自分の健康は、誰かがどうにかしてくれるものではない。
誰が、自分を大切にしてくれるの?
誰が、労ってくれるの?
誰が、守ってくれるの?
それは、紛れもなく、
自分しかいません。
子供でない限り、自分の生活習慣も、生き方も全て自分が選んでいる。
コロナが蔓延していく中で、
今、やれることは何ですか?
幸せに生きていくには何が必要ですか?
一度大きく失ったから分かるのですが、
健康であること。
幸せに生きるには、欠かせません。
一つでも多く、自分を健やかにするための選択を。
誰のために?
もちろん、大切なあなたのために。
朝起きて、顔が洗える。
着替えられる。
部屋が片付けられる。
お風呂に入れる。
人とコミュニケーションとれる。
やりたいことが思いつく。
楽しいと思えることがある。
20代、一番楽しいはずの時期。そんな、当たり前のことがほとんどできなくなり、大学を休学し、自宅療養しかできなかった時期がありました。
いわゆる、鬱ってやつです。
プチンと糸が、切れる直前まで、
今考えれば不調の真っ只中だったのに、休む、という選択肢がありませんでした。
一年のうち、胃が痛くない!という日の方が数えられるほど珍しいくらいの、慢性胃炎。忙しくなると息苦しく、脈に手をあてるとたいてい不整脈。手のふるえが常にありました。
交感神経ばりばり。ということ。
鬱&自律神経失調症と診断され、
倒れるまでやれた=自分のMax頑張ったとこれでようやく言える。と、ようやく自分を認め安心した、という、ストイックさ。
これでようやく、休める、と思ったんです。病気で倒れれば、それは自分の限界まで頑張ったことになるから。ちゃんと頑張ったと。
いつも、自分は自分に100%全力で走ることを求めていました。
小さい頃、人と比べ色んなことができていなかったのか、
母から、
あんたは、人の100倍努力してようやく人並み!!
と、幼少から何度も言われて育ちました。
できない我が子が心配だったんでしょうね。
おかげで、どんなことにも一生懸命だね!とよく言われます。一生懸命を楽しむ遺伝子が人にはあるそうですが、私は確実に常にONでしょう(笑)本当に一生懸命生きることを楽しんいると思う。
が、
健康を損ない、たくさんのものをいったん失いました。
それ以来、
私は自分がどうしたら、元気に幸せに生きていけるのか?に向き合ってきました。
今は、めちゃくちゃ幸せに生きているし、
好きなことばかりやって、輝いているように見られることが多いけど、
顔を上げることすら苦痛で、若いのに首に深いシワが入るほど、うつむいている事しかできなかった時があったんです。
太陽の光を浴びることすら苦痛で、カーテンをあけたくない毎日。通院以外いっさい外へは出ない。
一年ちょっとして、初めて外に出れて、そこからまた寛解するまで、長かったです。6年くらい。22~28歳くらいまで、薬飲んでいました。
本当に、生きているのが苦痛だった時があったからこそ、
自分が幸せに健やかに輝く!!ということに対して、誰よりも貪欲だし、誰にも遠慮しないし、
自分が幸せに、持てる力を発揮して輝くために、たくさん学び、自分に対して最高のサポートをしてきた自負があります。
今は社交ダンスの世界で、生き生きとのびのびと自由に生きていますが、
その根底には、いったん自分の人生に絶望して、
そこから、復活したからこその、当たり前への感謝、
普通に生きられる事の喜びがあるんです。
そして、言えることは、
幸せに輝きたいのなら、
食事、
睡眠、
心、
体、
環境、
を、自分のために、整え、選ぶこと。
心の声を無視しないこと。
自分を知る努力をすること。
自分が心地よくなるためには、どうしたらいいかに本気になること。
そうしたら、
もっと、心地よく、もっと元気に過ごせる。
もっと、持てる力を発揮して、希望を持って生きていける。
そんな風に生きている私にできること。
blogを通して、一人でも多くの人が、
自分の身体を、自分の心を、自分の人生を大切にしようと思うきっかけになって欲しいし、
そして、生き生きと未来に希望を持って輝やいて欲しいと思う。
健康であることは、何よりも、人生を輝かせる土台になると言い切れるから。
そして、
健康とは、自分を大切にすることの集大成。
満足した素晴らしい人生を歩むために、
今、健やかに生きるための選択を。