ほぼ2週間ぶりの更新です。
 いやあ~、ショックですね。
 元キャンディーズ田中好子さん死去、55歳。1977年頃のお笑い番組『見ごろ食べごろ笑いごろ』、小松政夫に伊東四朗らとキャンディーズの3人がレギュラーで出てて、キャンディーズの歌とともに、そっちの軽妙なお笑い路線が好きで、ワシはいつも愉しみに見ておったことを思い出します。その番組で有名なフレーズ「フツウの女の子に戻りた~い!」宣言で、翌年キャンディーズは名曲「微笑みがえし」を最後に解散してしまう。で、3人は普通の女の子に戻ったんかいなと思うと、全然そんな風でもなく、2年かそこらで、ランちゃんスーちゃんは女優に転身。歌の上手なミキちゃんは歌手活動をしばらくしてたと記憶してます。その中で、ぷっくらふくよかで可愛かったスーちゃんは、女優に転身する頃を境にえらくスリムに変身してました。そしてそのシェイプアップぶりが絶頂に達していたのが、原爆症のヒロインを演じた井伏鱒二の小説を映画にした『黒い雨』だったと思う。あの映画はシリアスすぎてテレビでしか見てなかったけど正視できんかったものです。スーちゃんの髪の毛がズルっと抜けるシーンとか痛々しく、しかもモノクロだったし…。まるっきりバカをやってた見ごろ食べごろのスーちゃんではなく、大女優・田中好子33歳がそこに出来していました。そのあたりから、スーちゃんのイメージはシリアスでストイックで慈愛に満ちてて、、、そういうイメージのキャラに変わって行ったと記憶してます。それこそ夏目雅子ともだぶるような薄命が約束されたような雰囲気があった。
 そしてプロゴルファーと結婚した1年後に乳がんが見つかり、そこから19年、誰にも告げずここまで来たと聞いて、ワシは最期まで白血病をひた隠しに急死した相撲取りの蔵間を思い出した。すべてにおいて周囲に心配かけまいと気を遣い、そういうストイックなまでの潔癖なパーソナリティが見てとれ、胸が痛いです。そーめんのCMも今日からは見られんし、まことに残念。
 
 思うに、女優になるために、本人は無理とは思ってなかったかも知れんけど、ダイエットも彼女自身の免疫力を低下させてしまったのではなかろうかと思う。そのうえ女優なわけだから、ストレスもたまるだろうし、しかも弟さんも骨肉腫で亡くされておられる。癌に冒され易い体質というのもあったんだろうと思う。
 ただ、この手の新生物は、不自然な生活を辞め、怒りたいときに怒り、笑いたいときに笑い、泣きたいとき泣き、甘えたいときに甘える、そういう生き方が出来ればかなりの確率で防げる病気であります。気性的にそういうのが許せなかったんかも知れません。他者には優しく、自分に厳しい、そういう人が癌リスクを負いやすい。とにかく悲しさ辛さを溜めてばかりいると免疫機能はズタズタになるということを、女優とかそういう厳しい仕事を今後めざす人は特に肝に銘じておいたほうがいいかも知れません。それにダイエットが加わると、さらに時限爆弾を抱え込むことになる。
 
 今、早期発見で癌は治る病気となってきてますけど、なったら最後、いくら早期発見でもいずれは再発を繰り返し、最終的には死に至らしめる高死亡率の死病であることには変わりません。マスコミや医療機関の流すテキトーな情報に振り回されないほうがいいと思います。おそらく人間ドック未経験の人ほど癌死は少ないと思います。みつかって、化学療法で、さらに免疫力も余計に破壊し、次の再発、次の再発てな感じで、まさに体中にテロリストに占拠されやすい環境を作ってしまうようなものです。そしてまた、1個出来たら、いずれ再発となりやすいので、医療関係にとっては、レア盤転がしの中古レコード・ディーラーと同じく、2度も3度もおいしい金の成る木であるということにも本能的に気づいておきましょう。

 
 キャンディーズ、スーちゃんのご冥福をお祈り致します。。。
 今年も米メジャーの野球が始まった。イチローは開幕から好発進で、早速マリナーズのチーム安打記録のエドガー・マルチネスの2247安打を11年目のしょっぱなに抜き去り、今現在2250本としています。今年も松井を3塁で刺した強肩を見ているとあと5年は大丈夫そうです。
 せみま~るは、こう見えて野球の記録オタクであった(前にも書いてたっけ?)。イチローの存在は記録オタクにとってはまさに宝の成る木みたいなものです。1994年の日本記録の210安打を達成したとき、5月くらいにとんでもないペースでヒットを量産する姿をみて、この選手、ワシの理想とするタイプの選手と直感してました。
 ワシの理想の野手、バッターというのをここで語っておきます。まず打率が350~.400をキープし、二塁打がシーズン終了時47本前後。三塁打が7~15本(多けりゃ多いほうがいい)。本塁打は5~23本まで。そして打点より得点が多く毎年90~110得点はしている。そして盗塁も30~50。これらを常時残し続ける打者こそワシの理想とする好きなタイプのプレイヤーでございます。てことは、ワシはクリーンアップを打つホームランバッターよりリードオフマンか3番を打つ好打者や中距離系が好きであるということでもあります。そういうところから行くとイチローは怖いくらいストライクな選手だったということになります。逆に近鉄にいたラルフ・ブライアントみたいに、三振も180個ぐらいする代わりホームランも49本ぶっ放すというのも好きではあるけど、理想は年間通じて安打は180前後、二塁打47が目安となっています。やっぱり相手守備陣にとって、よかったころの福留とか福浦、谷、その前後にイチローが絡むと、ホームラン打者を5人並べるより神経使うと思います。二塁打というのは即スコアリングポジションですから、相手ピッチャーに精神的切り替えをする暇を与えないということで、ソロ・ホームランで1点とられるよりきつい状況になるということです。そしてランナーためて一人だけブライアント、ラミレス級が回ってくると、破壊的ダメージは約束されたようなものです。
 ひところの2004年の巨人みたいに、各チームの4番をかき集めて259本の空砲をドンパンぶっ放しながら、優勝を逃してきたのなんぞを見ていると、約束された失点は、相手チームにとっても計算しやすいというのがあると思います。このチームは年間通じて200本はスタンドにぶち込むとなると、前後を徹底的に抑えるか、ホームラン打者には、ホームランだけを警戒して、さもなくば歩かせばいいという選択肢も与えることになります。バリー・ボンズなんかいい例です。敬遠だけで年間100以上でしょ。割り切れるってことです。もちろん状況にもよるけど。ところが、ハイアベレージで、二塁打、シングルに走塁の巧さも絡めての攻撃やそういうタイプの打者には、対策の立てようがないのです。
 実際ここ数年のセパの優勝チームは、どこも打率も高く、二塁打の数がダントツに多いのが目を引いております。去年のロッテもそうだったし、おととしの日本ハムも1番から8番まで全員20~40本の二塁打を放っておったと記憶してます。こりゃ相手ピッチャーも守備陣もたまらんでしょう。

$せみま~るとRDMのブログ-榎本喜八
榎本喜八(出典:日刊スポーツ出版社/月刊・野球党8月号「夢のスーパースター100人」1978年より)

 かつての昭和35年の大毎オリオンズ(現千葉ロッテ)のミサイル打線と言われた強力打者陣も、ホームランの総数だけでいえばたった100本です。しかしながら打撃30傑の上位の1位.344榎本喜八、2位.317田宮謙次郎、3位.313山内和弘の3名の安打数が、170、152、151。ホームランが11、12、32に対して二塁打が37、28、31とかなり多いということに気づきます。そして、ここで出て来た榎本喜八は5年連続160安打以上という昭和30年代ではナンバーワンの安打製造機で、首位打者も2度獲得してます。通算でも2314安打で409二塁打(歴代8位)してます。もう一人の打撃の職人、シュート打ちの天才と称されたた山内和弘は、2271安打、448二塁打(歴代3位)を放ち、二塁打の総数は福本(阪急ブレーブス)に1988年に1本更新されるまで、27年間日本記録でありました(現在1位は立浪和義の487本)。しかもその山内の持つシーズン記録の47二塁打も、1998年に近鉄バッファローズのクラークに敗られるまで41年間日本記録(現在は谷【巨人】のオリックス時代に記録した52本がシーズン記録)であり続けました。昨今では、球場も広くなり、二塁打も40本越える選手がチラホラ増えてきたけど、当時の狭い東京球場を本拠とする大毎オリオンズで、それだけの二塁打を量産して来れたというのは考えてみたら驚異といえましょう。

 これらの内容を総括して考えるとワシの理想のプレイヤーは、イチローを筆頭に、ここ30年くらいの選手では、ロイヤルズの名三塁手・ジョージ・ブレット(3152安打665二塁打)、レッド・ソックスのウェイド・ボッグス(3010安打578二塁打)、パドレスのトニー・グウィン(3142安打542二塁打)あたりになってきます。現役選手だったら、ロッキーズのトッド・ヘルトン(2236安打527二塁打)といったところでしょう(ホームランが多いのが気に食わんが…)。特にジョージ・ブレットが1979年に記録した、二塁打42、三塁打20、本塁打23はというトリプル・トゥウェンティーなんて芸当は、今後一生に一度もお目にかかれない強烈な記録だといえる。メジャーでも戦前に5人ほどがやっているらしい。翌年には彼は.390の高打率も記録している。それで、歴代4位の3630安打を生涯打っていたスタン・ミュージアル(カージナルス・3630安打725二塁打177三塁打)も20三塁打を2回記録しているが、もっともブレットに類するのは1948年の二塁打46、三塁打18、本塁打39であった。因にこのときのスタン・ミュージアルは自己最高の230安打.376、131打点で2冠王でMVPも獲得している。

 だからワシは、スポーツ新聞の打撃30傑では、安打数と二塁打の数ばかりに注目しておるのでした。
ホームランなんぞはアホな巨人ファンと子供が喜ぶもんや。

$せみま~るとRDMのブログ-スタン・ミュージアル

スタン・ミュージアル、カージナルスの至宝、ザ・マン
『スタン・ミュージアル伝』(ベースボール・マガジン社・1978年)より
 ドノヴァンだけではなかったんですね…。ツェッペリンやヤードバーズに参加する以前にジミー・ペイジは、なんとこのフレンチ・ポップの人気アイドルとして一世風靡するミッシェル・ポルナレフのバックバンドでギターを弾いておったとは! 正直驚きであります。何にも知らんゆうのはある意味、幸せなことなのかも知れんな~(笑)。やっぱりこういうのを知ると「もぐってる」ことが如何に楽しいことかを再発見できてええですね。新鮮な驚きにこうして出くわせるわけやからね(物は言いようやのぉ…)。
 
 1966年に「ノンノン人形(La poupeé qui fait non)」でデビューしたその年に出した1st作品がこのセイムタイトルのアルバムです。まだこの当時はグラム・ファッションに触発されたようなちりぢり頭も、エルトン・ジョンもどきのサングラスもしておらず、ショーン・フィリップス風のアシッド・フォーク歌手のような出で立ちの好青年てなフンイキです。楽曲もアコースティックなフォーク・ロックで、RDMの読者なら全然ストライクな内容でまことに聴き易いアルバムです。歌詞がフランス語なので、英語もわからんのに、余計意味など知る由も無いんですが、ミッシェル・ポルナレフと意識しないで聴いたほうがスンナリ馴染める作品かも知れません。9曲目の「L'amour avec toi」は、ところどころ1966年特有のフラワー・サイケぽいハープシコードがクラシカルでたまりません。「Beatnik」という曲のバックで響く派手なギターはひょっとして、これがジミー・ペイジなんでせうか? そしてポルナレフを一躍スターダムに押し上げたのが「Love me, please love me(愛の願い)」。リチャード・クレイダーマンかと錯覚しそうな、ポルナレフが弾いてると思われるピアノがもの凄く印象的です。この黄昏感は、サム・クックあたりを聴くのとほとんど同種の感覚です。こういうムードの曲が昨今ではほとんど耳にしないのが残念ですね。しかしながら、ワシ個人的には1曲目の「Sous quelle étoile suis-je né ?」の正統派のフォーク・ロック然とした雰囲気が耳に最も馴染みます。

$せみま~るとRDMのブログ-ミッシェル・ポルナレフ

MICHEL POLNAREFF / Michel Polnareff
1966 AZ LPS 11