エンジニアという仕事の弊害 | りょーたのブログ

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基本的に私にとって最高に気持ちいい瞬間は、他の人に面白いと笑ってもらえることだった気がする。

 

中学、高校は特に、バカをやったり、他の人をどう笑わせようかとばかり考えていた。

 

特に高校の時は、キチガイとよく言われたり、SNSで拡散されたら相当まずいことになることもよくしていた。

 

(とはいっても、醤油ペロペロのような人様の迷惑になるような事は一切していないが)

 

例えば、サイ○リヤの窓際でお茶をしている他校の女子高生の側までバレないよう草むらを這い近づき、急に現れ窓越しにキス顔を作る事で「キャー!!」と悲鳴を上げさせる、といったような事だ。

 

そんなバカなことは勿論今やったら、警察を呼ばれて変質者としてムショにぶち込まれるだろう。

 

側から見たらクソキモいが、それでも仲間内でキャッキャ笑っていたのが最高に楽しかった。

 

 

大学生の時は、流石にそれ程やばいことはしていないが、酔った勢いで一女の女の子達と鬼ごっこをしたりしていた。

 

勿論私が鬼である。

 

キャーと言われながら、逃げられるのが最高に心地良かった。

 

 

 

 

 

さて、こういった笑いに関する類のことに関して、論理というのはそれほど重要じゃない。

 

むしろ、対局にあるとさえ言えるかもしれない。

 

お笑い芸人で言っても、個人的には論理を削ぎ落とした笑いの方が好きである。

 

オードリーの春日や、サンシャイン池崎、小島よしおのような笑いである。

 

特に仲間内の笑いでは、理屈をこねくり回して笑いを取ろうとするよりも、こういった笑いの方が爽快である。

 

勿論、ユーモアによる笑い、センスのあるいじりいじられによる笑いもハマった時は本当に気持ちの良いものだ。

 

ただ、この類の笑いでさえ、論理というよりも、瞬発力や想像力の方が遥かに大切である。

 

一方、エンジニアという仕事において、その性質上、常に頭の中は論理で埋め尽くされる。

 

毎日毎日、論理的な世界に居続ければ、自分自身も論理的な世界の住人となっていく。

 

そうすると、だんだん自分がつまらなくなってきているなと感じるようになる。

 

実は、この感覚は、私が社会人1年目、エンジニア1年目の時に既に感じていたことである。

 

それから更に4年経ち、在宅ワークになり、仕事中誰かと無駄話をすることもほとんどなくなり、より一層この傾向が強くなった。

 

 

恐らく、高校の頃と比べれば、別人のような印象になるのではないだろうか。

 

第一印象、まずテンションが全然違うだろう。

 

今では、キチガイと呼ばれるに相応しいテンションの高さは持ち合わせていない。

 

高校生の時には、無限に面白いことを言い続ける自信があったが、今では面白いことなんてパッと頭に浮かばない。

 

残念ながら、流石に人をどう笑わせるかばかり考えていたあの頃と、そんなことを一切考えず毎日真面目に仕事をしている今では、自分自身の面白さに差がでてしまうのはしょうがないだろう。

 

ただ人としておもしろくありたい、もっと楽しくありたい、というのであれば、あの頃を思い出す必要がある。

 

 

筋肉メモリーというのをご存知だろうか。

 

一度筋肉をつけると、筋肉がそれを記憶する。

 

それにより、その後筋トレをサボって筋肉が落ちても、再度筋トレを始めればすぐ筋肉が元通りになるのだ。

 

同様に、ゼロから面白い自分になろう、と思えばそれは難しい事だが、昔の面白いと自分で思っていた時の自分を思い出して、その自分を発揮する事であれば、それほど難しい事ではないのではなかろうか。

 

「自分らしくある」とは、そういうことなのだろう。

 

今後、友人や初めての人でも、誰かと会う時はこのことを常に思い出そうと思う。

 

あの頃のように、自分で自分のことを面白いと思えているか。と。

 

この意識が少しでもあれば、少なくとも、今より明るい自分、恥ずかしがらずありのままの自分を出していけるはずである。

 

少しでも、「自分らしさ」を取り戻し、発揮していきたいと思う。