私、ヤマシタは人から褒められることがあります。

「人当たりがよい」

「やさしそう」

 

そうした人に与える第一印象と言うんでしょうか、

それは良いと言ってもらえることが多いです。

 

 

しかし、時間が経つにつれだんだん人が私との距離をとることがわかるんです。

 

その褒められる第一印象だって、

その後の振る舞いだって、

特に意識して自分を繕って化けの皮をかぶっていたなんてことはないはずなんです。

 

だけれど素性が知れるにつれ人は離れてゆきます。

 

自分は普通にしているだけなのになんでだろう?

若い頃は相当悩みました。

 

同じコミュニティに属しているにも関わらず自分だけが知らないうちになにかイベントが行われていたり、

若かったですから、

いろいろなそして多くのひとと付き合わなきゃいけないって思い込んでいました。

 

人に迷惑かけちゃいけないって、

さんざん言われて育ってきましたから

コミュニティのなかで平気で人に迷惑をかける人には腹が立ちました。

 

でもその迷惑かけたひとは呼ばれて、

自分は呼ばれなかったのです。

 

こういうことを繰り返し自分はなにがいけないのだろうと真剣に悩みました。

 

 

自分は一生懸命真面目に生きているのに、

ほんのちょっとしたミスや失言で嫌われ

普段悪いやつがほんのちょっとの善い行いや優しい言動をするだけで一気に立場を逆転することが本当に理不尽に思えました。

 

いつもの努力は評価してもらえないのかぁぁムキー

あ、努力っていったって偽りの姿をつくってるわけじゃないですよ。
車で言えば安全運転を普段から心がけてるって言う意味です。
 
そしてあるとき気がついたことがあります。
私は簡単にいうとデブなんですがあせる
 
「お前デブなのに面白くないな」
といわれたことがあります。
あ、デブはおもしろくなくちゃいけないんだ!?
 
体型の与えるイメージから道化を求められているのか!?
 
そのことは結構大人になってから言われたことなので、
そこでできない面白いことを無理やり演じようとは思いませんでした。
 
同じひとからなにかでからかわれた際にも、
 
「イジってやってるんだからありがたく思えよ!おいしいところだろ?」
 
正直「はぁ?」でした。
 
もっともその人は人に対する距離の取り方に違和感を感じていたので、
特に反論もせずスルーしましたけど。
 
わたしはわたし、
面白がられなくて結構!
その頃には面倒な人付き合いを無理に追求しなくていいと思い始めていたし、
そんな経験もあって人を避けるようになってゆきました。
 
そして一人で活動することや、
一人で過ごすことの心地よさに気づいてしまったのです。
 
もう一人で良い。
 
そう思って事あるごとに一人の時間を楽しむようになり、
自分なりに心の休ませ方を体得したのだと思います。
 
そういう時間をもつようになり、
つまり自分で自分を大切に取り扱ってあげるようになると、
少し自分の視野も広がったように思います。
 
というのはそれまで他人の動きに翻弄されて被害妄想的な思考になり、
人に接するときは他人の目を気にして不必要に下手に出て自分を卑下していたのは、
このブログの最初の記事で書いたように
 

 

 

条件付きでしか愛されないと思い込んでいる自分が人と接するとき、

妙に顔色を伺い下手に出ている様が、

相手はそんなこと望んでいないし、

近づいてきて卑屈になられたらそれは気分が悪いだろうなということに気が付きました。

 

それは昔の名残で、

下手に出ていればその場をうまくやり過ごせたという経験がどこかにあって、

その時に学習した癖がまた同じようなことを再現させようとしているのだなとおもいました。

 

ひとはマウントを取るなど上からのコントロールだけじゃなく、

意図はしていませんでしたが下からへりくだっていれば相手はこうなるだろうとコントロールを企てていたということになります。

 

自分はおそらくコントロールしようという意識ではなく、

関係性を築きたいとおもって人に接していたはずなのですが、

恥ずかしながらそうした経験値が低く関係性作りに未熟だったのだと言えます。

 

子供の頃からなんでも自己解決しなくてはならない場面が多く、

ある意味鍛えられて来た結果、

一人で過ごすことになんら不便を感じませんでした。

 

特に実家の家族に対しては一緒にいることじたいにめんどくささを感じていました。

ほんのつい4~5年前までだったら、

まだ一人で立って生きて行ける気になっていました。

 

でも、

人間は年を取ります。

 

この先生きながらえるとしたら、

ひとの助けは必ず必要となります。

 

いまだって一人で生きているつもりだったとしても、

必ずだれかの力を借りて生きています。

 

私のように、

関係性を築くことを学ぶべき期間を、

一人で生きるんだと強がって人間関係を拒否していると、

さらに歳をとってから

後が無いにもかかわらず人間関係構築を学び直さねばなりません。

 

今日はなしていることは、

ふつう円滑に社会人生活をおくっている大多数の人には関係のない、

心配のないはなしかもしれません。

 

世の中広いですから、

わたしのような弱点を持っている人もいるかも知れないので書いてみました。

 

なにかの足しになれたら幸いです。