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「選ばれる講師」~企業・研修会社に選ばれる講師/Brew(株)

人材育成業界、研修・セミナー、自署である「研修講師が企業・研修会社から選ばれる力」に関するお話。研修業界18年。1000人以上の講師に会い、自社でも350名の登録講師がいる。好きなワードは「なんかおかしくない?はイノベーションの種」

さて、この振り返りブログもいよいよ最終回

 

9年目~そして、未来へ~

をお届けしたいと思います。

 

 

 

 9年目

9年目、2022年4月から2023年3月
つまり、コロナがいよいよ収束していくか、といった時期です。

 

私自身はコロナ1~2年目を経て、ようやく肚が座ってきた感覚でしょうか。

悲観的な自己イメージや、~せねばならない、といったものは置いておき

とにかく、会社の体制を整え大きくしていくことに、シフトした1年でした。

 

長年取り組みたくても取り組めなかったホームページリニューアル
前にも書いた、弊社初のオリジナルコンテンツ「組織発酵学」

弊社人気講師に依るeラーニングサイトの完成

縁故以外での採用、紹介会社や人材募集サイトなどを使った採用
給与や福利厚生などの制度を拡充させること

色々なマニュアルや方法などをまとめていくこと

 

こうした、土台となるもの

拡げていくための、会社としての基礎体力のようなものを
拡充、アップデート、整えていきました。

 

実は私は、元々は営業系、またはアイデア創出などの企画系の人間なので
この中でも、マニュアルや事務領域は、得意ではありませんでした。
それでも、会社にスタッフが増えていくことだけをイメージして
あとは他力を借りながら進めていきました。

 

お陰様で、お客様も増え、シナジーが効くような営業体制も整い

売上、利益共に過去最高という結果に終わることが出来ました。

 

 

 

 そして未来へ

さて、振り返りはここまで。
あれ?10年目は?

そうなです、まだ正確には9周年で、10年目突入であったことに、実は先月ぐらいに気づいたのです。。。10周年を1年フライングしちゃったのです、、、あわわわ
まあ、こんなそそっかしい、あわてんぼうなところも、僕らしいかな、、、と。

 


さて、今回この9年間の振り返りをさせていただいて、とても貴重な機会になりました。自分が通ってきた過去ですが、改めて「今」から「過去」を見つめ直すと、これは、捉え方や意味付けなどが、書き換わる機会になったのです。

 

 

私自身の思い込みや、低いセルフイメージ、差別化しないと企業は存続できない、などなどの過去の自分の下した見方や捉え方、そこから生まれた行動。今から見ると遠回りした点もありますが、それはそれで意味があったのではないか、と思うのです。

 

だからこそ、やっぱり
自分=主観だけで判断することは、思い込みや偏った捉え方につながってしまうのだな

そういう傾向や癖がある、と大いに理解できました。
 

これは自分だけではなく、誰にもでもあることでしょう。

よって、自分を映す鏡、壁打ち相手、など客観視する機会が欠かせない

と改めて感じたのです。

 

 

そして、もう一つ、いつもと違う場=越境する機会も欠かせない、と感じました。自分の業界、ビジネスパートナー、業界の慣例だけで動いていると、視野狭窄ですし、新しいアイデア生まれませんし、そして自分達を客観視する機会に乏しくなってしまうからです。

 

 

弊社のビジョンは

「学びを通じて成長、挑戦、イノベーションを」

この実現のために、自身、そして会社自身を客観視し、越境する機会をポジティブに設けながら、ますますの自らの成長、イノベーションを図ってまいります。

 


これからも皆様のお知恵やお力をお借りしながら、弊社は邁進していきます。
この10年突入の区切りに、ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
ここに、厚く厚く御礼申し上げます。

 

2023年5月22日
Brew株式会社
代表取締役

原 佳弘

 

 

 

 

 

創業10年をまもなく迎えるにあたり、過去を9年間を振り返る企画。

今回は、7年目~8年目について振り返ってみたいと思います。

そう、あのコロナの真っ最中のお話です。

 

 7年目

 

コロナの波は、対面業務が主体の研修や人材育成事業に、モロに打撃を与えました。2月、3月からポツポツ中止が舞い込み、業界最大の繁忙期であり売上も大きい、4~6月の新入社員研修の時期に、どんぴしゃりという悪いタイミングでもありました。

 

4月は、研修の延期やキャンセル、方法の度重なる実施内容の変更、オンラインへの移転など、もう死にものぐるいで対応していました。コロナではない平常時でさえ1.5倍の仕事量のこの時期、そこにさらに大混乱が!とにかく必死でした。キャンセルや延期などの悲報も多数あり、社会不安も増大する中で、仕事のモチベーションを維持しつつ、お金のやりくりを考えました。投資や積極的な活動を停止し、削減できる経費・固定費はなるたけ削りました。パートナーさんにも相談したり、頭も下げて回りました。その一方で、もう1つのことを考えました。

 

「講師も不安で大変だろうな」

 

多くの方が、仕事がなくなり「仕方ないですよね・・・」と意気消沈している声、B2Cに転身しようかしら、業界引退しようかと嘆く声、、という声が色々聞こえたり、感じ取れました。

 

 

そこで、こんな時代に出来ることはないか?という想い立ち、オンラインイベントやらコミュニティ活動など、不安を感じているであろう方々と”つながる”機会を企画しました。何のためになるか分からないけど、ないよりいいか、と。

 

こうした活動を続けている中、1つの境地に経ちました。

コロナはもう数年続くたろう、、、

元には戻らないだろう、、、
だったら、、、

という視点に立ち、11月ぐらいにある決断をしたことをよく覚えいてます。

 

「もうなりふり構わず、やるしかない」

「私自身もいいカッコしいをしていられない、今こそ毒を出そう」

「なぜ、Brewという社名を付けたのか、今こそそれを形にする時期では!?」

 

こうして、自分の中に熱いものがこみあげてくる、居ても立っても居られない
そんなジワジワ”発酵”の”きざし”が生まれてきたのでした。

そうです

この時に、組織発酵学の萌芽が芽生え、弊社のeラーニングサイトを作ろう!、と2つの新規事業を立ち上げることにしたのでした。

 

しかし、7年目の売上は、そうは言ってもやはりかなり減少しました。ただまだ当社は規模が小さいので「まだまだ影響が小さい方だ、周りはもっと大変だ」と感じていました。同業さんの中には事務所撤退、社員縮小、事業縮小、などの声も多数聞こえていました。

 

 

 8年目

 

 

コロナ2年目。この年の方が、実は「もどかしい!」想いをした1年でした。皆様も経験されたと思うのですが、コロナがやや治まってきたかと思うと、また流行して、の繰り返しの中で、仕事もアクセル踏んではすぐブレーキを踏む、という繰り返しだったので、疲れた・・・という印象が強く残っています。

 

ただし、行動は明快でした。そういった、二転三転しても、焦らない、反応しない、やることやる。「だって、コロナだもん」そういう心境でした。自身も前年にコロナ罹患して、辛い想いをしたので、そりゃそうなるよね。諦めの境地・・・とまで高尚ではないのですが、ある意味淡々とやっていました。

 

 

そして、2つの開発プロジェクトを遂行し完成に邁進していました。eラーニングのECサイト「きざし」、そして、弊社オリジナルのコンテンツ「発酵」にまつわるソリューションの開発です。組織発酵学の開発にあたっては、シンプルに、自分自身の経験やクライアントの社員さんが、よくつまづくであろう事をコーチの方と対話しながら抽出し、微生物の発酵の世界の先人達に教えを請い、そしてU理論や成人発達理論、量子力学や、武道の先人の叡智などを、ぐるぐる混ぜて落とし込む、これをを繰り返していました。

 

 

この2つのプロジェクトを苦悶しながらも、2歩進んでは1歩戻る。。。そんな1年でした。

 

会社の方は、お客様やスタッフのお陰でしょうか。売上が回復し、コロナ前の売上に近い数字に戻ってきました。「あら?頑張らずとも数字が出る」これは自分にとって、新しい発見でした。また、この時期に出会った方にスタッフとして入っていただくことになったり、自分がジワジワ発酵していくことを体感した時でした。

 

 

 7~8年目をまとめると

 

この2年は、まさに窮地に追い込まれたからこそ、次のアクションに踏み出せた、もうこれに尽きます。まさに「陰極まりて陽となす」「陰中に陽転のきざし」を肌で感じたものでした。さらに、ここでも、自分の思い込みやイメージが大きくブレーキをかけていたことに、後々気づかされるものでした。

 

1つは、前にも書きましたが「自分が講師をするなんて・・」という自己過小評価。

もう1つは、会社の事業に対する思い込みでした。それは、商品を差別化しないと、ニッチな尖ったものにしないと、他社がやっていないサービスでないと、、、という大いなる誤解でした。自分は、マーケティングを専門としてきたこともあり、差別化、専門性、オリジナリティがなければ売れないのでは? だから・・・と、必死にそこに力を入れてしまったのだと思います。

 

それが、コロナでもう何でも売ってやる!に書き換わり、お客様が求めるなら何でも提供していく!となったのです。会社を維持していくためには、こだわっている余裕がなかったのです。

 

こうしていくことで、お客様との接点が増え、スタッフも売りやすくなり、提供範囲も拡がりました。そんな当たり前のこと、、、と今なら思いますが、自分にとっては大事な経験・プロセスを遠回りしてでも通る必然だったのでしょう。ある意味、持論=自分の正解を振り回していた、お客様にも無理強いしていたのだ、とさえ思うのです。

 

 

次章、最終回「9年目~今後に向けて」をお楽しみに

 

 

Brew株式会社
代表取締役

原 佳弘

 

 

 

創業10年をまもなく迎えるにあたり、過去を9年間を振り返る企画。

今回は、4年目~6年目について振り返ってみたいと思います。

 

 4年目

 

1~3年目は爆走してきたけど、3年目にアレコレ手を出して伸び悩んだ。

そして、アルバイトなど採用に苦手意識を持ってしまった、
そんな3年間でした。

 

4年目は、さらにその混迷や迷走がさらに深まってしまったのです。

法人向けに研修や人材育成の支援をする、というアクションは取りつつも、なかなか新規取引が開拓できないままでした。講師にお願いして、無料紹介セミナーをやって、リストを作って、アポイントを取る、と基本の基本のアプローチを継続していましたが、なかなか獲得できない、そんなジレンマに陥っていました。

 

一方で、大手エージェントからの業務は順調に拡大していきました。この仕事は、当社の固定費を賄い、かつ新規で仕事をしていくための投資にもなり、かつ信用力向上などの面でも非常に有り難かったものです。しかし、ここに甘えてしまったとも、言えるでしょう。

 

新規がうまくいかない、しかし切羽詰まった状況ではない、ということで何をしたか、というと、人があまりやらないことをしたい!と全く違う方向へ走り出していました。宇宙のビジネスとか、著名人と組んでの人材育成とか、香港のセミナー会社と提携とか、顧問業とか、、、。誰かのお役には立っていて、お金も入るのですが「軸がない!」「次に繋がるシナジーがない!」こんな状態でした。

 5年目
 

5年目、ついに当社初の対前年比売上微減、つまり売上ダウン、という衝撃の結果を生んでしまいました。創業以来の大手クライアントの喪失、その他担当者の異動などによって関係性が維持できなかった、そういった事が原因でしたが、そもそもは、新規の拡大ができていない、ここに尽きました。

 

そして、当社初の社員採用を行いました。業界や法人営業の未経験者であったこともあり、徹底的に伴走しました。案件を獲得して、受注する、という喜びを味わって欲しくて、手取り足取り伴走しました。また、本人の希望もあり、講師業もやってみたい!ということで、営業+講師の「二刀流」育成にも挑戦していきました。
 

営業力がアップした!と油断していたのでしょうか、結果の数字があがってこない、逆に落ち込んでいる、そんな危機感にようやく自分が何をしたくて起業したのか?ここを改めて問い直しました。

 

その結果、「研修をやりっぱなしにしない!」というコンセプトにたどり着きました。パートナーのN社N社長のおかげです。企業にも、講師にも、このコンセプトで打ち出していったのです。HR業界の展示会でも、この時に「研修はイベントじゃねー、アンケート取って満足してんじゃねーよ」と吠えていたのが、この頃です。

 

 

 6年目

神様は見ているのでしょうか。コンセプトを絞って、そして遠慮していたストレートな声をお客様に伝えたところ、共感してくださるお客様がポツポツと現れ出しました。また、スタッフが撒いた種も少しずつ花開き、かつ私の負担も減ったことで、より大事なことにフォーカスできるようになっていったのです。

 

結果、取引先が急増し、売上も見事に増加傾向に転じました。昨対で2倍になろうか、という勢いでした。「このままやろう!」「また採用に挑戦しよう!」そう思っていた矢先に、あの「コロナ」が2月にやってくるのです。中止、延期の連絡が続きました。売上2倍になろうか、という想定もコロナでそこには到達できず、という着地になりました。

 

コロナがやってくる直前にベトナムホーチミンに行きました。海外の人材育成市場の視察、模索でした。現地では日本人の宿泊やタクシー拒否も出始めており、帰国する前日に「ホテルマジェスティックサイゴン」の屋上のBARで「これから大変なことになる・・・」とつぶやいたのを、よーーく覚えています。

 

 

 4~6年目をまとめると

 

はい、もうこの頃は完全に逃げていました。

新規営業はするものの、軸がないから、自信がないから、売れない

諦めて他の仕事に逃げる、そこでまあまあ褒められて 目を背けたままになる

 

もう1つ今だから言うと、自分が講師登壇することからも逃げていました。

よく聞かれたのです「原さんは講師しないの?」
僕はこう答えていました「いや~僕より優秀な講師が沢山いるので」

これは、僕が前職でハイクラス講師を沢山見てきたから、遠慮、敬遠していたのですが、完全な逃げでした。恐らく、その時のお客様は「原さんが講師やったら良さそうなのに?」という意味で聞いてくださっていたのに、僕はトンチンカンな、期待外れな返事をしていたのです。

 

とまあ、僕にとっては暗黒の3~5年目から、最後6年目にようやくエンジンに火が着いた状態です。ただ、この後コロナがやってきます。次回の7~9年目に、コロナ中にどう奮闘していったか、ここが本当に勝負だった、と感じる最終章。是非お楽しみに

 

 

※振り返り~その3へ続きます

 

 

Brew株式会社

代表取締役
原 佳弘

 

 

 

 

お陰様でこのブログを書き始めて、10年が経ちました。

サラリーマン時代に、会社を辞めるまでの100日をカウントダウンしていって
意識を高めていこう! そう思って始めたこのブログ。

創業してからは、研修講師や業界の方向けの内容を書いて参りました。

 

そして、当社は5月に創業10年を迎えます。

そこで、これまでお世話になった方へ御礼とともにこの10年を振り返りたいと思います。

 

 創業1年目

 

2014年3月末に会社を退職し、5月に法人を設立しました。

前職と同じような仕事を選択したので「1年間は前職とぶつかる同じ仕事をしない」

という競業避止をすることになっていました。
まあ、1年ぐらい1人は食べていけるだろう、他の仕事を作ればいいか…

今思うと、結構安易に考えていたかと思います。

 

そこで行った仕事は、BtoT=フリーの講師向けのビジネスでした。

研修講師、セミナー講師向けのサービスを取っていこうとしました。

(今までの仕事を俯瞰して、お役立てるのは誰か?という判断でした)


(当時のセミナーバナー ワタシの写真 若いけど、クセが強い、、、)

 

また、シェアオフィスさんのマーケティング支援や

社労士事務所さんのマーケティングコンサルティングなどの仕事を

ご縁からさせていただいていました。

(この仕事があったからタスカッタ!)

 

ただし!
想像していましたが年商1,000万円にも程遠く、恥ずかしい数字での着地でした。

当時の税理士さんからは「これでは法人とは言えないですよね、、、」

とやんわり言われたことを覚えています。

 

 創業2年目

 

2年目は、フルパワー全開です!

法人営業をしまくりました。特に大手エージェントさんや大手企業でご縁があるところに

精力的に接点を作り、機会があれば提案書書いて!それこそ寝食を忘れてやっていました。

お陰様で、2年目には売上が倍以上になり、なんとか安心したものです。

 

そして2年目は忘れもしない有り難い事として、人生初の「出版」がありました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4495531816/?coliid=INS6PRVNU4Z5P&colid=1E6HGVJ37F9DK&psc=1&ref_=lv_ov_lig_dp_it

”研修・セミナー講師が企業・研修会社から「選ばれる力」(同文館)”

サラリーマンを辞める直前の2月に出版企画が通り、1年目に執筆していました。

もともとは、類書で商工会議所で講師にになる~という本があり、周囲を見てもこれから講師が増えるのでは?という読みからでした。

 

その本が、2年目の夏に発売となりました。とっても嬉しかったのを覚えています。

書店営業をしたり、セミナー登壇して売ったり、生まれて初めて広告出稿したりしました。

そのお陰で、弊社への登録講師が増えました。
弊社への信頼度も恐らく高まったのではないか、そう思っています。そのお陰で法人営業もシナジーが効いていきました。ただ、色々な事件があり、また力なく増刷できず、「出版」というものに大きな苦手意識を持ってしまい、今に至ります。

 

 

 創業3年目

 

3年目は、実は売上は微増に留まるという燦たる結果に、とても焦ったことを覚えています。

 

出版のお陰で、講師からの相談が急増しました。個別にミニコンサルから本格的な育成コンサル(講師の軸を発見していくもの)まで、幅広く1人1人カスタマイズでお手伝いしていました。

 

その他、地方創生の仕事に手を出したり、また仕事の延長線で書いた「ビールの売り子」記事を東洋経済オンラインさんに取り上げて頂き、爆発的PVを取ったことから、連載化して執筆したり(そのために売り子さんに取材を10人とかしてました)、あげくには雑誌やテレビでも取り上げて頂きました。それはそれで、嬉しかったですし、人と違う事をやっていて楽しかったのです。

 

 

 

しかし、このように、頼まれて面白そうだ!とアレコレ手を出してしまう「好奇心旺盛なワタシ」が出てしまい、本業の営業密度が下がってしまったのです、、、


 

また、初めてアルバイトを雇い、セミナーの受付や研修の準備業務などをお願いしていたのですが、急に来なくなったり、急に仕事を怠けたりと、上手くいきませんでした。これも、今考えると、何も仕事も整理されていないし、会社の方針や方向性も明示できておらず、かつ仕事の種類もてんでバラバラだったこともあり、これでは定着しないよな、と思うような状態でした。

 

この時の残念な記憶が、私にはトラウマとなり「やっぱり採用って僕には向かないや」と1人で法人を続ける方向に、縛られてしまう原因になってしまったのです。

 

 

 3年目までをまとめると

創業から3年は、孤軍奮闘でよくやっていたと思います。

本当に、あまり寝ないでやっていたことを覚えています。

それもそのはずですね、仕事もアレコレ手を出し、今のようにオンラインもないので、すべての営業活動から打ち合わせまで、出かけていって面談し、講師育成も個別に1人ずつやっていました。社内の体制も未整備ですし、税務や総務などもグチャグチャのまま、1人でよくやっていた、と思います。

 

そして組織として、売上も2年目からは順調に増えていったこと、これ自体は3年目までは良かった事だったと言えるでしょう。それもこれも、当時協力してくださった講師たち、そしてお客様に恵まれたこと、これに尽きるでしょう。

 

ただし、会社がどこに向かうのか、何を中心としてやっていくのか
この軸やビジョンの不明朗さが、決定的に欠けていたな、と感じます。

とにかく営業!面談!ご縁!と猛烈にやっているのは「僕らしいな」と思うのですが、もっと俯瞰したり、立ち止まって視野を広げたり、あるいは絞る、止めることも必要だったのではないか、そう思うのであります。

 

 

※振り返り~その2 につづきます

 

Brew株式会社
代表取締役

原 佳弘

 

 

 

 


 

久しぶりの投稿となります。

明日から、3月。
いよいよ業界最繁忙期の新人研修の4月がやってきます。

今年も弊社も多くの講師に依頼をさせていただいています。

 

そんな中、いろいろな講師の反応や行動、態度から気付かされることがあります。

「あ、この講師はいよいよ成長してこられたな~」

「お、何か掴んだみたいですね、評価もあがっていますね」

「あら、ちょっと自信を失い気味ですかね、また諦めないで応援しています」

そんなことを感じることは、多々あります。

 

しかしながら、逆に「講師の仕事が軌道にのってきてアラーム=危険信号」

を感じることも少なくありません。

 

 

その1つが「要望が増えてきたら要注意!」なのです。

主催者に、会場はこうしてくれ、人数はこの中で増減させないでくれ

あの道具は欠かせないからこれ指定で!

開催前に完全な情報を提供して欲しい

受講生には○○を徹底させて欲しい

 

こういった要望です。

 

講師として、良い現場を創りたい

受講生にも、最適な環境で受けさせたい

 

そういった想いであることは認めます。

よりよく~の前向きな気持ち、前提なのでしょう。

 

しかしながら、それが「講師の我、頑固な押し付け」になっていないでしょうか?

という事なのです。ある程度の柔軟性、その場その場の対応力で、研修をハンドリングするのが、講師という職業、役割なのではないでしょうか。

 

私もこの業界は、20年弱おりますが、昔はそれこそ何ら準備ができていない研修環境も多々ありました。プロジェクターもあるはずがない、エアコンが壊れていてアッつい部屋で講義、受講生も何を学びに来たのか理解していない、、、、

本来、これらは事務局(人事)か、研修会社などが、事前になるたけクリアにしておくべきでしょう。ただ、完全に、完璧にいつも研修準備ができているとは限りません。

 

そこは、本来 講師の腕の見せどころなのではないでしょうか。

 

どうでしょう
良い要望と、自分の我が出た要望
今一度、チェックされてみてはいかがでしょうか?


2023年2月28日

 

Brew株式会社

代表取締役

原 佳弘

 

 

https://brew-ing.com/