39歳で離婚当時、私はまだ気づいていませんでした。
自分が一種の「イネーブラー」であったことを…(・・;)
※イネーブラー
「依存症患者などに必要以上の手助けをすることで、結果的に状況を悪化させる人」
(Weblio辞書より)
そしてその後、数々の間違いを経て手ごわいモンスター(笑)に出会ってイタい目を見て、やっと気づきましたよ💦
しかし今思えば、出会った頃は尽くすタイプだった元夫がモラハラ化したのは私の責任もあったかもしれません。
(というか、その片鱗は多少ありましたけどね)
というのも、私はいい妻ぶって自己犠牲をしていた上に、自分をきちんと主張できていなかったからです。
自己主張のベースとなる自分軸がだいぶぐらぐらしていたせいもありますが…
そうこうしているうちに、私は出産後収入がなくなると「ミニ家庭内奴隷」みたいになっていました。
その後いろいろこじれて離婚したわけですが、元夫には恨みつらみはなく、今でも(一種の)家族として思っています。
だいたい、私は昭和生まれ+母は専業主婦、という微妙な環境で育ってきたこともあり、そのころの自分は自分の足で立つことなど考えておらず、結婚・出産後は「まあ夫が養ってくれるものだろう」と考えていましたよね。
もしその頃の自分と会えるなら、こんこんとお説教…じゃなくて深い会話をすることでしょうね💦
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日本人女性は優しいし、一般的に「人のためになることをしたい」という気持ちが強いと思います。
それ自体は素晴らしいことですが、令和の世でもやっぱりまだまだ日本の家庭では「妻が夫に尽くす」「内助の功」的な考えが色濃く残っている感じがします。
だから結婚して共働きなのに妻が全て家事育児をやることになったり、どんどん負担が増えていきますよね。
でも時代的には、一般の家庭では共働きじゃないと家計が回ってなかったりする
最初は奥さんのほうが(渋々でもいそいそでも)頑張りすぎちゃったりしますが、そんな生活を続けていけば心身ともに疲れるし、まあ破綻(=離婚)が待っているのは目に見えています。
てか、それじゃ1人で暮らして稼いでたほうがよっぽど楽ですもんね。世話する人が1人減るわけだし。
しかしそこまでたどり着いてしまったのは旦那さんの責任だけではないのです。
日本社会では女性が「NO」と言いにくい雰囲気があると思いますが、私たちにも「相手に尽くし過ぎている」という責任があります。
自分がやり過ぎると、パートナーのやる気はどんどん失われていきます。
そりゃそうですよね、だってラクな方に流れていくのは本質的なものですから。子育ても同じことでしょう。
そうやって何でもやってあげ過ぎているとモンスター化していく、というのは確かにあると思います。
ですから、自分を犠牲にしてまで相手に尽くすのは美談ではありません。
それは優しさではなくネガティブな意味での「イネーブリング」です。
※イネーブリング
「ネガティブな文脈では、個人のある種の問題の解決を手助けすることで、実際には当人の問題行動を継続させ悪化させるという、問題行動を指している。第三者の責任感、義務感によって、結果的に当人の問題行動を維持させている。イネーブリングはアディクションの環境要因の中心である」(Wikipediaより)
女性には家事育児を自分1人でやる義務も、自分だけが働く義務も、もちろんありません。
始めから明確なルールを決めておくこと、自分が犠牲になるべきと思わないこと、時にははっきりと「NO」ということ。
それが自分を尊重すること、すなわちセルフラブに繋がります。
Kei