今日は毎月に1度の正法の友とのあつまりの日でほんの数人だが長く続いたものである。

今の場所に引越してからでも6年以上が過ぎた。

以前に住んでた場所でも集まっていた。共に道を求める法友はありがたい。ずいぶん前に静岡の浅井さんが私に仰ったことを思い出した。


「貴方は友人のNさんのことをなに気なしに扱っているが感謝してありがたいと思はないと駄目ですよ。いつも行動を共にしてくれる人は大切にしなさいよ」


と注意されたことがあった。私はその友とは高校時代からの付き合いだから、どうも何事によらず遠慮も無しに言いたいことを言っていたのだろう、それに気付いて、浅井さんは私に言われたことだと思う。

正法を生活の中に実践し続けることは、強い意思が必要だと思う、その場合近くに法友がいてくれることは本当にありがたい。 


「良き友をもつことは道を究めるのに非常に大切なことである」


たしかこのような意味のことをインドの当時のブッタが言われていた記憶がある。

今日集まった方々は長い人で22年もの間を私ごときを信頼して正法を行じ反省を怠らずしておられることは私自身を振り返ってつい怠りがちな自分が恥ずかしいと思う。

信次先生の教えを信じ。村上和尚さんを信じ。浅井さんを信じ。そしてこのようないたらない私を信じてもらえたことは感謝してもしきれないくらいで、昔に和尚さんも。


「毎日寺に来て反省する人がいるから私も出来るありがたいことです」


と仰って居たことを思い出し私もそれ以上に感謝して努力しなければと自分に言い聞かせているこの頃です。


今日は正法に取り組む姿勢について実際にいろいろな方の考え方やどういうことに興味をもって日々の生活を送られているのか等。約1時間半。私のつたない話を聞いて頂き。お茶を飲みながら休憩を挟み反省禅定を行い。

後は又コーヒータイムそれぞれの方が毎度いつの間にか茶菓子を持ってきてくださる。

今日はこのような地方のめずらしい菓子があったので持ってきました、というように。

皆さんの雑談は為になることがある。自分たちの周りに実際におきた出来事を話される活きた教訓である。


観音寺における和尚さんもご自分の周りにおきた出来事をよく話されてこのようなことは気をつけなさい。

と例をあげて話されていた。

その中には女子高生が こっくりさん をしていて帰らなくなってどうしようもなく観音寺に連れてこられたことを話されていたことを思い出す。女子高生の親が困って連れて来た。


「面白半分にこのようなことはしてはいけません。」


付いてた狐に


「なぜいつまでもいるのかこの子が参ってしまうから早く離れなさい」


狐が 「この者が呼んでおいて勝手なことを言うな。俺は呼ばれたからきたんだ何が悪い」


「まあそだろけどこのままではこの子が困るからもう離れなさい」


といろんなやり取りがあってやっと狐は離れていった。


「もうこのような遊びはしてはいけませんよ。」


「ハイもうこりごりですやりませ。んありがとうございました」


まるで信次先生の悪霊の本の中身のような話である。このような話は折に触れていろいろ話された。

面白半分に霊的なことに関わることは非常に危険なことである。そのようなことを知らずに世の中ではいまだに変なことをしてお金を稼ぐような人がいる。

ダウジング。瞑想。Oリング。いろいろな方法でそのようなことに興味を示す人々を攣り金儲けをしている。

そのようなことをしている人々は生きてて責任を取らせられることもあろうし。

あの世に帰った時には大変なところに行くことになり、苦しみを受け罪の償いをしなければいけない。

厭だと言ってもそういう仕組みだから仕方が無い。


私達はそのような人をたくさん知らされた。

正法を知らなければひょっとしたら餌食になっていたかもしれない。心して毎日の生活を正したいものである。