皆さんは肉体を纏い今生きてこの世に存在しています。
今です、
どこかの塾講師ではありませんが、今という瞬間は一秒一秒過ぎて行きます。
肉体人生の限りある時間を。
重篤な病気である方を除き殆どの方々は一秒の先に人生の終わり、すなわち死というものを意識して毎日を送っている方は少ないでしょう。
勿論、精神を病み、不安恐怖症などにさいなまれている方々もおられるでしょうが大半は毎日の生活の中で死を考える人はいないのが現実ではないでしょうか.
本当のことは自分の肉体人生の終わり等、大悟された方以外にはわからないのです。
だから明日も自分はこの世にいるのかいないのかを意識もしないで時間を費やしています。
高橋信次先生の説かれた法の意味からすれば、時間の浪費的な生き方を殆どの人間がして人生を終えて行っているのが現状ではないですか。
日々過ぎて行く時間何が出来ましたか、昨日はどうでしたか?今日はどうのように生きられますか?
何もしなくとも時間は待ってくれません、いくら年齢が若くとも老人であろうとも時間は等しく過ぎていきます。
この世では法律があり一般的な道徳があります。
人に危害を加えたり、法律を犯さない限り誰も文句を言いませんし叱られません。
だから毎日が表面的に何も無いように過ぎていきます。
でも人は心の中で色々なことを絶えず思っています。
思っているだけでは人に気付かれることがありませんから、問題が表面化しません、よほど顔に出るほどでない限り。
しかし、思うことはいずれ時間の経過を通して現実化します。
憎しみ、恨み、愚痴、驕り、怒り、僻み、足ることを知らぬ欲望を心に秘めて表面を飾り建前と本音の違いが強い人ほど年齢と共にその思いは顔に出てきます。
下世話に言うイヤーな顔になっていくでしょう
顔ばかりではありません。
周りの人から敬遠されて孤独になり、益々人を憎んだり恨んだり見下したりするようになっていくのです。
正法を知った方はこのようになることは望まないとは思いますが言い訳としてカルマのせいだと言いますか。
そのカルマは誰が作りましたか?
己自身が作ったのです、確かにカルマの修正は難しいことです、かといって全てをカルマだからしようがないと言い訳して努力せずこの世をわが世の春とばかりに過ごしますか。
そのような生き方をしますとカルマの上にカルマを重ねることになります。
どのような人でもあの世においては正法を知り学び実践してこの世に生まれて来たのです。
肉体人生を安逸に生きてあの世に帰る。
そのような転生を何百転生しても何千転生しても魂の進化は出来ません。
この世に生まれる度に苦しい経験を積まねばならないようになるのです。
何故かと言いますと、それがあなた自身の為だからです。
のほほんと生きた人には次には違う疑問と苦しみを味わう肉体人生を貴方自身が天上界で計画して生まれるのです。
神は私達人間に魂の進化を永遠のテーマとして与えられたのです。
その神の意志であるテーマを外れれば外れるほど苦しい環境を自らが選ぶのです。
何故かといえば人間は神の子だからです。
このようなことは全て高橋信次先生が教えられた、ですから皆さんは全部ご存じの筈です。
それでも知っただけで自分を変えようとしない人が殆どです。
自分には出来ない、無理、と心の中で言い訳し、ずるずると時間ばかりが過ぎて行きます。
時は一瞬たりとも止まることはありません、待ってくれと言っても止まりません。
そのうちそのうちと思っているとしたら大きな間違いです、肉体人生はあっと言う間に過ぎて行きます。
自分は未だ若いと思っていたらいつの間にか終点に近づいたその時に
「しまった」
と思っても遅いのです。
今を生きる、この思いこそが大切なのです。
神の理法は高橋信次先生が全て説かれて帰られました。
しかし、それを理解するには私達は実践行為で知るのです、わからないことを先輩に聞くにせよ聞いても同じ内容でも自分の心の状態で理解度が違います。
ではどうすれば良いのか。
それには思うこと行うことの中で反省と実践で理解度を向上させるしか無いのです。
どんなに親切丁寧に分かり易く説明を受けても人によって捉え方は違いがあります。
最後に頼るのは己自身です、己の心を通じて善我、真我、を紐解くように。
今を最善に生きる者こそ、その道が示されるのです。
例えその道が細い糸のようであってもその糸を辿って歩むと道は段々広くなるでしょう。
今を最善に生きる者こそ真の神の子と言えるでしょう。
私はそのように思い一瞬一瞬を生きて行きたいと思います。