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多くの人が被支配者心理、モラハラ被害者心理の中で生きているかもしれません。
そう思うようになったきっかけの本があります。
この本は、なんでもミラーニューロンを原因する部分は、私の理解を超えていますが、いくつ興味を引く視点があります。
モラハラを受けて、被害者心理になると人間関係に消極的になるか、誰かを攻撃したり支配しようとするに変わっていくことが多いのです。
つまり、モラハラや支配の連鎖です。
この本では、「過去にあった人からも支配される」とか「離れた人からも支配される」という表現になっていますが、「その心のキズは、支配された傷跡?」で紹介した本のとらえ方だと、過去の辛い経験の追体験ととらえることができると思います。
また、この本では「会話をしたこともない人からも支配をうける」とあります。
この考え方をそのままには賛同でしづらいのですが、「会社組織などでは、そのムードや仕組みに支配されているかもしれない」という発想につながっていきます。
会社や家族という組織はその仕組み上、忠誠をもとめられ貢献を求めてくるからです。
そして、支配された人は別の誰かを支配しますから、支配の連鎖によって多くの人が、支配したり・されたりする連鎖の中にいることになっていきます。
私たちは、「家族のため」「仕事のため」といった重圧を感じている人は多いと思います。
これは、「誰かのために、生きることを」強いられてきた、モラハラ被害者心理の名残かもしれません。
紹介した本の考え方ですが、上の考え方で多くの人が支配されるていると考えると、支配・モラハラの被害者心理の中で生きている可能性が出てきます。
支配される人とそうではない人の特徴を考える時、この本では「愛のとらえ方」で人を分類しています。
- 「私の愛が、人をすくう」もしくは「私の愛で人を救わなければならない」ととらえる人
- 「神のみ本当の愛をもち、その愛が人を救う」ととらえる人
- 人の幸せと愛は関係がないと考える人
この考え方も、そのまま賛同しづらいのですが、2つ目の考え方を、仏教の慈愛やキリスト教の無償の愛などと関係して考えると、真実味を感じます。
このような感覚の人は、支配する側にも支配される側にもなりませんし、他人の幸せになれる可能性を信じることができます。
一つ目のとらえ方をする人が多いと思います。このとらえ方は、愛に執着したり、傲慢な態度をとりがちになります。
そもそも、「自分が他人を救う」という考え方が傲慢とも言えますし、自分の世界と人の世界の境界を危うくする考え方とも言えます。
「私が、手を貸してあげなきゃ」
「私が、正してあげなきゃ」
そんな考え方が一つ目にあたります。
これらは、支配欲が形を変えて場合が多いのです。
