映画『ウトヤ島、7月22日』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年3月19日(火)ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区有楽町2-7-1 有楽町イトシア・イトシアプラザ4F、アクセス:JR山手線・有楽町駅中央口から徒歩1分)で、13:00~ 鑑賞。

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作品データ
原題 UTØYA 22. JULI
製作年 2018年
製作国 ノルウェー
配給 東京テアトル
上映時間 97分

ノルウェー公開 2018年3月9日
日本公開 2019年3月8日

「ウトヤ島、7月22日」

2011年7月22日にノルウェーのウトヤ島で起きた戦慄の無差別乱射テロ事件を映画化した実録サスペンス・ドラマ。たった一人の極右の青年によって69人の若者が犠牲になった悪夢の惨劇を、標的となったサマーキャンプに参加していた一人の少女の視点から、72分間ワンカットによる臨場感あふれる映像で描き出す。監督は『おやすみなさいを言いたくて』『ヒトラーに屈しなかった国王』のエリック・ポッペ。出演はアンドレア・バーンツェン、エリ・リアノン・ミュラー・オズボーン、ジェニ・スヴェネヴィクら。

ストーリー
2011年7月22日、午後5時過ぎのウトヤ島。ノルウェーの首都オスロから北西40キロに位置するこの島では、毎年の恒例行事であるノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが催されていた。参加した大勢の若者たちはキャンプを心から楽しんでいたが、少し前(午後3時17分)にオスロ中心部の政府庁舎で爆破事件が発生したとの知らせが届き、かすかな動揺が広がっている。
そんな中、カヤ(アンドレア・バーンツェン)は、電話の向こうで不安げな母親に「ここはウトヤ島よ。世界一安全だから何も心配いらないわ」と言い聞かせた。豊かな自然に囲まれたウトヤ島は、まさしくこの世の楽園のような場所に思えた。
無数のテントが張られたキャンプ場で、妹エミリア(エリ・リアノン・ミュラー・オズボーン)と気まずく口論を交わしたカヤは、ワッフルを食べている仲間たちと合流する。「イスラム系組織の仕業じゃなければいいけど」「テロかどうかもわからない。ただのガス爆発かも」「アルカイダの可能性もある」「憶測で言うべきじゃないわ」。そんなふうにお互いの意見をぶつけ合い、誰かが「バーベキューはまだかな」とつぶやいた直後、遠くから何かが爆発したような音が聞こえてきた。すると爆発があった方角から、数人の若者がこちらへ猛然と走ってくる。「逃げろ!」。カヤは慌てて仲間たちと建物の中に避難するが、周囲の誰ひとりとして事態を把握できていない。絶え間なく鳴り響く音は銃声のようであり、少しずつカヤたちがいる建物の方へ迫りつつあった。
「こっちに来る!」。その場に居合わせた全員が一斉に外へ飛び出し、カヤは転倒して足にケガを負った友人を支えながら必死に走った。そして森に駆け込み、数人の仲間とともに木陰に身を隠す。銃声に混じって人の叫び声も聞こえてきた。そこに頭から血を流した少年が新たに逃げ込んできて、「犯人は警官だ。警官が人を撃っている」と信じがたいことを証言する。「撃たれた人は?」「たくさんいる」。誰もがかつて経験したことのない恐怖に身を震わせていた。ここにジッととどまり続けるべきか、それともどこかへ逃げるべきか。困難な選択を迫られる中、カヤには別の重大な心配事があった。
やがて仲間たちは水辺に向かって走り出すが、カヤはひとり反対の方角にあるキャンプ場へ向かう。黄色のセーターを着ている妹のエミリアを捜すためだ。しかし、恐る恐るたどり着いたテントにエミリアの姿はなく、森の中に舞い戻ったカヤは泣きじゃくりながら母親に電話をかけた。「どうしよう。エミリアがいないの…でも、大丈夫。必ず見つけるから…パパもママも愛してる」。そう言い残してカヤは、エミリアを捜すために再び走り出した。このとき最初の銃声からすでに30分近く経過していたが、なぜか警察が助けにやってくる気配はない。銃声と悲鳴が飛び交う悪夢のような極限状況のもと、あてどなく島のあちこちを駆けず回るカヤの行く手には想像を絶する光景が広がっていた…。
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ノルウェー連続テロ事件
2011年7月22日、ノルウェーの首都のオスロ政府庁舎爆破事件ウトヤ島銃乱射事件が連続して発生。 政府庁舎爆破事件により8人、ウトヤ島銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡。この計77人が死亡した事件は、ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされている。
ノルウェー警察当局により、両事件は極右思想を持つキリスト教原理主義者のアンネシュ・ベーリング・ブレイヴィク(Anders Behring Breivik、1979/02/13~)(当時32歳)が起こした連続テロとされており、共犯者は確認されていない。単独犯としては現在、世界最大の大量殺人犯と言われる。ブレイヴィクはクリスチャン・シオニズムを支持し、イスラム教・移民・多文化主義・マルクス主義を憎悪し、移民を受け入れ援助するノルウェーの在り方を否定していた。インターネットで発表した文書内でも移民受け入れの拡大を進める左派を非難していた。動画サイトでは同趣旨の「テンプル騎士団 2083年」という12分の動画も投稿していた。
政府庁舎(Regjeringskvartalet〈the Government Quarter〉)爆破事件】 2011年7月22日午後3時17分、首都オスロの中心部にある17階建ての政府庁舎付近でブレイヴィクが仕掛けた爆弾が爆発。最上階には首相府があったが、ノルウェーのストルテンベルグ首相は執務室におらず自宅にいたため無事だった。このほか石油・エネルギー省の庁舎で火災が発生するなど付近の建物が被害を受けた。事件直後に警察によって付近の道路が全て封鎖されたほか、市民に対しオスロ中心部からの避難が指示された。ブレイヴィクが仕掛けた爆弾は車爆弾であるとみられ、爆弾の重さは約950キロと推定されてい
る。
ウトヤ島銃乱射事件】 オスロ近郊にあるウトヤ島ではノルウェー労働党青年部の集会が行なわれ、10代から20代までの青年約700人が参加していた。政府庁舎爆破事件直後にブレイヴィクはタクシーでウトヤ島の近くまで行った後に警察官の制服を着てボートで島に上陸し、爆破テロ捜査を口実に参加者を整列させ、午後5時過ぎより銃を乱射。彼は確実に殺せるよう各人に2発ずつ撃ち込んで殺していった。集会は大混乱に陥り、乱射から逃れるために島から泳いで脱出する者もいた。また、島からは爆発する前の爆弾が発見されており、さらなる被害拡大を狙っていたとされている。翌23日には同党党首であり、かつて同青年部の代表を務めたこともあるストルテンベルグ首相が現地入りすることが予定されていた。

▼予告編



エリック・ポッペ監督 インタビュークーリエ・ジャポン〈COURRiER Japon〉-“「映画化」に意義はあるのか─ノルウェー史上最悪の連続テロ事件を描くということ” 2019.3.7
エリック・ポッペ(Erik Poppe):1960年、オスロ生まれ。ノルウェーの新聞社やロイター通信社のカメラマンを経て、スウェーデン・ストックホルムの映画・ラジオ・TV・演劇大学で撮影を学び、1998年に『Schpaaa』で監督デビュー。ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche、1964~)が報道写真家を演じた長編『おやすみなさいを言いたくて』(2013年)で、モントリオール国際映画祭の審査員特別賞を受賞。また、ナチス・ドイツに侵攻され、降伏を迫られたホーコン7世の実話に基づく歴史ドラマ『ヒトラーに屈しなかった国王』(2016年) 本ブログ〈February 23, 2018〉が、アカデミー賞ノルウェー代表作品に選出された。

──このウトヤ島での事件は、日本のわれわれにも大きな衝撃をもたらしました。当時、本国ではどのような状況でしたか?
第二次世界大戦以来、ノルウェーで最も悲劇的な事件だと伝えられた。われわれの国は基本的に平和で静かなので、信じがたいほど動揺が広がったよ。TVのニュースや新聞で報道されていたが、何が起こったのかを冷静に理解するまで1年くらいかかったと思う。
事件後の1週間くらいは、多くの市民が近所で集まって慰め合い、あちこちに花を供えていた。政治的思想や出身地に関係なく、あのとき私たちは『ひとつの国民』として団結していたと思う。そして、二度とこんな事件を起こさないためには何をすべきかが話された。本当に残酷な思い出だ」

──犯人に対して、人々はどういう感情を抱いたのでしょう。
「それに関しては、冷静に判断できるまでさらに数年を要したと思う。犯人が裁判にかけられ、どんな証言をしたか。その素顔や真の目的が細かく分析され、何が事件を引き起こしたかが語られた。そこから今後の対策への議論へ発展するまで、事件から3〜4年かかったんじゃないかな。
同時にその頃、ネットで目につくようになったのが、極右集団のヘイトスピーチだった。極端なヘイトは、ネットだけでなく議会でも出るようになり、私は民主主義への脅威を感じたよ」

──そのような時期に、事件を映画化しようと決意したわけですね。
「そうなんだ。まず事件の生存者や遺族と話す機会を作ったのだが、私が映画を作ることは、彼らに事件を思い出させることだと強く感じた。そこで犯人側の視点は入れず、あくまでも被害者の視点に立った映画を撮ろうと決意し、それを生存者や家族も承知してくれたんだ。
殺人犯が出てくる映画はたくさんあるが、被害者側の映画はそれほど多く作られていない。ガス・ヴァン・サントの『エレファント』(コロンバイン高校の銃乱射事件の映画化)もすばらしいけど、あれも加害者が中心だ。エンターテインメントとして、そのほうが作りやすいんだと思う。
被害者をメインにする作りは、監督の私にとっても、そして観客にとってもチャレンジになると感じたね」

──この事件の映画化は、同時期にもう1本(ポール・グリーングラス監督の『7月22日』〈原題:22 July、Netflixにより2018年10月10日配信-引用者註〉)進んでいました。
「私が今作の準備を始めた頃、別の映画が作られるという情報は届いていなかった。だから私が作品を構想するにあたって、影響を受けたということはない。
やがてポール・グリーングラスが制作を始め、犯人を中心にした作りになる映画だと知った。グリーングラスは才能のある監督で、心から尊敬しているけれど、公開の時期も近いので『競争』になると思ったよ。
作品の視点以外にも大きな違いがあり、私の映画は収益が出たら、生存者や遺族の団体に寄付することにしてあった。一方、あちらはネットフリックスという大きな会社に支えられているし、(劇場公開ではないので)収益も数字で示されない」

──グリーングラスの映画に対しては、ノルウェー国内で反発もあったと聞いています。
「犯人をつけあがらせると抗議する人もいた。犯人はナルシストで、おそらく刑務所内では王様のような気分でいるだろう。ポール・グリーングラスが自分の映画を撮ると知れば、さらに喜ぶに違いない。そうした想像が、生存者や遺族の心を傷つけたんだ。
もちろん私の作品に対しても、事件からの時間を考えると、映画にするのは早すぎるという意見もわずかにあった。しかし全体には好意的に受け止められ、多くの人が映画をサポートしてくれたよ。
グリーングラスの映画に対しては、『ネットフリックスが儲けのために作った』と反発する人が多かった」

──それにしても、この『ウトヤ島、7月22日』での「72分間ワンカット」という手法は大胆ですね。
「この作品にとって、どんな表現方法が正しいのか。それを思い悩みながら、40人もの生存者や、その他にも遺族らを取材し、警察の記録も閲覧して、事実を組み合わせて脚本を書いていった。
生存者たちの証言には共通点があったんだ。最初の発砲から犯人が拘束されるまでの72分間が『永遠』に感じられたという。何が起こっているのか、何人が撃っているのかもわからない。そして誰も助けに来てくれない。なぜ自分たちが狙われているのか…。そうした彼らの共通の思いから、『72分』という長さが重要と考え、映画で体感させることにした。
現在のテクノロジーではあらゆる描写が表現できるが、時間の感覚は実際にその長さで表現するしかない。そこから一人のキャラクターの視点をリアルタイムで追うというアイデアが生まれ、すべてを可能にするのが、ワンカットの手法だと行きついたわけさ」

──ワンカットというのは、演じるキャストたちにも大きな試練ですよね。
「そのとおりで、最大の難問は、これほど過酷な状況をリアルに表現できる若者を探すことだった。私は約1年かけてノルウェー中を探し回り、主人公の少女(アンドレア・バーンツェン)をようやく見つけたとき、映画のゴーサインが灯ったと感じたよ。彼女がいれば、ワンテイクという無謀な挑戦も可能になるとね」

──プロの俳優は使っていないのですか?
「全員がアマチュアだ。そのため、リハーサル期間が3ヵ月におよんだよ。週6日のペースで、いくつかのシーンに分けて準備をして、それを組み合わせていく。2ヵ月くらいで俳優たちが慣れてきたところで、カメラマンが加わり、新たな緊張感が生まれた。
最初は舞台となる島を想定して、オスロ郊外のスタジオでリハーサルを行い、『ここで走る』など段取りをすべて決めた後、ロケ地の島へ移動し、月曜から金曜までの5日間が本番の撮影となった。各日1回だけ一発勝負で撮り、最高のものを本編で使うことにしたんだ」

──たとえば主人公の腕に蚊が止まったら、そこをアップで映すなど、偶然の出来事に合わせてカメラが動いています。
「われわれクルーは本番中、島のボートハウスで待機し、大きなスクリーンに映されるカメラのショットと、島中に取り付けたマイクからの音声をチェックし、何かを発見したらカメラマンに指示を送っていた。
じつは血ノリの成分の一部が、虫を引き寄せることがわかり、月曜と火曜は同じ場所で蜂が現れた。水曜は何も現れず、4日目の木曜に主人公の腕に蚊が止まったんだ。カメラが彼女の顔に寄ったところ、その彼女の視線が腕に動いたので、カメラマンが蚊をクローズアップした。あれはカメラマン自身の判断だ。
結局、完成作に使ったのは、この木曜のバージョンで、あの蚊は、彼女の喪失感や絶望感を強烈に象徴することになった。よく『蚊はCGですか?』と聞かれるので、私は『いや、蚊を訓練して演技させた』と冗談で答えている(笑)」

──こうした衝撃的な実話を映画化することは、どんな意味をもつと考えますか?
映画は社会を変えることができると信じている。今作を最初に上映したベルリン国際映画祭の記者会見で、あるジャーナリストから『芸術家として、この事件を映画化する必要をどう考えているのか?』という質問が出た。私は『芸術では事件を解決できない。しかし観る人に、疑問を提示することができる』と答えたんだ。
私が重要だと思うのは、このような事件を扱う際に、対象となる人々や社会への敬意を絶対に忘れてはならないこと。作品に関わる全スタッフで、亡くなった人への愛と敬意を共有することだ。そしてできる限り、真実に近づく努力が必要で、そこには慎重さも要求される。
この作品はホラー映画のような恐怖も与えるかもしれないが、作り物のホラーは非現実的な要素が多い。悪役が顔を見せ、生き残ったりもする。私の作品は真実を通して、人間と、その日常がどんなものかを表現している。
ストーリーの核となるのは、人間の心の美しさ。おたがいを助け合う心。何か災害が起こったとき、誰かを助けたいという本能を受け入れること。
スーパーヒーローではなくても、われわれ一人一人が誰かを助けられる。それこそが真実であり、私がこの映画で伝えたいことなんだ」