母の孤独だった異国育児 | セミクイの一生

セミクイの一生

運命の分かれ道にいる、どん底の2020年。この先どうなるか?約半世紀に渡る人生記録。タイランドから発信。※2020年11月から日本帰国中

※50年近く前の事です。

 
国際結婚をした、我が両親。数年後に私が産まれ、小さなアパートに3人で暮らしていました。
 
タイに帰省したのは、私が1歳になる前と、3歳頃かな。それ以降は10年近く帰っていなかったと思います。
 
インターネットはおろか、国際電話も気軽に使える時代ではなく、今のように同国仲間を見つけることは容易ではなく、おそらく母は孤立していたんだと思います。
 
そこへ初めての育児。相当な孤独感と不安の戦いだったと思います。
 
と、思うようになったのは、私がタイに移住して子育てを経験してから。
 
私なんかは両親に頼りまくりだったし、夫も共に育児をしていたし、ネットで出来た育児友達もいて恵まれたものでした。
 
それでもやっぱり日本の育児グッズが欲しかったり、他にも色々と異国育児ならではの不便はありました。
 
なので、母はもっともっと大変だったんだなあと、今更申し訳なく思ったりします。
 
私の幼少期、父は仕事の時間が不規則で基本は母が一人で子育てしていたようです。
 
 
 
…と思っていたかどうかわからないけど、私が子供の頃あんなにヒステリーに叱りつけてきたり、言葉よりビンタが先だったのは精神的にいっぱいいっぱいだったからでしょう。
 
ちなみに結婚当初の父と母は英語でコミュニケーションをとっていたそうです。
 
 
今でも忘れない、母の不条理な怒り。
 
多分、私が4歳頃の話です。
 
ある日、私は絵を描いていました。お花に顔を描いて。
 
 
 
こんな感じのチューリップ
 
そうしたら、母が
 
「花に顔あるわけないでしょ?!」
 
と言うんです。
 
多分、動物ではないものに顔を描いたのはその時が初めてではないはずなのに、急に怒りだしたんです。
 
私も意地っ張りな子供だったので、別におかしくないもん!と、反抗しました。
 
そうこうするうちに、母も感情的になってきて
 
「顔消しなさい!!」
 
と強要してきて、最後には
 
「言う事きかないなら一人で寝なさい!!💢」
 
と言い出しました。
 
この後、母はふすまをピシャン!と閉め、私は泣きながら一人で寝た記憶があるので、顔は消さなかったんでしょうね。
 
 
 
母も相当頑張ってたんだなと思いつつも、なんだか悔しくてやるせない出来事でした。
 
こんな事、よく覚えてるなーって思うけど、よっぽど私も幼心にショックだったんですね。
 

 ニコおしまいニコ

 

⇩タイでもこれ売ってるんです。

数年前、子の誕生日プレゼントにしたら感激してました。ケースもしっかりしてるから宝物感かなりあります。