法帰依


このブログを読まれておられる方々は信次先生の説かれた正法をご存知だと思いますから私ごときが語ることは何も無いと思います。

ただその法を正しく解釈しておられるならば何も問題はなく信次先生がよく言われた 「人類 皆 兄弟」

で仏国土ユートピアになるはずです。それが信次先生の亡くなられた後それぞれの高弟が我こそはと乱立し信次先生の法を都合よく利用して依頼心の強い方々を引き込みこれが私の信次先生から教えられた正法ですと指導されておられるようです。


信次先生が1976年の3月白浜の研修会において講師の皆さんに向かって


造反者がいるサタンに惑わされた者がいる。 増上慢は許しません。上に立つものほど自分に厳しく他に寛容たれ」


と指導されたのは皆さんご存知のことと思います。 其の頃観音寺の村上和尚さんはもうすでにGLAではなく自分なりの正法の伝道をされておられました。


私の小さな心で思いますには多くの指導者の方が祈りということを取り入れて指導されておられる所が多いと聞きます。

祈願文にありますように祈りそのものは正法を実践するにあたって間違いのないように指導してくださいと言うことだと私自身は解釈しております。

心と行いを正す実践は各自が行うものです。

祈ってなんとかなるものでは無いとおもいますが。

あるところでは心行を又祈願文を毎日唱える。又何回も唱えると心が浄化されて助かる反省はしなくても良い。

と教えておられるところもあるそうです。

これは信次先生が最も戒められた他力です。又あるところでは全託を謳っているところもあるようです。


法帰依の法はブッタの法。信次先生の説かれた内容にプラスもマイナスもしてはいけないと私は村上和尚さんから教えられました。


或る方から


「どうしたらいいか。どこかに正しい教えを受けれるところはないか?」


と質問をされました。 私は


「全ての教え法は信次先生が語って帰られた。それ以上何を求めておられるのですか」


「この世では誰かに頼って教えてもらおうと甘えることができますがあの世に帰ったときは誰も手とり足とり助けてくれませんよ」


収容所に行けても1人で反省して自分を正す以外ないんです」


「確かに収容所へは時々光の天使(菩薩)が来て導かれるときもありますが。基本的に自分1人です。」


「お疑いなら1度収容所なるところを見学されると良いでしょう」


「何も無い部屋に同じような考えや人生を送ってきた人々が自然と集まり反省をするんです」


「そこでは私は指導者をしてきたなぞと言っても何も通用しません。何をなして来たか、それのみです。」


と申し上げました。このようなやり取りの方が何人かおられますが。その中の1部の方は或る組織の関係者で其のことは隠して接触されてきました。

その直後に守護霊から教えられました。

私ごときが拙い経験をまずい文章で書きこみしていることがなぜ気にされるのでしょう。

ご自分たちが正しい正法を伝道しておられるならば胸を張って皆さんを導かれれば良いと思います。


私も拍手します。


法は信次先生の書かれた著書に全てあります。