地方が特に苦しい。計画は利益度外視で拡大に主眼が置かれており、各地に点在するグループ18社のうち、11社が最終赤字と経営不振は深刻だ。

 

中国ではバスやタクシーといった公共交通の運賃は低く設定されており、値上げによる採算改善は難しい。『債務返済はもはや不可能』と見られる中、鉄路集団は止血に向けて貨物の輸送にも糊だしている。それでもレールが重量のある荷物の輸送を想定しておらず、事業拡大のメドは立っていない。

 

結局、中国政府は今年、1兆5千億円に上る異例の資本注入を決めた。前途は多難なり『中国鉄路』ではある。まあ、ドンブリ勘定の中国であろうから、黒字のところから赤字分野への資金シフトは簡単だろうなあ。今日の日経だったか、外延の自治区で新しい製鉄所が稼働を始めたと。生産能力は1千トン程度。それでなくとも、世界中、いや中国のお陰で鉄鋼は大余剰。一旦計画で決めたら途中で止めることをしない中国計画経済はいつか大きな落とし穴に陥るだろうねえ。可哀相。

 

★★<辺野古に波乱? 沖縄県議会、知事と距離ある議員が議長>米軍普天間飛行場の移設計画をめぐって政府と対立する玉城デニー知事の足元が揺らいでいる。県政与党が過半数をかろうじて維持した6月の県議選後、初の定例会で、県政与党側が推す議員が議長選で敗れる波乱が起きたためだ。今後の推移次第では、辺野古移設阻止に関わる予算編成に影響が出てくる可能性がある。

 

県議会(定数48)の議席は、共産や社民など玉城氏を支える県政与党が25。自民や公明の県政野党は21、中立が2。定例会初日の6月30日にあった議長選は、与党4会派のうち3会派が一致して推した崎山嗣幸県議が22票。これに対し、与党ながら知事と一定の距離を置く会派「おきなわ」(3人)代表の赤嶺昇県議が26票を獲得し、議長の座に就いた。

 

複数の野党系県議によると、議長に意欲のあった赤嶺氏と、2年後の知事選に向けて県議会で主導権を握りたい自民側の思惑が一致。19議席の自民会派の働きかけで、公明2人、中立2人に加え、会派『おきなわ』が赤嶺氏議長案で同意した。自民側はこの枠組みで、副議長と三つの委員長ポストも手に入れた。

 

赤嶺氏は報道陣に『与党のスタンスは変わっていない』と強調する一方、『他の与党会派との信頼関係が今はない』とも述べた。玉城知事は30日の議会後報道陣に『特段コメントすることはない』と述べるにとどめたが、30分ほど後にこうツイートした。『万事塞翁が馬。一喜一憂せず』。

 

一喜一憂すべきだぜよ、玉城知事様。辺野古への移転は、普天間の危険を回避する唯一の手だてであることは間違いない。これをダメというなら、玉城知事は別の道筋を提案すべきだと思うねえ。その提案には少なくとも『日米安保条約』の改定を折り込まなければならない。今の状況、単に普天間基地問題から政府が条約の改定を提案すると思うかえ。もっと現実的な対応案を出してほしいねえ。

 

★★<巨人『原監督』の賭けゴルフ、犯罪的“握り”をメンバー告発>
▽『監督に50万やられちゃって』  『表沙汰になったことはありませんが、原さんはとにかく賭けゴルフが大好き。すごい腕前の上にとんでもないレートで握るから、これまで累計で何百万円持っていかれたことか……』。こう証言するのは、十数年前から一緒にラウンドしてきた50代の男性である。  

 

確かにあるデスクによれば、 『原監督のゴルフ好きは広く知られていて、ハンデもシングル。といってもシーズン中は時間がなく、おもに年末年始にプレーしています。時には、選手やコーチらと回ることもあります』 。その一例として、 『日本一やリーグ優勝を成し遂げたシーズンの暮れには、選手やスタッフの慰労を兼ねてハワイやオーストラリアに旅行するのが恒例ですが、そうした際に監督は連日、現地で朝からチームメイトとゴルフに興じていますよ』(同)、とのことで、実はかつて2000年代後半には、こんな場面も目撃されていた。

 

『宿泊先のホテルで朝、あるコーチがゴルフバッグを背負って大慌てでロビーを移動していました。周りの関係者が何ごとかと尋ねたら、そのコーチは『ゴルフに行きたくないので部屋にいたら(原)監督から“来い”って電話が掛かってきて……』と言うのです。何でも、お金が相当動くようで『昨日も監督に50万(円)やられちゃって、どうせ今日も負ける。年俸が全然違うから痛いです』などとぼやいているのを耳にしました』(同)。

 

 実際に原監督のゴルフは玄人はだしで、自身が会員である名門『相模原ゴルフクラブ』では、2004年にクラブチャンピオンにも輝いている。 『現役時代から球界随一の腕前で、1992年の暮れに催された「プロ野球選手会オールスターゴルフ」ではトータル80のベストグロスで回り、他の選手を圧倒しています。引退後も変わらずで、かねて“50歳で米シニアツアーに参戦するのが夢”と公言していましたし、“セミプロ”といっても過言ではありません』(同)。

 

ちなみに09年の優勝旅行では、オーストラリアの『パームメドウズ・ゴルフコース』で選手会コンペに参加。アウト38、イン36の計74で優勝している。そんな実力者を相手に金銭のやり取りが生じれば、たしなむ程度のチームメイトなどひとたまりもない。

 

▽『ラスベガス』にからくりが  とはいえ、原監督の“主戦場”は身内相手のコンペではない。さきのラウンド仲間がすさまじい内幕を明かす。 『私が知っていた飲食チェーンの社長が原監督とも懇意にしていて、その縁でプレーするようになりました。当時、原さんは2度目の監督を務めていた時期。ゴルフ場は、おもにその社長が会員になっている千葉や茨城などのコースで、私が連れてきた友人と4人で回ることが多かった。時期はいつも秋季キャンプが終わってから1月末までで、多い時は1年に2~3回はご一緒していましたね』。

 

監督の腕前は、ここでも突出しており、『当時でハンデ1でしたし、その飲食チェーンの社長もエイジシューターだったから、一緒にプレーするには80前後で回らないと勝負にならない。私は毎回、それなりの腕をもつ友人を連れて行かなければなりませんでした』。なぜなら、およそ一般常識から大きく乖離した額の現金が動いていたからである。

 

『原さんとプレーする時のルールは、一般に「5・10・2(ゴットーニ)」と呼ばれるものでした。ストローク1打につき5千円。18ホール回って、10打差がついていたら5万円の負けです。そしてホールごとの勝敗が1万円。全部負ければ18万円になり、あとはハーフの勝敗ごとに2万円というわけです。ただ、これだけでは負けても大してかさみません。問題は、さらに「ラスベガス」というルールが加わることなのです』。

 

ゴルフの賭け方にはさまざまな種類があるが、中でもこの『ラスベガス』は最もギャンブル性が強く、点差もつきやすいルールだという。具体的には、1番打者と4番打者をペア(A組)にし、2番と3番が組む(B組)。A組が3打と4打で上がれば、多い方を1の位にして『34』とする。一方のB組が4打と5打だったら、『45』となり、その差は11。ただし、『片方の組がダブルパー(パー4なら8打)を叩いてしまうと、一の位と十の位をひっくり返さなければならない決まりです。つまりパー3のホールをA組が3、6で上がると、本来は「36」のところが「63」になる。原さんとのゴルフではラスベガスは1打千円だったから「ゴットーニ」と合わせて100万円近くが動いていました』。

 

その上、恐ろしいルールが適用された。本来、ゴルフでは前ホールでの成績順にショットするのでペアが入れ替わり、スコアが均衡化される。ところが、『数年前から、ラスベガスのペアが原さんとそのエイジシューターの社長とで固定されてしまったのです。本来はおかしな話なのですが、完全に“チーム制”となってしまい、私は自分の連れと組むしかなく、ますます上手い相方を呼ばなくてはならなくなった。そんなわけで、私や友人などは毎回、手元に100万円ほど用意してプレーに臨んでいましたね』。

 

つまりは“いんちきラスベガス”を仕掛けられたというわけだ。まことに災難というほかないのだが、それでも賭け金の支払いは、『現場精算』が決まりだったという。『大体いつも原さんが勝つので、私たちはクラブのレストランで、現金をタオルやノートで包んで、周りに見られないようテーブルの下からこっそり手渡していました。勝った時の原さんは上機嫌で、プレー代を出してくれたり「何でも好きなもの食べてよ」と、食堂でご馳走したりしてくれた。お土産に、球団ショップで売っているような自分の色紙やサインボールも持ってきてくれましたが、そんな市販品は味気ないから、私は無地の色紙を20枚ほど持参し、その場でサインしてもらっていました』。

 

監督はもっぱら、にこやかに応じていたというのだが、『ごくたまに原さんが負ける日があって、そんな時は負け分を自分で払おうとしませんでした。クラブハウスにも寄らず、「これから用事があるから」などと不貞腐れ、持参したサインボールも配らずにさっさと帰ってしまうのです。代わりに社長が「これ、監督の負け分」と、こっそり包んで渡してくれました。せっかく原さんを負かしたのだから本人から受け取りたかったのですが、根っからの勝負師なのでしょう。負けると子供のように機嫌が悪くなっていましたね』(週刊新潮)。

 

ここんところ、文春バズーガに抜かれっぱなしの新潮。万を侍して飛び出したのが『原賭けゴルフ』なんだねえ。だが、文春に比べると、ちょっと小柄だなあ。これで検察は動くまいしなあ。証拠が提示されていないから。現場の」現金やり取りのスクープ写真が掲載されていれば、社会問題化する可能性もあるがねえ。だが、新潮も続編を書くというから、何やら隠し球がある可能性があるねえ。面白い。

 

★★<埼玉・八潮で児童生徒ら3,453人が集団食中毒>埼玉県八潮市の市立小中学校に通う多数の児童や生徒が下痢や腹痛を訴えた問題で、県は2日、全15校の児童と生徒、教員の約半数に当たる3,453人が症状を申告したと明らかにした。市内の給食センターが提供した給食による集団食中毒と認定し、詳しい原因を調べている。

 

県食品安全課によると、6月28日、八潮市内の医療機関から草加保健所に、市内にある複数の小中学校の児童生徒が腹痛や下痢など食中毒の症状を訴え受診していると通報があった。

 

調べたところ、同月26日に協同組合東部給食センターが運営する八潮市新町の『四季亭八潮工場』が給食として提供した、鶏の唐揚げやツナじゃが、海藻サラダなどを食べた八潮市内の小中学校15校の児童生徒教員6,922人中、3,453人に症状が見られた。29日の欠席者は計377人に上り、教員の欠勤者も出た。  

 

症状のある人から病原大腸菌が検出されたことや、共通食が同工場で提供された食事に限定されることなどから、草加保健所は2日、同工場が原因で食中毒が起きたと断定。同日から4日までの3日間、営業停止の行政処分にした。

 

同センターは1日から営業を自粛しており、工場営業停止期間中、施設の消毒や調理者への衛生教育などが行われるという。八潮市は6日から通常授業を再開し、当面は児童生徒が弁当を持参することを2日決めた。

 

ちょっと凄い数字だねえ。普通、食中毒と言えば、せいぜい100人超レベルが多い、とされるが、3千人超とは、記録的だ。何が原因だろうかねえ、こんなにも多くの子供達が食中毒に罹るとは。単に調理場の人の関係ではなく、やっぱ食材に関係があるのだろうねえ。本当にご愁傷様と言いたいねえ、児童達には。

 

★★<宗教対立、イスタンブールの世界遺産『アヤソフィア』>東西の文化が融合するトルコ最大の都市イスタンブール。その象徴とも言える歴史的建造物『アヤソフィア』を巡り、トルコと隣国ギリシャが対立を深めている。建立から1,500年、キリスト教会、イスラム教モスク、無宗教の博物館と性格を変えてきたが、再びモスクに戻す動きが波紋を呼ぶ。

天井にキリスト教のモザイク画。柱にはアラーや預言者ムハンマドの名を刻むイスラム教の円盤。現在は博物館となっているアヤソフィアには二つの宗教の痕跡が同居する。世界文化遺産に登録されたイスタンブール歴史地区の中心でもある。

普段は静寂に包まれる建物内に5月29日、イスラム教の聖典コーランの朗読が響き渡った。トルコの前身で、イスラム勢力のオスマン帝国がビザンツ(東ローマ)帝国の首都だったこの街を征服してから567周年を記念する式典が政府主催で開かれた。

ギリシャ外務省は即座に反発した。『コーランの朗読は、世界中のキリスト教徒の宗教的な心情に反する侮辱だ』。トルコ外務省は皮肉を込めて反論した。『ギリシャは首都にモスクがない欧州唯一の国。コーランの朗読で童謡した事実は、不寛容な心理をよく表している』。

アヤソフィアは文明の攻防の歴史そのものだ。建造はビザンツ帝国時代の537年。現代のギリシャ人の多くが信仰するギリシャ正教の総本山と位置づけられた。1453年、オスマントルコ帝国が街を征服するとモスクに改修された。

オスマン帝国が第1次世界大戦で敗れた後、新たに生まれたトルコ共和国は、イスラム教を後進性の象徴とみなし、厳格な政教分離に基づく世俗主義を導入。『建国の父』、ケマル・アタチュルクは1935年、アヤソフィアをモスクから無宗教の博物館に変えた。

そんなトルコが近年、変節したとギリシャはいかぶる。親イスラム政党を率いるエルドアン大統領は昨年3月、『我々はアヤソフィアをモスクと呼ぶことになる』と発言。経済が低迷し、目前に迫る統一地方選挙で政権与党の苦戦が予想される中、支持基盤のイスラム保守層にアピールする狙いがあったと見られる。

国内には、社会の一層のイスラム化や貴重な観光資源に及ぼす影響への懸念もあるが、エルドアン大統領は6月3日の与党の会合で、モスク化へ向けた作業に入るように命じたと地元メディアが報じた。

ギリシャ外務省は『人類全体のものであるアヤソフィアの守護者としての役割よりも、国内のご都合主義を優先するのは止めるべきだ』とトルコを批判している。

もともとトルコとギリシャの関係は緊張をはらむ。オスマン帝国支配下にあったギリシャは、独立戦争を経て1832年にギリシャ王国を成立させた。第1次世界大戦でオスマン帝国が敗れると、アタチュルクが指導してギリシャ軍などの侵攻を阻み、帝国消滅後にトルコ共和国を建国した。

両国系の住民が住むキプロス島を巡っても、1974年、トルコがトルコ系住民の保護を理由に島北部に派兵し、島を南北に分断。トルコ系は83年にトルコのみが承認する北キプロス・トルコ共和国として独立を宣言。南部のギリシャ系のキプロスは、2004年にEU加盟を果たした。

最近では、東地中海の天然ガスの争奪が激しさを増す。昨年5月にキプロスが主張するEEZでの探査を実施したトルコは先月末、今後3~4カ月の間に今度はギリシャ主張のEEZ内で探査活動をする方針を打ち出した。欧州を目指すシリア難民を巡っても、2月末にトルコが欧州への国境の解放を宣言。ギリシャは軍や治安部隊を展開し、緊張が高まっている。

2014年、拙者は『サンチャゴ巡礼』を軸に欧州を80日間一人旅をしました。折角の欧州の長旅、かねてから訪れたかったイスタンブールに1週間。この『アヤソフィア』や『ブルーモスク』を中心に毎日街を歩きました。食事もおいしく、人も親切で、ボスポラス海峡から眺める景観は見事でした。もう一度訪ねたい街ではあります。