「現実は心の鏡」といいますね。

 

私たちは周囲で起きていることを、自分の経験などから補完して理解しています。

つまり、私たちが見ていると思う世界には、経験や心の葛藤が含まれています。

 

「酷い現実」に見える時は、過去の酷い経験で補完しています。つまり、現実に過去の経験が映り込んでいます。

嫌いな人や気に入らない人には、自分が否定し抑圧している自我を見いたりします。

 

これを知っていると、自分では気づいていない影響を強く受けている心の内容にきづくことができます。

 

 

 

不安や劣等感を感じる時

 

不安や劣等感を感じる時、過去にひどい目にあったり、誰から強く攻められた経験の影響を受けています。
 
その経験によく似た何かを感じ取り、そこからあとは記憶で補完します。
 
その「よく似た何か」は、目に見えている事実かもしれませんし、体の中で起きている感覚かもしれません。
 
さて、その不安や劣等感は、すべてが悪いわけではありませんが、多くのものは過剰で不適切なものです。
 
適切な状態にするには、自分の中で何が起きているかをしっかり観察する必要があります。
  • どん事実に反応しているのか?
  • どの過去の経験の影響を受けているのか?
  • 今の反応が前提としているのは何か?それはだとうか?
  • その反応はどんな結果をもたらすか?それは妥当か?

これらを客観的に観察しようとする姿勢が大切になります。

 

 

嫌いな人

 

自分の直接的な利害がないのに、何となく腹立たしい人、批判している人がいるとすれば、それは自分の中で批判し抑圧している自我を感じ取ている場合があります。

 

言い方を変えると、嫌いな自分を相手に見ているということです。

 

多くの人は、気弱な自分、怠惰な自分、ズルをしようとする自分などを、嫌ったり責めて抑圧しています。

その抑圧している自分はすでに存在を忘れていても、無意識の中で批判や責めを続けています。

 

その抑圧している自分との共通点を誰かに見つけると、勝手に情報を補完して、抑圧している自分の特徴があるように思えてきます。

そして、自分で自分を攻撃する方法で、その相手を攻撃したくなっています。

 

 

本来、否定してよい自分はありません。ある場面では必要な自分かもしれません。ただ、使い分ければよいだけです。

 

同様に、自分の不利益がないことであれば、その人の勝手であったりその人の都合があるかもしれませんから、放っておけばよいだけです。

 



これも自分が何に反応し、何を補完しているのか、その補完はどこかきているかをしっかり観察する必要がります。

 

 

強い同情や世話を焼きたいとき

 

誰からか相談を受けてた時、強く同情や共感をしてしまったり、世話を焼きたくなることがあります。

また、相談者が誰かから苦しめられている時、その合ったことのない人に憎悪が湧いたりします。

 

この時相手の人が、自分が経験した状況と同じ経験をしていると錯覚していたり、自分を苦しめていた人への憎しみを、あったことのない相談者の相手にぶつけたくなっています。

 

 

これは思い込みを生み、状況をより複雑化します。

過去の経験での補完が大きく、現実と適合していないからです。

 

 

このケースも自分が実際に見たことは何か?

類推で補完しているのは何か?

その補完は、自分のどんな体験からきているかを冷静に観察することが大切です。