東北関東大震災で、音楽なんぞ悠長に聴いていられるような心境には、国民の一人としてなかなか気が引けたここ数日でした。福島原発の惨状とか見とったら、今の政権には到底まかせてはおけんと思いながら、後ろ髪引かれる気分で(嘘つけ、無いやんけ!)、久々にRDMレビューといきまひょか~。
 で、本日のお題はザ・ゴッズ。その1stの『Genesis』。このグループは誰もがご存知のように、ユーライア・ヒープをのちに結成する、ケン・ヘンズレー(キーボード)、ポール・ニュートン(ベース)、さらにはキング・クリムゾン、EL&Pに加入するグレッグ・レイクなど、さらにはミック・テイラーなども在籍しておりました。70年代英国ハード&プログレの王道を語る際に便利なグループという位置づけのバンドと言えそうです。ヴォーカルやコーラスにはやはり後のヒープを彷彿する雰囲気は既に持ち合わせております。ハード・ロックというにはまだまだ中途半端で、ニュー・ロックという形容がやっぱり一番妥当かも知れませんね。しかしながら、十分ポップですので、アングラ然としたものを期待すると失敗するかも知れません。ところどころ英国らしい叙情的な感覚満載でもあるし、6曲目「Radio Shaw」なんぞはキーボードの唸り加減がたまりません。それにしても、聴けば聴くほどコーラスはヒープそのものですね。
 おう……、ギター・ソロもけっこうカッコええな、誰なんでしょこれ?

$せみま~るとRDMのブログ-the gods

THE GODS / Genesis
1968 Columbia EMI S(C)X 6286
 あのな~、こういう大地震とか大災害がやってきて一番腹が立つんが、ボランティアや義援金を煽り立てるラジオやテレビじゃ。あいつらは、普段は、政治家や国会議員の圧力団体でおるけども、いざ、今回のような激甚災害がひとたび起きると、こんどは国民や視聴者・聴取者への圧力団体へと早変わりしよる。なんちゅう調子のええ連中なのでしょうか。そして、まず、これは特にラジオ。ABCとか聞いててもそうや。三代澤康司とか妹尾和夫とかそういうパーソナリティが、煽る煽る~~! 煽りたおしまくる!

 「我々一般市民に出来ることって何があるんだろうか?」

車ん中で聞きながら、一言、家で屁えでもこいて寝とったらええ。とブツブツいつも言っております。なんかこういうのってイヤですね。何もしようとせんヤツはさもロクでもない非国民とでも言いたげに聞こえるだけにな。じっさい、強迫観念にかられて、義援金を送金しに行く気の弱い人とか出て来るかも知れんぞ。
 ほんで、義援金の事務局のヤツが中抜きせえへんという保障なんかゼロではないやろし。領収証とかくれるようなもんでもなさそうやし。ラジオで津波のように迫ってくる感じの義援金の強要に見えてしゃーないねんけど。それで、こういうことを、ワシみたいにほざくやつは、「せっかくみんなが暖かい善意で盛り上がってるのに、そういうこと言うなんて、サイテー!」とかレッテル貼られるんかも知れませんな。それこそ人それぞれじゃ。
 昔からワシ、ボランティアなんてのは大嫌いでした。無償の行為とか、良い事ほど隠れてやれ!というのが一応、自分の美学でもあるので、どうもあの阪神以降のボランティア活動の推奨にはうさん臭いものしか感じないのが本当の気持ですね。実際のところ、阪神のときも、被災民にとって有り難かったのは自衛隊の方々の献身的な働きだったと聞きます。やっぱり、プロに勝るものはないんだから。そんなことより、地元で、地元が被災地なら申し訳ないけど、地元が平穏なところだったら、そこで普段通り仕事でもしといたほうがええですね。「我々一般市民に出来ることって何があるんだろうか?」はそれや。それでのうても、景気悪いねんから、そっちのほうで盛り上げたったほうが生産的でええで。余裕で払える人が義援金を振り込めばよろしい。
 
 それと、あんだけ「我々一般市民に出来ることって何があるんだろうか?」とラジオは言ってるんだったら、被災民を関西の各々ご家庭にステイ(居候)として2~3人受け入れるなんてことも、マジで考えたらどや。うちの母親なんぞは、「そら~にぎやかになってよろしい」と無邪気に歓迎しとったな(…)。そんなにボランティアやりたいんやったらなんぼでも喜ばれそうな方法考えつくやろ。仮設住宅をぼこぼこおったてること思えば、安上がりと思うけどな。もちろん被災者ステイでも、被災民から食費くらいは都合してもらいますよ。だいたいやな「関西人はコワイ」と東北の人には誤解されとんねんからな。それを吹き払うには、ええボランティアとちゃうけ。「関西人は情に厚い」てオマエらラジオの連中はゆうとんちゃうんけ?
 それやったら、推奨していかんかいや、大阪ABCラジオ放送局・三代澤康司に、妹尾和夫~~w
 最初7.9だったマグニチュードが、8.4になり、こんどは8.8になり、13日になって9.0と変更された。この数値は史上歴代4位だそうな。インド洋大津波のほうは9.2。6年ちょっと前に見た家や車、ばらばらに軋みながら流れる光景を小高い丘の上から眺める気分というのは、いったいどういうもんなやろうな。いざ自分がその当事者だったら、どういう反応をそのとき示すか、その場に居合わせて見ないとわからんかも知れんな。悲しいとか悔しいとかそういうのを通り越した、何も感じないような気持にひょっとしてなってしまうんかな。なってみんとわからん。安易に気の毒にとか、可哀想とか同情してしまうのが誰もが思う普通の気持なんだろうけど、じっさい、どう声をかけてみたらええか、かける方もかけられる方もわからんのと違うかな。要は何もかんも失うってしまってるんやで。ましてやその家に家族や猫とかおってみいや。そらもう、普通の神経してたらたぶん気が狂ってしまうのが自然なことのように思えるんとちゃうか。ワシでもケタケタ笑ってしまうんかも知れんし。
 
 昔、『あしたのジョー』という漫画で、矢吹丈が宿敵・力石徹との対戦で、こめかみへのフックでロープの最下段に変な形でダウンさせ、それが原因で死んでしまったというのがあった。ライバルを事故とはいえ自分のフックが原因で死なせてしまったことに、ショックを受け、ジョーは試合後絶叫してしまう。その後、力石の葬式があったその日、ドヤ街の子供を集めて相撲に興じ、行司を買ってでて楽しんでいるシーンがあった。悲しいのが極限まで行くと、人間はふつうの常識から考えたらおかしいような行動を取ってみたり、妙な心境になってもやはり不思議ではないと思う。しかし、いくらいっとき気を紛らわすようなことしたところで、辛い悲しいというのから逃れることは出来ないだろうし、いずれは受け入れていかなくてはならないもんだろうとは思うが、それを他人が言うのは残酷なことなのである。
 
 NHKなんぞを、見ていて思うんだが、阪神大震災が起きて16年、しょっちゅう何かにつけ、あのときの記憶を甦らせては、悲しい記憶を忘れさせないかのようなドキュメントを放送したがる。ああいう番組をやろうというプロデューサーの心境やセンスを、ワシはいつも疑って見ている。いちいち思い出させて何になる。忘れて切り替えてせっかく次に進もうという矢先に、おまえらそんなこと掘り繰り返して何になるんじゃと、そういう怒りがこみ上げて来て、チャンネルをいつも変えてしまうのだ。悲しい現実を受け入れるのは残酷な目に遭った当事者が語る問題であって、第3者はそっとして見守っておくもんだと思う。「ほんとに悲しかったですね~、辛かったですね~」って、「辛いに決まっとるやろが! アホか!」と、うしろからスリッパでぶん殴ってやろうかこいつ。だからワシに言わせるとそういうのは「優しい」とは言わない。単に憐れんで自己満足してるだけだ。
 人の心をほんとの意味でわかっていないセンスのないNHKは、こんどは阪神はフェイドアウトさせて、5年後20年後と、三陸の津波被害に遭われた一家族を追い続けるんでしょうな。そして涙を吹っ切って雄々しく理性的に乗り越えて行くそういう絵を求めたいんでしょうな。
 どこまで残酷なヤツらなんだ。