この神の許へ来て信心さへして居たらよい事ある様に思ふてゐるが、大間違ひざぞ。この方の許へ参りて先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。苦しいこと出 来て来るのが御神徳ぞ。この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。わかりてもわからん、出来ん事致さすぞ、神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。静かに神示よく肚に入れて御用して下され よ。神の道 光るぞ。旧一月十五日、一二
ここの文章は結構大事です。
説明不要です。書いてある通りです。
あえて言うなら、
>>この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。わかりてもわからん、出来ん事致さすぞ、神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。
傍から見ると苦しそうに見えても、当人はあまり苦しんでないという事でしょう。
かつての自分からしたら無理なんだけど、
今の自分なら受け入れる事ができる、実践できる状態と言えばいいでしょうか。
日月神示の話から離れて…
最近の私は、この世では生きていけないなって痛感しています。
人間的な生活をすればするほど、病気の症状がひどくなるのが大きな理由です。
今の世は自然の在り方から離れ過ぎていると思います。
これは自分が愚かなだけかもしれないですが、
神様と調和(まつは)って、体が元気になれば、
神様と調和るのを止めてしまうんです。
本当に愚かだと思います。
信仰心とかは変わらずにあるのに、出来なくなるんです。
神様と調和りながら、生きていくのが理想です。
ただ、それが出来ないで、終わりのない苦を感じながら人間的に生きていくだけなら、
神様と調和る結果、この世の終わりを迎えようとした方が良いと思ってます。
苦しみに耐えられないのが辛い、という訳じゃないんです。
神様に調和れないこと、仕へる事が出来ない事が辛いんです。
この感覚、わかりますか?
神様と調和る結果、なぜ、死ぬのかって疑問に思うかもしれませんが、
私の体が病気に侵されているから、としか答えられません。
本来、神様と調和る事が死ぬ事に繋がる訳じゃないです。
ただ、私の体は症状を出さないために、食べ物を食べないという事をする時があります。
症状を出さないために、食べ物を食べなければ、いつか死にます。
病気を悪化させる原因は見つけました。
ただ、それを摂取しないように生きていくのは、
現代の社会では不可能に近いんです。
それほど、ありふれているものが原因物質だったら、
それを回避するのは無理なんです。
解決策は、神人、仙人、になるか、光合成ができるにようになるか、
霞を食べて生きていられるようになるか、どれかです。
また、話は変わって…
私は一時的に不還果に到達しましたが、
日常生活では一来果の時が多いです。
1日の7割は一来果で、3割は不還果と言えばいいでしょうか。
人生は振り子です。それは霊界に行っても振り子だと思います。
進んでは下がり、進んでは下がり、の繰り返しだと思います。
徐々にしか進む事しかできません。
日々、実践していくしかないです。
まだ、もう一回あるのかと思うと、ため息が出てきます。
思い悩むって程じゃありませんが…
世界の真理を知り、瞑想して直感として感じたのは、
すぐには出来ないだろうなって事です。
ちょっとぐだぐだですね。すいません。
話は変わって…
日月神示を読むだけでなく、それ以外も本とかネットで読んでいます。
他の参考になるものを紹介します。
スウェーデンボルグという人の本(有名だと思います)。
阿羅漢果を、天界のどこと言っているのか、
もう少し、読まないとわかりませんが、この人が言っている事は真実でしょう。
霊界(天の理)が主で、肉体(この世)が従だと、私も思います。
そうそう、阿羅漢果=神人です。
お釈迦さまが阿羅漢果の境地に行った時代は
他にも阿羅漢果になった人がいたみたいだから、
そういう時代がまた来る必要があるのでしょうね。
ひふみ神示の~柱の記述はその状態になった人の数でしょうから。
今回はぐだぐだです。すいません。