激しい痛みから心を守ろうとする心の仕組みがあります。

防衛機制と言って、何かに依存的になったり、誰かを攻撃してモラハラ的になったりします。

 

それらによって、目をそらそうとしたり、心の痛みを和らげたりするのです。

 

多くの人はそれに気づいてませんが、この知識は依存やモラハラ行為から、自分の心の痛みに気付くヒントになります。

 

 

 

依存:痛みに向き合わないために

 

激しく心が痛むとき、何刺激てなことや、意識を麻痺させるようなことをするようになる場合があります。

 

アルコール、ギャンブル、浮気、薬物などのことです。

 

これらによって、痛む心に向き合あわずに済むわけです。

 

嫌なことがあったときに、飲んで憂さを晴らすということは、よくあることですね。

ギャンブルのスリルは強い刺激があるので、心の痛みを忘れることができます。

薬物はアルコールと似た効果をもっと、効率よく得られるのだと思います。

 

 

でも、これらの行為をしても、心の痛みが消えるわけではありません。向き合わずに済んでいるだけで、心の中では痛みあり続けます。

 

このように痛む心と向き合わずに、これらの行為に逃げていると、繰り返すようになり、依存症になるわけです。

 

心の痛みに向き合って解消するか、生活に支障をきたして向き合わざるをえなくなるまで、この依存が続くことになります。

 

 

他責・批判:痛みを和らげるために

 

 

心の痛みや、自分の中の心の葛藤を和らげるために、上手くいかないことを人のせいにしたり、他人を批判したたりする場合があります。

八つ当たりは、この典型的な例です。

 

嫌なことがあったときに、「あいつのせいで!」と理由をつけて他人を低く見ることで、自分が少し優越感を得ることができます。

「あの人の、xx っておかしいよね」という批判も同様の効果があります。

 

このような行為は、しばらくの間心の痛みが和らぎますが、解消されたわけではないので、また、その心の痛みが襲ってきます。

そうすると、また誰かのせいにしたり、批判したくなってきます。

 

 

モラハラ的な人になるとき

 

誰かのせいにしたり批判をして優越感を感じ、心の痛みから解放されるのは瞬間的には気持ちの良いことです。

、これは依存の対象になっていきます。

 

この他責や批判に依存的になっている人は、モラハラな人と同様の言動をとるようになります。

モラハラの被害者は、大きな心の痛みがあるので、このようなモラハラな言動をとるようになることが多いのです。

 

「モラハラは伝染する」と言われるのはこのためです。

 

心のキズからモラハラなことをする人と、モラハラな人格に大きな差があります。

 

自分の心に向き合ったり、相手の心を察しようとするか否かです。

 

 
モラハラ人格になるとき

 

 

モラハラ的な言動が習慣になっても、自分の言動を振り返り「あれで、良かったのか?」」と葛藤しているうちは人格とは言えません。

「あの人は、申し訳ないことをした」と相手を察しようとしている間も、まだ人格とは言えません。

 

しかし、この自分の言動を振り返ったり、相手の悲しみを振り返るのは、苦しいことです。

もともと、心に痛みをかかえているので、なおさらです。

 

この苦しさを感じないことをクセにしてします人がいます。

それが、モラハラが人格となった人です。

 

 
悲しみに向きわない悲しみ

 

モラハラな人格な人は、自分の心中の葛藤を放棄した人ですが、けっして幸せではありません。

 

いつも周囲には腹立たしい人がいます。

本当は自分の心の中に悲しみや葛藤があるのに、それに向き合うきっかけを失い、他人に自分の葛藤を投影してことに気付きません。

 

そして、自分の心に向き合わないので、内在する心の悲しみは消えないのです。

 

こうなると、なかなか戻ってこれません。

依存症と違って、本人が気付けるような人生の破綻はありません。

 

モラハラな行為でパートナーを失うことになっても、元のパートナーの批判を周囲に漏らすことで慰めてもらったりするからです。

そして新たなパートナーを見つけたりします。

 

それでも、内在する心の痛みは消えず、自分の心の痛みが投影された不愉快の現実に生きることになるのです。

 

 

モラハラ人格の人というのは、モラハラ被害者としての心の痛みに目を向けずに、被害者としての心の痛みとともに生きてくことを選んだ人が多いのです。

 

でも、モラハラ人格の人に同情してはいけません。

モラハラ人格になった人は、こちらの同情や優しさに本気で応えることはありません。