よく信次先生は
「寺や神社にいるものは神や仏ではありません、カミはカミでも糸偏の紙や上のカミです。」
私達は古い習慣としてお正月や出産の時やいろいろな折に神社などへ行きますね。
私もご多分に漏れず事業をやってたときは(正法を知らなかった時)稲荷神社とか何々大社とかへ家族を連れて行きました。
しかし信次先生のお話を知ってからは基本的に行きません。
基本的にとはなにかの付き合い例えば学校の同窓生による旅行とか正法とは無縁の方々との行動を余儀なくされる場合等の時は厭だと言うと同行の方々に気まずい思いをさせてしまいます。
でも手を合わせて祈ることはありません。
神道を信じてる方や霊能者。行者と言われる方々は本当に信じて神社に詣でておられます。
正法に巡り合う前のことです。 前にも書きましたH氏と京都から来た霊能者の方とお会いしたときに東海地方のある神社に連れていかれ。
「この神社は竜神を祀り何々の命で伊勢神宮とつながっている由緒ある神社です。」
と説明を受けましたが、其の神社は異様な光景で鳥居の前からずーと本殿までの両脇に石で作ったかえる大きさはまちまちですが、だいたい40.~50センチの直径の物が無数に鎮座させてあるのです。
私は声に出してはいえませんでした。 心の中で
「ああこれは蛇の餌なんだ」
この石のかえるは信者の寄進品ですこんなに信じている人がいるんだとビックリしました。
その神社で私の知人の家族の方が自殺をしてしまいました。
後から聞くとそのようなことが何度かあったそうです。
私のところへ訪ねてきた22才の看護婦さんが
「家族の不調和に悩んで来ました。父は神主をしてます、母と父は諍いが絶えません。その原因は父が女癖が悪く浮気ばかりしているからです。私は肩が痛くて頭も重くいつも憂鬱です。どうしたらいいんでしょう。」
そこで私は正法の話をいろいろして信次先生の本をこれを読んでくださいとあげました。
それから頭と首に光を入れてあげましたところ。
「人間の手がこんなに暖かく感じたことは初めてですビックリしました」
その彼女からは2.3ど訪問があり電話も忘れたころにありましたが困った時の相談のみで正法に入ってくることはできなかった。
総じて神職や僧籍にある方々はからだを清めるということが六根清浄とか生臭い物を食さないことが大切だとか言いながら心に毒を食べることには頓着されないようである。
石川県の能登半島にある曹洞宗の大本山 総持寺と言う寺があります(神奈川県の川崎にも同じ寺があります) 或る年毎年の行事として従業員の慰安旅行でこの能登のコース金沢の兼六園などを廻っていた時に
総持寺にも連れていかれました。
寺の内部を廻っていて感じたのは人間が住んでる暖かさが少しも感じられなかったのです。
其の後廻った中に小高い山の上に神社があるからとてガイドさんに案内されて従業員が登って行きました
私と家内は行かないと言ってバスに残り待っていたところ。帰ってきた従業員は皆気持ちが悪くなってしまったと言い出したのです。
「だから言ったでしょ。お寺や神社へは出来るだけ近ずかないほうが良いと」
この話を静岡の浅井さんに話したら。
「川崎の総持寺で修行している30代の坊さんが来るけど話してると、一番の楽しみは川崎のソープランドへ遊びにいくことだ。毎日の厳しい勤めもそれで我慢できると言ってる、話にならん」
「前に心のつどいの研修会を寺でやったら天井うらを大入道の膝から下だけの足の化け物がどしどしと音をたてて歩くので研修会にも夜眠ることも出来ない。真言宗の1200年もの歴史或る古刹だけども駄目だね」
と話されていました。いろいろなことがあって観音寺の和尚さんは
「寺や神社なぞへ年始参りなぞ行くものじゃありませんよ」
正法者は己自身を頼りにし。人に頼らず心の研鑽にはげみ間違った宗教指導者や寺や神社とか場所に捉われない自己の強さを持つようになれることが大切だと思います。