私がまったく覚えていない頃の「自分の昔ばなし」をお話しします。
って、どういうこと?
実は、物心ついた頃に、親や周囲の人たちから聞いた話をまとめてみました。
覚えていないんだから、当然ですけど…
突然ですが、漫画『ピーナッツ』に登場するチャーリー・ブラウンの親友で、姉はルーシー、弟はリラン。
と言えば?
ピンポーン!そう、「ライナス」です!
そして、「ライナス」と言えば?
そう、「毛布」。
私は幼い頃、汚れてキッタない、しかもクッサい「タオル」を、
引きずりながら持って回っていたそうです。
もしかしたら、寂しかったのかもしれませんね。
小学生の頃に気づいたのですが、
母親と私は、ほぼまったくスキンシップがありませんでした。
たぶん、母親自身にスキンシップの経験が無かったからだと思います。
母親の幼少期は、太平洋戦争で父親を軍隊に取られ、
父親はほとんど家にいませんでした。
戦後に父親が戦死したことが分かりましたが、遺骨は返ってこず、
祖母が5人の子どもを女手一つで育てました。
戦後は、一家全員で協力しながら食べていくことで精一杯の時代でした。
母親は、祖母が途方に暮れていた姿を覚えていて、
祖母を助けたいと、その時強く思ったそうです。
そして、母親は中学校を卒業すると同時に働きに出ました。
仕事は、母親が思った以上に過酷だったようです。
母親の下には3人の妹がいて、
祖母はその子たちを育て上げることで頭が一杯だったようで…。
母親が持ち帰った給料は袋ごと祖母に取り上げられ、
「お疲れさま」や「ありがとう」といった労いの言葉は一切なく、
母親が自分の物を買うお金は、びた一文分けてくれなかったそうです。
そのくせ、自分の家で食べるものに事欠いているのに、
近所の親戚には野菜をせっせと分け与えているのが嫌だったと言っていました。
食べ物の取り合いで、何が起こるかわからない恐ろしい時代。
祖母は、そうせざるおえない危機感を感じていたのだと思います。
たぶん、母親はこの時代を生き抜く中で、
人間の恐ろしさをたくさん目にしたのだと思います。
そして、下の妹3人が学校を卒業するめどがたち、母親が25歳に頃に、
祖母がお見合い話を持ちかけ、母親はそのまま私の父親と結婚しました。
当時25歳は、晩婚の年齢で、選択の余地は無かったと思われます。
戦争がもたらした母親の思春期を想像し、
親の愛情不足によるアダルトチルドレンだったのかもしれないと思うと、
切ない気持ちでいっぱいになります。
そんな母親が私を産んで育ててくれました。
戦後は、戦前に正しいと言われていた社会秩序が次々と崩壊し、混沌とした時代。
何を頼りに生きてゆけばいいのか誰もわからず、
手探りの状態だったと思います。
思春期に形成するはずのアイデンティティが、根底から覆された若者が親になり、
子どもに何を伝えていいのか分からず、
多くの親たちが迷路に迷い込んだまま子育てをしていました。
母親や私がアダルトチルドレンだったことは、
「戦争の後遺症」ではないかと今は思います。
アダルトチルドレンの原因は、人によって様々ですが、
いろんな出来事が、いろんな形で積み重なり、
大きな負荷がかかった時に発症するのではないでしょうか?
アダルトチルドレンは、社会生活を営めていれば病気と診断されませんが、
たくさんのトラウマを抱えていることは事実です。
たくさんのトラウマが脳や身体に影響し、
精神疾患になっているかいないかの違いだけではないかと私は考えています。
結局、母親の生い立ちの話になってしまいましたが、
産み育ててくれた人の人生は、子どもに大きな影響を与えます。
私の人生は、母親の人生の価値観が土台となってスタートしました。
皆さまの親御さんの人生は、どのようなものだったでしょうか?
もしかして、「アダルトチルドレンにさようなら!」するヒントが、
隠されているかもしれませんね。
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