映画『杉原千畝 スギハラチウネ』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2015年12月9日(水)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、15:25~鑑賞。

作品データ
製作年 2015年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 139分


第2次世界大戦時、リトアニアの日本領事館領事代理として、日本政府に背いて6000人ものユダヤ難民にビザを発給し、その命を救った杉原千畝。“日本のシンドラー”とも呼ばれた彼の、インテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)としての知られざる一面にも迫る歴史ドラマ。主人公・千畝を唐沢寿明が演じ、千畝を支える妻・幸子(ゆきこ)に小雪が扮するほか、日本、ポーランドの実力派俳優が集結。監督はハリウッドと日本の双方で数々の大作に携わってきたチェリン・グラックが担当。ワルシャワほかポーランド各地で9月13日から11月上旬まで約2か月にわたりロケが行なわれた。

杉原千畝は、同じく多くのユダヤ人を救い、1994年の第66回アカデミー賞で作品賞・監督賞など最多7部門を受賞した『シンドラーのリスト』(スティーヴン・スピルバーグ監督)で世界的に知られるドイツ人実業家、オスカー・シンドラーになぞらえて「日本のシンドラー」とも呼ばれている。

ストーリー
1934年。語学力と情報網を武器に外交官・杉原千畝(唐沢寿明)は、ソ連との「北満鉄道」譲渡交渉を成立させる。その一方で仲間を失い、千畝自身彼を警戒するソ連から「ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)」に指定され入国拒否されてしまう。千畝は在モスクワ大使館への赴任を希望していたものの叶わず、外務省よりリトアニア・カウナスにある日本領事館での勤務を命じられる。1939年、千畝は新たな相棒ペシュ(ボリス・シッツ)とリトアニアで諜報活動を開始。情報を収集し激動のヨーロッパ情勢を分析、日本に発信していく。やがてナチスドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発。ナチスの迫害から逃れようと通過ビザを求めるユダヤ難民がカウナスの日本領事館に大挙して押しかける。その数は日に日に増していき、彼らの置かれた状況を知る千畝は、日本政府からの了承がないまま難民たちに通過ビザを発給するが…。

ユダヤ難民へのヴィザ発給について

杉原千畝

1939(昭和14)年、杉原千畝が在カウナス日本領事館領事代理となった頃、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激化。ドイツ占領下のポーランドをはじめとする、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れてきたユダヤ人にどのように対処するかが、国際的な問題となっていた。
ドイツ占領下のポーランドから、リトアニアに逃れてきたユダヤ人へ向けて、日本のみならず幾つかの領事館でヴィザの発給はされていた。しかし、ドイツ軍が西方から侵攻してくるために、逃亡ルートは限られ、さらに1940年、リトアニアはソ連に併合され、各国の大使館・領事館は続々と閉鎖されていった。
そうした状況下、ユダヤ難民の逃亡ルートはシベリア鉄道で極東まで進み、日本へ渡ってアメリカなどへ脱出するしかなかった。だからこそ、日本を通過するヴィザが必要不可欠となり、未だ閉鎖されていなかった日本の在カウナス領事館へ、ユダヤ難民が殺到したのだった。

すでに領事館閉鎖の勧告をソ連より受けていた千畝だったが、難民を逃すためヴィザを発給することを決意。領事館閉鎖までの約1ヶ月間、昼夜を問わずヴィザを発給し続ける。領事館閉鎖後も、1週間ほど滞在していたメトロポリスホテルや、さらに千畝のリトアニア出国当日も、カウナス駅で列車が発車する直前までヴィザに代わる渡航証明書を発給していた。
日本政府より規定されていた、日本通過ヴィザの発給が認められる外国人の資格は、「避難先の国の入国許可を得ていること」「避難先の国までの旅費を持っていること」と定められていたが、千畝はその資格を持ちえない難民にもヴィザを発給した。
後年、外務省外交史料館で発見されたヴィザの発給リスト(通称:スギハラのリスト)に記されたヴィザの数は2139枚。1枚のヴィザで同行している子どもを含めた家族全員が救われた例も多かったことから、千畝による「命のヴィザ」のおかげで救われたユダヤ人の数は、少なくとも6000人に及ぶと言われる。
そして今、この「命のヴィザ」がきっかけで生きている人たちは、子孫を含めると4万人に達するとも言われている。

▼予告編