子供の頃学校に行くのがあまり好きではなかった。不登校児になっていたわけではないが風邪を引いたら多めに休んでいた。1週間位休んだこともあった(笑)。
そんな私を認めてくれた小学校3・4年の時の担任の先生との思い出を今回は綴ることにしたい。
算数が結構好きでおもしろおかしくその当時勉強していた。乗数で面積が2乗、体積が3乗となることを知った。その次の4乗って何かなぁと思って算数の授業の時先生に質問した。
同級生の友達は、「そんなんないに決まってるやん。」みたいなことを言った。確かにそうなのだが、だったら何故ないのかも含めて私は知りたかったのだ。
先生の答えてくれた言葉は今はもう覚えてはいない。しかし、私の納得できる内容であったことは確かであった。先生の眼は優しく私を見てくれていた。私は先生は私のことを認めてくれているんだと思った。
物理を多少なりにもやった今思えばこの質問はナンセンスなものではなかったのだと分かる。
勉強のレベルでは無視されてしまうことが学問のレベルでは大切なこともある。だから子供の何気ない質問の中に実は真に迫る重要なことが含まれているかもしれない。大人はそれを見極めてあげられなければならないがなかなかそこまでの人はそうそういないのも事実である。
私は運よくその人に巡り合うことができた。物事をじっくり考えていくことの大切さと、裏と表の両面から物事をとらえることの必要性を先生は私に教えてくれたのである。
小学校を卒業して何年かたった頃、先生が私に会いたいとの連絡があった。私は先生に会いに行った。先生はそのとき末期ガンで自宅療養中であったのだ。
何をその時話したのか、これも記憶にないが、やはり先生の優しい眼が私をみつめていたことは覚えている。
先生は別れぎわに握手をして、「きみの思うように生きていって下さいね。」と言われた。私は一言、「はい。」とだけ答えた。
それから幾日かたって先生から手紙が届いた。将来なりたい者ということで、私はみんなに喜んでもらえるそんな人になりたいと作文に書いたことがあった。
他の生徒はなりたい職業とかを書いたのに私だけがそんなことを書いていたので先生は驚いたという内容が手紙に書いてあった。
そして、「今のその気持ちを忘れずに持ち続けて下さいね。先生遠くから応援してるから。」と書いてあった。
遠くからという言葉に涙が出てくると同時にそんな先生の温かな気持ちに感謝の念で心が一杯になった。
「先生、私のことを認めてくれた先生のようになれるよう頑張っていきます。だから遠くからあの優しい眼で見守っていて下さい。」、と心の中でつぶやいた。
<対応年代:幼少~10代>