亀田俊和『南朝の真実 忠臣という幻想』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー),2014年6月,978-4-642-05778-3


「不忠の足利氏、忠臣ぞろいの南朝」―こうした歴史観は正しいのか。皇統が二つにわかれた南北朝時代の、皇位や政策をめぐって頻発した内乱と、複雑に絡みあう人物相関を詳述。本当の忠臣は誰か、新たな視点で描く。




知力も根気もないわたくしであっても僅か二、三日間の「合間読み」で読了しただけあって(?)、なかなか面白い。後醍醐天皇と行動を共にしない者も少なからずいた大覚寺統内部での皇位争い、全否定とすら言える北畠顕家による後醍醐批判(もう身も蓋もない)、そして室町幕府は実は建武政権の忠実な後継者である等々、極めて興味深い。ただ、個々の材料の組み立てにおいて、「そこまで言い切ってよいのか?」と感じさせる箇所も決してなくはないように思われた。本書の目的は、「南朝忠臣史観」というバイアスを退けることにあるのだが、かかる行論だと、実はもう一方のバイアスに繋がる恐れになきにしもあらず、とも考えてしまう。もっともこういう印象は、わたくしが依然として旧来の考えに絡め捕られている証拠なのかもしれない。


終わりの方にある、南朝の内紛と現代政治との比較に見られるように、本書には著者のサービス精神と言い得る分かりやすさが充溢している。しかしながら、「前代以来の武家の聖地であり、現代でも日本の首都東京を擁することからもわかるように、軍事的・経済的に重要な武蔵国」(p.100)や、「周知のごとく、現代の大阪府は東京に次ぐ日本第二の大都市圏である。南北朝時代においても、交通の要衡に位置する軍事的・経済的に重要な地域」(pp.136-137)といった表現は、筆の滑り過ぎではないか。過去における当該地域の重要性を、現在の状況を根拠にして論じるのは「主客転倒」というものだろう。また、「正儀は正儀なりに、正義感があり、日本の将来を考えた上で」(p.139)という、楠木正儀の幕府帰参に関する説明についても、果たして「日本」という言葉を使うのが時代的に適当なのかは疑問だ。


なお本書は、南北朝時代の通史というわけではない。そのような次第なので、この著者の手になるわかりやすい南北朝通史もいずれ拝読してみたい。今年4月に刊行がスタートし、第2巻もこの10月に成るという岩波文庫版『太平記』へのガイドブック的存在としても、期待を持ちたい。