Sema 〜 mille-feuille style   -9ページ目
母から電話がかかってくる時の第一声はいつも「お母さんだけど」とか「あー私」とか結構唐突な感じだ。
ところが先日、とろけるような甘く優しい声で私の名前を呼んだ。 は?なに?なにがあった?名前を呼んだぞ。
内心ドキッ。

母「あのね~。来たの
私「は?なに?」
母「来たの
私「何が? 何が来たの?」
母「あのね~、ねこ。ねこが来たの
私「ねこ?来たってどういうこと?」
母「赤ちゃんねこが来たの またうちで飼うの」
私「えーーーーーーー!!ほんとーーーーー????」

つい先日まで、2月に逝ってしまったねこのことで「あの子が夢に出てくるの。じっと座って私を見ているの」とビービー泣いていたくせに。
この変わり様ったら

どうやら前のねこがかかっていたお医者さんのところに、もらってくれる人を捜して3匹やってきて、そのお医者さんが「どうですか?」と声をかけてくれたらしい。
亡くなってまだ3ヶ月経つか経たないかというところだったので、引き取りに行くのを躊躇していたみたいだが、行ってしまったら放せなくなり連れて帰ってきたそうだ。
まだ生後2ヶ月くらいで、20㎝ちょっとという。電話で鳴き声を聞かせてもらったが、ミョーミョー言ってて、姿は見えなくてもあまりのかわいさに悶えましたわ、わたくし。

すぐ写真を送ってもらい、また悶えましたわ。


おー、なんとかあいらしーこと!!
おまけに前のねこと同じ配色。顔はこの子の方が美形みたい。
ちなみにねこの後ろは「布団が立てて置いてある」ものだと思っていたら、なんと!
母のお腹だそうです(爆!爆!)


既にトイレにはちゃんと自分で行けて、お粗相はしないそうだ。エライ!
こ~んなちっちゃいのがミョーミョー言いながら自分の腕の中で寝てしまったら、とろけるよなー。あ~帰りてー。

それから10日ばかりで、はや25㎝くらいになったそう。
ご飯もミルクもしっかり食し、走り回り人間様に飛び乗って、
カプッと噛んだりして大はしゃぎしている。
で、疲れたらパタッと寝ちゃう。な~んて素敵な生活(;^_^A

子どもならではの生命力を感じる。
新しい命に出会い、家の人間が活力をもらっている。よかった。
こういうわたしも、この子のことを思うと自然にニマ~ッとしてしまう。
前のねこの事は決して忘れず、新しい命を大切にしていこう。

名前はね、言いたかないが「さんぺい」だそうです。
(どうせ、釣りキチから来てる)
そこから取るか!
センスがね。。。あ~あ、気に入らねえ(・_・;)


はやく抱っこしたいニャー



代表作「湖畔」を“美の巨人たち”で初めて見た時に、まるで日本のフェルメールみたいだと思った。

あれから数年、ずっと見てみたいと思っていた「湖畔」を含む黒田清輝の展覧会が上野で開かれた!!

 

「湖畔」

 

 

美しい。ここにも品と静謐がある。本物には吸い込まれた。

 

黒田清輝と言えば、このおじさま。

 

 

詳しい事は何も知らなかった。

今回訪れて、彼の作品と同時に彼の人生を知った。

 

薩摩の黒田藩士の息子として生まれ、明治17年18歳で渡仏。法律家になるために勉強に行ったはずなのに、画の才能を認められてあっさり画家志望に転校。養父母宛の手紙には「私は法律家になるよりも画家になった方が世の中の役に立つ」と宣言している。20歳そこそこで人生を定め、おまけに世の中のためにと考えられる人間性に魅了された。現代人よりはるかに精神が自立した大人だ。

 

作風もどんどん変化していくのが本当におもしろかった。

ミレーから印象派のモネ、ピサロ、シスレー等、色んな画法を学び昇華して独自のスタイルが出来上がる、かと思ったらこの方、最後まで作風が変わっていった。ビックリすると同時に見ていて全く飽きない!

 

 

画壇デビュー作「読書」

 

 

フランス人が描いたんでしょ? (*^▽^*)

この画はフランスのサロンに入選した。日本美術界にも初めて名前を知らしめた作品。

 

 

「婦人像(厨房)」と「針仕事」

 

左のご婦人の眼差しに見入ってしまい、右のグリーンとグレーの色使いに釘付けになった。実はこのフランス人女性、黒田さんの彼女だそう。やっぱり愛があると画力が強いわ~。

 

 

こんな美しいものも。 「菊花と西洋婦人」

 

 

 

9年後に帰国。フランス人の彼女とはさよなら。

日本洋画を認知させるための闘いが始まる。

その第1作目が「舞妓」

 

 

日本画壇ではかなりの衝撃だっだそうな。なんとなくわかる。それまでの日本画は暗い色使いだった。突然こんなビビットな(本物はもっと鮮やか)画が出てきたら腰抜かすかも。

そして「湖畔」(冒頭の画)も発表される。このモデルは照子さんといって黒田氏の妻になる人だ。ここでも愛があると素晴らしいものができるんだなーと実感した。

「湖畔」はほんとうーーーーーに美しい。

 

黒田氏は「絵筆で明治を開いた男」と言われる。

そのひとつに、西洋では当たり前の女性のヌード作品を発表し、様々な圧力に屈せず世の中に浸透させていった第一人者なのだ。黒田氏がいなければ、日本の美術界はかなり立ち後れていただろう。

 

その一つ「朝妝」(消失)

 

 

フランスのサロンに入選したものが、日本ではわいせつ物とされ、社会問題になったそうだ。

 

そして「婦人裸婦像」

 

 

日本ではウェストから下を布で隠しての展示だったそう。時代だなあ。

 

「野辺」色っぽい。

 

 

「智・感・情」

 

 

当時としてはスタイル抜群。理想を追求したそう。

バックが金、サイズも相当大きかったのでかなりのインパクト。

 

 

ミレーやモネの画も展示があり(ラッキー!)、黒田氏がどのように影響を受けたか比べられるようになっていたのがとても親切でよかった。

 

消失してしまったが、昔の東京駅の皇室専用中央口の壁画には、黒田氏の画がドーム型にそって何点も展示されていた。これは映像で見られます。

 

もっともっと素敵な作品がたくさんありました。

ある意味、日本画壇に革命を起こした彼への風当たりや圧力は相当なものであっただろう。それでも精力的に活動を続け、その後東京美術学校の教授になり日本洋画の方向性を決定づけた。そして帝国美術院院長に就任。世の中が黒田氏に追いついていったんだなと感じた。

でも長年の苦労が祟ったのか、58歳で病死。もっともっと沢山描いてほしかった。早すぎる死。

 

5月15日まで上野の東京国立博物館平成館で開催中です。

興味のある方はぜひ。とてもオススメです!!

3月31日までなのに、行きそびれていたこの展覧会。

なんとか最終土曜日に滑り込んだ。

意外にも混んでいなくて、ささっと見る事ができた。

 

フェルメールは生涯作品数がとても少なく、36点ほどしかないそうだ。フェルメール好きの私としては来日すると必ず見に行く。これでやっと10数点。

今回はこれ、「水差しを持つ女」

 


実物を見るとよくわかるのだが、この画から漂ってくる気品と静謐。ここまで品格を感じる画はなかなかお目にかかれない。自分の心の泥が落ちて行く感じがする。

代名詞「フェルメールブルー」もしっかと見届けた。

このブルーを出すのに高価なラピスラズリを使い続け、最後は破産して40代前半で亡くなったという画家。どこまでも職人気質というか、アーティスティックというか。。。

さすが「光の魔術師」 左から入る光の状態は一日数分のことらしい。

左の窓枠(?)の模様と光を帯びた透け感も素晴らしかった。この窓の模様を使ったコーヒーカップがグッズとして売られていたくらいだ。

 

 

ノリタケとタイアップ。7560円。もうちょっと安かったら欲しかったなあ。

ペンダントだったら絶対買った!爆  笑

 

 

もう一つの目玉。レンブラントの「ベローナ」

 

 

ローマ神話の闘いの女神ベローナ、左手に持つ縦にはメデューサが。

でもよく見ると、どこにでもいる太ったおばさまだわ。こうなったのはオランダの政治的背景があるらしいのだけど、、、詳細は勉強不足でわかりません。

レンブラントさんも画家として一時代を築き上げたのに、最後は破産して亡くなった。

やっぱりアーティストは生活が安定しないのね汗

 

音声ガイドのナレーターはあの、新次郎さまドキドキ

いえ、玉木宏さんです。ドラマが終わったばかりだったので、つい「新次郎さまラブラブ」となってしまいましたあせる その玉木さんが時代背景なども詳しく教えてくれたはずなのに、もう忘れてしもた。玉木さん、低音がよかったです照れ

 

全60点と他の展覧会と比べると半分以下の点数でしたが、上質な見応えのある作品ばかりで、心満たされた一日となりました。

5月8日まで福島でやっているみたいですね。