ヤマシタタクミと申します。

子供の頃から親や周りの大人の目をずっと気にして育ってきました。

おそらくそれはなにか良いことをしたとか手伝いをしたときにしか褒めてもらえなかったことで、
自分は「条件付き」でしか愛してもらえないと頭の何処かで思い込んでいたからだと思います。

しかし、人の目を気にして生きてゆくと自分が苦しいだけではなく、
人からも好かれることはないということが相当大人になってからわかってきました。

いつしか

自分は周りの人と比べて劣った人間だ

自分はこんなにひとから嫌われるのは人間として欠陥品なんだ

自分はどうせ何をやってもうまくゆくはずがない


そんなふうに思うようになりました。

だから真剣に物事に取り組むこともなく、

周りからのお説教やアドバイスにも抵抗したり無視することをしてきました。

すると本当に悪い結果ばかりが現実となって自分に突きつけられるのでした。


じつは

数年前まで心理カウンセラーとして活動したことがありました。

それなりの件数カウンセリングを経験しました。

そのことは自分の承認欲求を満たす働きもあり、

浅はかな自分は一種の有能感を感じてしまっていたのです。

しかしながら、
コロナ禍をきっかけに自分の本業自体が破綻してしまいました。

コロナ禍がきっかけといいましたが、
それはほんとにきっかけに過ぎす、
破綻の本当の原因はさきほども書いた

自分は周りの人と比べて劣った人間だ

自分はこんなにひとから嫌われるのは人間として欠陥品なんだ

自分はどうせ何をやってもうまくゆくはずがない


という自分に根深く染みている意識だったと思っています。


アメブロもそのころ数年にわたって書いていましたが、
自分がいい気になって書いた浅はかなものに見えてしまってアカウントごと削除してしまいました。

こういった行いも私のリセット癖によるもので、
今になって思えばそこまですることはなかったなと思っています。

以前のカウンセリング活動を通じて、
また自分の思考の癖を客観視することを通じて感じたことは、

同じ悩みを何年も何度も繰り返している人が多いということ。

カウンセリングで得たアドバイスが気に入らないと、
気に入った答えに出会うまでカウンセラーを替えていつまでも被害者ポジションから抜け出すことができないということに気づきました。

これはなにか健全な思考に必要な栄養素が欠乏しているのではないか?

そんな疑問も出てくる様になりました。


そんなときふとしたきっかけで東洋医学に出会いました。

東洋医学の考えでは、
心と身体は一体のものです。

身体を病めばこういう感情が生まれる・・
こういう感情を感じすぎると・・身体のある機能が不調になる。

それを知って愕然となりました。


東洋医学では五臓六腑という考えがあります。

解剖学で言う具体的にココ!という臓器と必ずしも一致しないのですが、
身体の機能を5つのグループに分けて考えます。

そしてその5つのグループに対応した感情の種類というのもわかっていて、
例えば
怒りっぽくなっているということはここが弱っているんだな~~
ということが推察できる仕組みになっています。

ということはですよ

決して自分が劣っているとか、
人間性がだめとか、
性格が悪いとか、
そういうふうに思わなくていいんだ!


ということがわかりました。

そう自分責めなんてしなくていいんです。

いきなりパッと思いは切り替えられないでしょうけれど、

そんなことをきっかけに自分を大切にできるようになってきたし、
いま自己肯定感が低いことで悩んでいる人の心の負担を軽くするお手伝いができたらいいなと思っております。