霞を食べて死ににいく. -11ページ目

霞を食べて死ににいく.

全ての存在にまつはる(調和)ことができるように、

身魂を磨いていきたいと思います。

自分以外の存在のために命ある限り、

力を尽くしていこうと思います。

>>第六帖 (三五七)
 江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなる ぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申して ある通りになるぞ。一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。何れは 作物(つくりもの)取らしておくから、沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様である ぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。 をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行出 来ればその通り行くのぢゃ、神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、引込み思案せずに堂々とやりて下されよ。こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁(へ) も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ。二月十六日、一二の

“神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ”

この神示でもどこかに書いてありましたが、悪い霊を侮るなという意味の文章がありました。

悪い霊が自分を訪れても、認めて、諭す、という感覚を言ってるのかと思います。

霊媒師という職業がどういうものか、私にはわかりませんが、

霊を消滅させる、悪い物をやっつける感覚では無い気がします。

>>
 第十一帖 (三六二)
 日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。何も人民の心からぞ。食物無くなっても食物あるぞ、神の臣民、人民 心配ないぞ、とも食ひならんのざぞ。心得よ。二月十六日、ひつ九のか三。

これは将来的な共食いの暗示か?
心の洗濯を出来ていない者は共食いをするいうことだろうか?

江戸時代、東北で飢饉があった際、人肉を食べたという記述を

読んだ記憶があります。

もう一度、そのような状況になるのでしょうね。

全世界、同時に、地震、津波、火山噴火、疫病が起これば、

まさしく、そのような状況になるのでしょうね。

>>

第十四帖 (三六五)
 新しき世とは神なき世なりけり。人、神となる世にてありけり。世界中 人に任せて神々は楽隠居なり、あら楽し世ぞ。この世の頭(かしら)いたして居る者から、改心致さねば、下の苦労いたすが長うなるぞ、此処までわけて申して も、実地に見せてもまだわからんのか。世界中のことざから、この方 世界構ふお役ざから、ちと大き心の器持ちて来て下されよ。金も銀も胴も鉄も鉛も皆出てござれ。それぞれにうれしうれしの御用いくらでも与へてとらすぞ。こ の巻かチの巻。ひつくのか三、二月十六日。



ここの記述は、古事記(ふることふみ)に書いてあることだと思います。

もう一度、古事記に書かれてあるよう事が起こっていくのでしょう。


新しき世とは、下が上に行く仕組みだと思います。

下、上というのは身魂の洗濯度合いの事です。

上が下に来る世ではないのです。

だからこそ、改心ない身魂は、灰にするしかないという事なのでしょう。