宝彩さんの瞑想は、実践瞑想と境地瞑想を2段階あります。まず実践瞑想で思考を片付ける作業を頭の中でして、思考が動かなくなったら境地瞑想という "無" の状態になります。境地瞑想になれると瞑想後に非常に頭がスッキリします。
最近、私はこの瞑想に練習に取り組んでいますが、数回目には境地瞑想に入れて、とてもスッキリした気分になれました。
とても気分が良かったので、喜んで練習に励んでいますが、境地瞑想には一回きりで、2度目になかなか入れなくなってしまいました。
それどころか、実践瞑想でも思考が次々と現れて、片付けられなくなってしまいした。
試行錯誤していて、ハタと気づいたことがあります。
「あっ、この試行錯誤が "思考の暴走" じゃん」と・・・
図らずして、欲が思考を生む仕組みを体験的に感じることができました。
宝彩さんの瞑想の基本の手順は、こちら⇒ 宝彩さんのホームページ
7~8年前に宝彩さんの瞑想に取り組んでみたときは、瞑想のコツが分からずに、すぐにやめてしまいました。
今回は宝彩さんの著書が面白く、「もう一度、瞑想トライしてみようかな」「こんな感じかな」という軽い気持ちで取り組んでみました。
すると、簡単に境地瞑想に入れてしまったのです。
それに、とっても気分が良いのです。
「これは、良い!」と、さっそく「毎日、取り組んでみよう」と練習に励むのですが、2度目がなかなか来ない。
「あれ、何かやり方を変えちゃったかな?」と瞑想の本を読み返し、その他の著書を読み返してみます。
そうこうしていると、実践瞑想でも思考が片付かなり、全然集中できなくなってしまいました。
瞑想中に出てくる考えは色々ありましたが、毎回共通して出てくる思考がありました。
- 境地瞑想を待ち構えている
- 瞑想のやり方に関する考え
- 思考や欲の性質に関する考え
感覚・気分や考えの背景には欲があります。
つまり、これらの背景には以下の欲があります。
- 境地瞑想になりたい
- 瞑想をうまくなりたい
- 思考や欲の理解を深めたい
ここまでの理屈には、すぐに気づけましたが、これらの欲から自由になることができないことが続きました。
しばらくして、新しい欲に気づきます。
- 欲から解放されたい
う~ん、難しい・・・
私は瞑想家としては、駆け出しですから偉そうなことは書けませんが、自分なりに分析してみます。
まず、欲が鎮まらないと瞑想はうまくいきません。思考が次から次へと生まれてくるからです。
逆に言うと、この瞑想は思考を片付ける作業を通して、欲を鎮めるものとも言えます。
ここで、「瞑想で気持ちよくなりたい」「瞑想をうまくなりたい」という目的に意識がむくと、これは欲ですから瞑想は上手くいきません。
7~8年前に、私が瞑想に取り組もうとしたのは、苦しかったからです。
つまり、「気分が良くなりたい」という欲がありました。これでは、瞑想は上手くいくはずがありません。
最近の境地瞑想に入れた時は、「宝彩さんの瞑想って、どんなものだっけ?」という興味だけでした。
つまり、「宝彩さんの瞑想を体験してみたい」という欲です。この欲には影響を受けず上手くいきました。
7~8年前は上手いかなかったので、大きな期待はありませんでした。「気分が良くなりたい」という欲がなかったということです。
次に、境地瞑想の気持ちよさを知ってからは、「境地瞑想に入りたい」という欲が生まれました。
これでは、瞑想は上手くいきません。
瞑想がうまくいかないので、「瞑想がうまくなりたい」という気持ちが強くなっていきました。いっそう、瞑想がうまくいかなくなります。
なかなか上手くいかないので、、「思考と欲の仕組みの理解を深めたい」「欲から解放されたい」という欲まで生んでしまい、「どうしたら上手くいくのだろう」という「暴走する思考」を生んでいたのです。
つまり、気づかずに「肥大化する欲」と「暴走する思考」の悪循環にはまっていました。
欲を捨てようとしたり、抑え込もうとしても上手くいかないはずです。
対象の欲に注意が向いて、関連する思考が暴れだすからです。
改善のヒントは、境地瞑想に入れた時の「宝彩さん瞑想を体験してみたい」という欲の軽さにありそうです。
でも、残念なことに、もう体験してしまったので「体験してみたい」のままではリアリティーがありませんので工夫が必要になります。
いろいろと試し中ですが、今のところ瞑想の前に「すべてうまくいっている」「少しづつ改善している」という気分になってからやることを試しています。
不満足が無くなると欲が鎮り思考が落ち着いて、構えた感じがなくなるからです。…やや邪道の初級段階の経過的な方法だと思いますが…
前よりも思考の片づけがスムーズになったように思います。
まだ、瞑想中に「良い瞑想の工夫」に関する考えが出てきますから、「瞑想をうまくなりたい」欲からは自由になれていません。
練習するしかないのでしょうね。
これには、まだまだ研究が必要に感じますが・・・
これは「理解したい」欲からきているもので、研究は「思考の暴走」になりやすいかもしれません。
「考えずに、ただ練習しろ」ということになるのかもしれませんが、これが私には難しいんです…
一休さんも悟りを得る過程で、偶然に悟った状態になった後に、なかなか悟れない状態が続いたことがあるそうです。
それを歌に残しています。
本来の面目坊が立ち姿、一目見しより恋とこそなれ
「本当の自分に一度出あったら、素晴らしくて恋焦がれているのに、なかなか出会えないな~」
※面目坊は、思考や欲の影響を受けない無垢の自分のこと。自分の中の仏、神、宇宙意識とも呼ばれるもの。悟りでの体験を表しています。
私とはレベル感が違いますが…
私のように「瞑想の気持ち良さをもう一度」という欲で瞑想に入れなくなるのは、瞑想や悟りを開くときの "あるある" なんだそうです。
参考図書:

