夜の仕事に出たタイ人母の苦労。 | セミクイの一生

セミクイの一生

運命の分かれ道にいる、どん底の2020年。この先どうなるか?約半世紀に渡る人生記録。タイランドから発信。※2020年11月から日本帰国中

 

 

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※40年近く前のお話です。

長いよ!!すいませんアセアセ

 

 

7学年差姉弟の私。

 

4年生位ともなると

大体のことは出来るので

『お姉ちゃんとして』の

役割負担がかなりあったような。

 

弟が5歳位になると

近所の公民館で

剣道を習わされ始めました

 

弟は体が小さく、

細くて泣き虫で

 

母は貧弱貧弱ゥ!!

な弟が心配だったようです。

 

とはいえ、

勝手に始めさせられたので

 

本人は全く

やる気は無く

 

ほぼほぼ練習中は

泣きながら過ごしていました。

 

夕方からのお稽古で

母は仕事でしたから

 

私が付き添いで

連れて行って

終わりまで待ちます。

 


練習の最中に泣く弟。イラッ

 

泣きながらこっち来て

 

『おしっこぉぉぉ〜えーん

 

・・・ってもう

袴ビショビショで漏れてるし!!イライラッ💢

 

この、剣道に連れていく

と言うイベントは

お互いにストレスでしたねー。

 

私も、全然優しい

お姉さんじゃなくて

 

自分が弟の親だったら

完全に虐待だったなって

振る舞いをしていました。

 

親の代わりなんか

できないのに

親のようになろうと

 

たかだか4年生とかで

3・4歳の弟にしつけ

をしようとしたり

 

出来なきゃビンタ。。。


母譲りですねショボーン

まぁ、全部書くと

確実に炎上するので

やめておきますが

 

胸が痛みます。

 

弟は覚えてないって

言うんですけどね

 

覚えてるだろうな。

 

弟が幼稚園の頃、

園の盆踊り大会があって

 

母が弟と私の浴衣を

用意してくれていました。

 

その日は夕方から

自分たちで幼稚園に

行かないといけなくて

 

近所の同じ幼稚園の

お母さんが一緒に

連れていってくれるから

 

必ず6時までに学校

から帰ってきてね。

 

と、母に言われていました。

 

なのに!!

すっかり忘れて友達と

学校帰りに遊んで

 

しかも帰りのバス代を

使ってしまい徒歩で帰宅。

 

帰宅途中に盆踊り大会

のことを思い出して何と

肝の冷えたことか滝汗

 

慌てて走って帰ったけど

母は既に仕事に行ってて

弟は近所のお母さんに

連れて行ってもらってて

私ポッツーン。

 

夜中に帰ってきた母は

私が間に合わなかった

とは知らなかったので

大激怒。

 

一週間シカトの刑でした。

 

弟が少し大きくなると

それはそれは生意気で

 

母が居る時は本当に

クソガキ!!

 

でも

 

『行ってきまーす』

 

と、母が出かけて

ドアが閉まると。。。

 

俺のターン雷雷

 

日中のクソ生意気な

態度を心の底から反省

させる処刑タイムの始まり。

 

それが解っているので

弟も扉が閉まった瞬間

 

『ごめんなさいぃぃぃぃー!!』

 

と、号泣しながら

謝罪してくるのですが

 

ある日、いつもの

パターンで弟が号泣謝罪してる最中

 

忘れ物を取りに来た母が

戻ってきました。

 

この光景を見て

母は泣きながら

 

いつもそうなの!?

 

と叫んで、また出ていきました。

 

子供を置いて夜仕事

行くだけでも心配なのに

 

自分が出かけた瞬間から

頼りにしてた娘が

弟を半殺しにしてるなんて

 

どれだけ失望したか。

 

 

また、ある日は

雪の降る寒い最中

泣きながら帰ってきた

事もありました。

 

母は自転車で坂道を

こいで駅まで通勤して

いたのですが

 

仕事帰り、真夜中に

駅に停めていた

自転車に乗った瞬間

 

ニチャリ

 

酔っ払いが

自転車のサドルに

嘔吐したらしく

 

何と母はその上に

座ってしまったんです。

 

大切なコートに

ミチっと付いた

吐瀉物。最悪すぎる。


仕事終わりに疲れて

雪の中、坂道を自転車

を押してゲロまみれで

帰る惨めさ…。

 

またまたある日は、

 

夜中に母が乱暴に

皿を洗う音で目が覚めると

 

母が泣きながら

お皿を洗っていました。

 

いつも夕飯を食べたら

お皿洗っておいてね

って言われてたけど

 

しょっちゅう忘れてた

私。

 

恐る恐る母に

 

『おかえり。。。

ごめんねお皿忘れてた』

 

と言ったら

そのまま泣きながら

洗い続けていました。





 

いっぱいいっぱい

だったんでしょうね。

 

私も、どうしてもっと

母を手伝わなかったのか

 

大人になって、親になって

すごくその時のことを

申し訳なく思うんです。

 

今の自分だったら

夜、幼い子供だけで

留守番させるなんて

心配でたまりません。

 

でも、そうしなきゃ

生活ができなかったんです。

 

そんな母の苦しみを

思うと、本当に

申し訳なくて。

 

数年前の母の誕生日に

友達に教えてもらって

タイ語で手紙を書いた事があります。

 

その中に、

お母さんが仕事で大変だったのに

 

お手伝いしなくて

ごめんなさい。

ずっと、ごめんなさいって思ってた。

 

って。

 

母は、あんな手紙見たら

泣いちゃうわよ!

って感想を言ってましたが照れ

 

 

よっぽど母は

日本での暮らしが

辛かったのでしょう

 

後に余裕が出来て

タイに移住してからは

 

もう二度と日本では

暮らさないと言うほどです。

 

それがまた、

現在の親の老後問題

に繋がるわけですが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

お母さんおしまいお母さん

 

 

 

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