慈悲の瞑想で人間関係も良くなります。

 

「他人の幸せのために何かをする」という意味ではありませんよ。

「何かをしようとする」というのは、むしろ人間関係の問題を作るかもしれません。

 

慈悲の瞑想で、他人の幸せを願う時の "感覚" もしくは "状態" が大切です。

そうすると、人間関係をよくできる心の状態になります。

 

 

人間関係の問題

 

人間関係の問題を感じると、必ずその問題を感じる人には強い我執(がしゅう)が生まれています。

エゴとか、慢とかいろいろな言い方やとらえ方がありますが、ここでは同じ意味です。

 

揉めている人たちは両人ともに我執が強くなっています。

  • なんてことをしてくれるんだ!
  • ぜんぜん、わかっていない

このように言い合う人は、自分の欲を維持することに一生懸命だということです。

 

好きな人や偉い人の前で「緊張してしまう」「遠慮しすぎてしまう」というのも、「認められたい」「失敗したくない」という欲からくるものです。やはり我執です。

 

「人間関係に積極的になれない」「イヤといえない」というのも上のものとよく似たものです。つまり、これも我執です。

 

この我執を緩めると、人間関係をよりラクに柔軟に感じられるようになります。

 

慈悲の瞑想は我執を緩めますから、人間関係の問題が改善した入り、人間関係で疲れが減ってくるということになります。

 

 

私もやってみましたが、人に対していつもより自然な態度で積極的に関われるようになったと実感できました。

 

「慈悲深い人間になったから」ではなく、「我執が減ったから」です。

 

どちらも同じ状態を意味するのかもしれませんが。

 

何かをする必要はない

 

上の説明でお分かりいただけかもしれませんが、他人に対して何かをする必要はありません。

したかったらしても良いのですが、その「したい」の質には注意がいるかもしれません。

 

例えば、以下のような感覚は、別の欲が絡んでいます。

  • 考えと行動を一致させないと気持ち悪い
  • 認められたい、感謝されたい

これらも我執ですから、これを緩める必要があります。

 

もう一度慈悲の瞑想に取り組むのが良いかもしれません。 

 

 

好きな人に何かをしてあげたいと思うのは普通ですが、もし「良い親でいたい」「良いパートナーでいたい」という感覚であれば、それは我執ですから緊張を伴っていて疲れるはずです。

我執がなければ、何かをしてあげても心理的な疲れはありません。

 

我執がなければ、「気に入ってくるか?」という不安も、「私の気遣いに応えてくれない」という不満も

無いからです。

 

 

同様に、嫌いな人の幸せを願っても、何かをしてあげる必要はありません。

考え方のコツとしては、「この人が不快なことをするのは、何か苦しみがあるのだろう。その苦しみから解かれて幸せになりますように」と願う感じが良いと思います。

 

そして、その人の苦しみはその人の心の中で起きていることで、救ってあげることはできませんので、願う以上のことはできないのです。

 

慈悲の瞑想は、人間関係の問題を解決するのにお手軽で効果の高い方法だと思います。