曖昧なものが説得力がないなんて大間違い
曖昧にしておく方が実情に合っている
 
殯(もがり)
 時というものがみんなの中で熟する期間
 戦中—死に近すぎた、死生観が決まりすぎている…不条理体験
 戦後—いかに生きるかに重点を置きすぎて死を捨てた
    「死の文化」を忘れた、死のマニュアル化…オウム
    死ぬことに関して日本人は長い長い歴史を持っている
 
 ヘアインディアン(原ひろ子)
   文明からは程遠いが、すごい文化を生きている
   「いい顔で死ぬ」のが人生最大の目標
 
 
 
説明がつきづらいことに対する許容度が減っている
何でも理由があると思いすぎる
 
「生と死」なんてわからん最たるもの
完結した死…おかしいんちゃう
 
死をどう納得させるか
 各宗教が用意したもの…最後の審判、極楽、輪廻 
意識がなくなる→これをどう納得させるか  
 アイデンティティ…凝縮している
 魂…存在する場として拡散(集合的無意識)
 
死んだ後のアイデンティティ…わからんから面白い
 
磔(キリスト)…天に向かう(垂直、一直線)
      これが私→凝縮…死ぬ
寝釈迦…水平に分散してゆく、自分存在→拡散 
仏教は本来拡散を生きている

歴史は分散凝縮を繰り返し、全体として残ってゆく
       一つの面だけが残って窮屈になっている
 

古事記
「生まれる」「死ぬ」に満ちている
イザナギ・イザナミ…生死の境目が曖昧(後に岩で区切る)
 
キリスト教の煉獄←後世になって作られた
天国と地獄のニ分割だけではたいていの人は救われない
 
 
考えるのはいい、結論を決めつけるのが悪い
 
死…厳粛(葬儀)と笑い(通夜)が両方ある
          思いを共有しながら笑う
 
 
 
命…死を排除した生はない、生は死を含んでいる
 
亡くなった人を心の中のどこへ持ってくるか
  死者としてのその人を自分の心にいれる  
 
 
無限…有限な人間が無限を考えると…


①ずーっと続く直線を考える←始まりはどこ?

②「運命の輪」のイメージ ぐるぐる回る(循環)→次第に螺旋へ(線)

③フラクタル(形が入れ子で中に入っている)→仏教

         …拡散してどんどん広がって無限(永遠)となる

 

人間の発想は線が多い→割り切れる

   ・始めと終わりを考えるとわからん

  ・ずーっと続いていくのも空しい

 

人間は有限存在なのに無限の裏打ちが欲しい

入れ子構造の無限

 

 

魂はどんなもの?

 

命を一つの線に例えるとして

0から1までの線を0.5のところで心と体に分ける

0.5は心と体の両方に含まれる

心の端っこはどこ?

 

ぽんっと二つに切って

どっちもピッタリ分けれるという考え方をしたとたんに

なくなるものが

 

魂は裏打ちのようなもの

 

凝縮(実体化)して魂をとらえるのはおかしい

かちっとしたイメージではない

個体としてよりは場

固定的に考えると大失敗する

 

 

どうやって生きるか?

 

        河合:好きなことをまずやる

           普通に生きとんのに「生きる力」ってなんや?

        森:迷ったときに必要になるのが「生きる力」

          場の意識があると何とかなる

 

 

 

「幸せ」とは?

 

「悩まなくていいこと」をよく(幸せと)言うが

単純に考えすぎ、そんなバカなことはない

「悩む力」がなくなる

 

悩まなくていい状態なんて続かない

悩む場合というのは必ず起こる

 

 

 

 


亡くなった人を心のどこへ入れるか…

「死んだ自分」は?