「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
漫画のスラムダンクの安西先生の有名な言葉です。
あなたは、何かをあきらめたことは、ありますか?
「あきらめる」とは、もうこの先見込みがない と思ってやめてしまうことです。
どちらかというと、ネガティブな言葉としてとらえられているのではないかと、思います。
そんな“あきらめる”という言葉ですが、その元は、漢字で「諦観」と書きます。
諦はインドの原語「サットヤ」で真理、明理ということです。
観は“みる”ということですから、諦観というのは「あきらかにみる」ということなのです。
「あきらかにみる」
とは、その原因をあきらかに見なさい
ということになります。
「あきらかにみる」
とは、真理を悟る
ということです。
“悟る” なんて言うと、なんかあやしく聞こえる人もいらっしゃるかもしれません。
“深く気づく” そんなニュアンスでとらえていただければいいと思います。
現状をあるがままに見極めようとしている自分自身が認識できる範囲を知って、限界を悟る
↓↓
『あきらかにみる』
が “あきらめる” として現代の言葉になっているようです。
“自分の限界を知る” これも大切だと思います。
でも、最初から何もせずに、限界を設定してしまうのも、もったいないと思います。
やれることは、全てやった上で、自分の限界を知ってあきらめるということは潔いことだと思います。
でも、やる前からあきらめることは、自分の可能性を信じていないことになります。
「あきらめたら。試合終了ですよ」
という言葉に戻りますが、そこで人生という試合が終わってしまいます。
ぜひ、やれることはす全て実行した上で、明かにした上で“あきらめる”ことをしたいですね。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
