日本人は、何故にこうも世界が認めたとか、外国の評価を無上の歓びであるかのように有り難がるのか、また余りにも無警戒で手放しで喜んでいられるのか、ちょっと怖い感じです。
日本の文化遺産、自然のものが世界の遺産として登録されてしまうということは、日本固有のものでありながら「オラが国のもの」で無いということにもなり得ます。
考えて見たら、世界の体制や、国連内の主導権の在処が微妙に変われば、いざというときに自国の裁量で手をつけられない可能性も出て来るわけです。差し押さえられる可能性です。
逆に、登録されていない文化遺産や自然遺産に類するものだったら、国連が一番の主導権を持っている以上、極端な話、彼らの裁量いかんでテキトーに扱ったり、乱開発を許したりを世界レベルで助長しやすくする危うさも含んでいそうです。
そして、そういう歯止めにしたいなら、ユネスコの世界遺産登録の審査にかかるよう積極的に努めなさいとばかり、片っ端から世界中の観光資源に国連が介入していきやすくなる。いったい何様なんでしょうか?
「守って欲しかったらうちの下部組織になれ」と言ってるのと、あまり大差ないように思います。
特に日本人の場合厄介なことに、頭にコクサイがついているだけで、葵の御紋を見せつけられた田舎侍みたいな、権威に弱い事大な態度が浮き彫りになってきます。
そもそも国連(国際連合)が出来た経緯は、ウィキにも簡単な解説がありますが、こう書いてました。
『国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟(1919年-1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中国(中華民国)などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議で国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。』
さらに中国では単に「連合国」と未だに表記していると言います。いわゆる戦勝連合国ということです(中国のどこが戦勝国なのかサッパリわからんのですが…)。
早い話が第2次大戦の戦勝国の勝ち組サロンの中で、敗戦国の日本や後進の国々も加えてやるから、ナンボか貢げというのが国連の正しい捉え方で、決してそれは日本にとって有益なものではないのは始めからわかってたことです。
そこで戦勝国の国々に気に入られようと、自ら平和国家を謳い、自腹を切り涙ぐましい努力をしてきた国が日本ですが、少なくともロシア中国韓国は「金を出したいて言ってんだから出さしといたら」で、自らはたかっていながら何とも思っちゃいないのです。
そのうえで、「富士山を世界遺産に加えてやったぞ、有り難く拝戴せよ」と体よく召し抱えられ、ヘタこけば彼らの掌で、ここ一番ではその取扱は国連が握るということです。拒否権を持つ中国にもその権利が生じない保障はないということでもある。
それを、「世界は一つ」だの「文化に国境はない」などと、めでたく舞い上がるマスコミにしてもそうだけど、人がいいにも程があるようです。手放しで歓んでてばかりでいいんかな~と思います。
また「世界は一つ」という考え方は、中華思想に近い考え方です。文化に国境はないという考えも、「君のものは僕のもの、僕のものは君のもの」と言ってるのと同じで、これが立ち場的に弱いものが言うと通らないが、立ち場の強いものが言うと、その専横を助長する都合のいいものになるのは目に見えてます。人間の欲望の原理みたいなものを考えれば、十分想像がつきます。
百歩譲って、アメリカは世界に民主的なシステム普及に尽力しているとしても、拒否権を持つ常任理事国の中国が、そういう民主的な価値観を共有しているなんてのは、到底あり得ない。
そういう国も含む国連のすることに、前のめりになって有り難がる、日本のマスコミはじめとするその能天気さというのは、やはりどう考えても危なっかしいのです。
日本の文化遺産、自然のものが世界の遺産として登録されてしまうということは、日本固有のものでありながら「オラが国のもの」で無いということにもなり得ます。
考えて見たら、世界の体制や、国連内の主導権の在処が微妙に変われば、いざというときに自国の裁量で手をつけられない可能性も出て来るわけです。差し押さえられる可能性です。
逆に、登録されていない文化遺産や自然遺産に類するものだったら、国連が一番の主導権を持っている以上、極端な話、彼らの裁量いかんでテキトーに扱ったり、乱開発を許したりを世界レベルで助長しやすくする危うさも含んでいそうです。
そして、そういう歯止めにしたいなら、ユネスコの世界遺産登録の審査にかかるよう積極的に努めなさいとばかり、片っ端から世界中の観光資源に国連が介入していきやすくなる。いったい何様なんでしょうか?
「守って欲しかったらうちの下部組織になれ」と言ってるのと、あまり大差ないように思います。
特に日本人の場合厄介なことに、頭にコクサイがついているだけで、葵の御紋を見せつけられた田舎侍みたいな、権威に弱い事大な態度が浮き彫りになってきます。
そもそも国連(国際連合)が出来た経緯は、ウィキにも簡単な解説がありますが、こう書いてました。
『国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟(1919年-1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中国(中華民国)などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議で国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。』
さらに中国では単に「連合国」と未だに表記していると言います。いわゆる戦勝連合国ということです(中国のどこが戦勝国なのかサッパリわからんのですが…)。
早い話が第2次大戦の戦勝国の勝ち組サロンの中で、敗戦国の日本や後進の国々も加えてやるから、ナンボか貢げというのが国連の正しい捉え方で、決してそれは日本にとって有益なものではないのは始めからわかってたことです。
そこで戦勝国の国々に気に入られようと、自ら平和国家を謳い、自腹を切り涙ぐましい努力をしてきた国が日本ですが、少なくともロシア中国韓国は「金を出したいて言ってんだから出さしといたら」で、自らはたかっていながら何とも思っちゃいないのです。
そのうえで、「富士山を世界遺産に加えてやったぞ、有り難く拝戴せよ」と体よく召し抱えられ、ヘタこけば彼らの掌で、ここ一番ではその取扱は国連が握るということです。拒否権を持つ中国にもその権利が生じない保障はないということでもある。
それを、「世界は一つ」だの「文化に国境はない」などと、めでたく舞い上がるマスコミにしてもそうだけど、人がいいにも程があるようです。手放しで歓んでてばかりでいいんかな~と思います。
また「世界は一つ」という考え方は、中華思想に近い考え方です。文化に国境はないという考えも、「君のものは僕のもの、僕のものは君のもの」と言ってるのと同じで、これが立ち場的に弱いものが言うと通らないが、立ち場の強いものが言うと、その専横を助長する都合のいいものになるのは目に見えてます。人間の欲望の原理みたいなものを考えれば、十分想像がつきます。
百歩譲って、アメリカは世界に民主的なシステム普及に尽力しているとしても、拒否権を持つ常任理事国の中国が、そういう民主的な価値観を共有しているなんてのは、到底あり得ない。
そういう国も含む国連のすることに、前のめりになって有り難がる、日本のマスコミはじめとするその能天気さというのは、やはりどう考えても危なっかしいのです。