よく宗教の話を嫌う人がいます。最近特に多くなったと思います。

そのくせ そういう人達も結婚や葬式というと信仰もしてないのに、神式。仏式。キリスト教。

結婚式なぞは何でもありです。 普段なにも信じてない方々が。


何年か前に姪の結婚式に参加したところ。 ホテルのチャペルで神父がきて式をして最後に参列者全員が賛美歌を唄うことになって、 さあ 私は賛美歌など唄ったことなぞ一度もありません。

同席している方々を見ると堂々と唄っておられます。

私だけなのかな、賛美歌を唄ったことのないのは、

ところで結婚した本人たちはイエス様のことは知っているのかな、教えは分かっているのかな、父なる神に誓いますと言っているけど。儀式だから分からなくてもいいのかな。


葬式も一般的に仏式が多い。お坊さんがお経を上げてローソク。線香。焼香。合掌。

参列者の席順。焼香の順番。焼香のマナー。いろいろと難しい宗派によっても違う。このようなことは誰が言い出して誰が決めたのか。


ゴーダマ ブッタがクシナガラで亡くなられるときにこのような取り決めはあったのか。

インマネール イエスキリストがゴルゴダの丘にて十字架に架かって亡くなられたときも難しい儀式を行ったのかイエス自身がこうせよと言ったのか。


私が思うにブッタの当時。イエスの当時慕う信者や弟子たちは本当に涙を流し偉大なる師との別離に感謝と同時に私達は師の教えを守り行いを正し愛と慈悲の実践の人生を生きることを誓っただろうと思います。

間違いのない生き方を指導してくださいと天上の師にお願いしたのが。真の祈りだと私は思います。


お金が儲かるように。病気が治るように。良い学校に入れますように。あの人が自分を好いてくれるように。

事故に会いませんように。

商売繁盛。家内安全。無病息災。

お寺や神社へいってお賽銭を上げて合掌してなんでもお願いする。 それが祈りだと先人から教えられたから。


「こんなに一生懸命信心しているのに私はいつも人生がうまくいかない、本当は神も仏もいないんじゃないか。

あの人は何も信仰してないのに経済的にも恵まれ。からだも健康。家族も皆仲がよくて幸せそうだ。」


宗教の指導者達は本尊を拝み献金しお経をあげ祈ると良くなると言われるがちっともよくならない。ますます苦しくなる。


教会では


イエスを信じる者のみ救われる。収入の1割は教会に寄付しなさい。


自力。他力。 良く考えてください。


拝んで祈って天からお金が降ってくることがないことは皆知ってるはずです。

一日中お経をあげていて働かなかったら。生活も苦しくなるでしょ。

人のことを羨む。妬む。憎む。悪口。他人はどうでも自分だけは。と思いつつ祈りお経をあげている。



もうお分かりでしょう。 祈りの本質が


自分で努力しないで何とかしてください。

人に頼る。守護霊に頼る。神に頼る。


行為無き者に光は与えられません。


「私はこのように思い。このように行おうと思います。もし間違った思いや行いをしょうとした時は我に苦しみを与え気づかせてください。

正しい行為の実践を行うにあたり悪しき者の介入からお守りください。」


信次先生は 


「自力の中に他力の光を与えられる」


正法を学んだ。信じてる。信次先生は正しい。本は一杯読んだ。反省もしている。


祈りというものの意味を今一度よく考えてください。

自ら正法者と思っておられる方々初心に帰り。ご自分の思いに間違いはありませんか。

皆様の調和と安らぎを願ってます。