親もただの一人の人間 | 摂食障害を乗り越えて

摂食障害を乗り越えて

過食嘔吐に対し、2018年9月から対人関係療法を受け、ほぼ完治しました。治療記録、治療で学んだことと、ボディメイクの記録。

一昨日から父親が入院してて

昨日お見舞いに行った。
 
大した病気ではなく元気だったけど、
何日か絶食しないといけないらしく
退屈だ~と言っていた。
 
私は以前10年間くらい病院で働いていて
患者さんの絶食なんて当たり前と思ってた。
 
けど、実の父親となると
何も食べられないのが可哀想で…えーん
 
しかもちょっと弱ってるし…ゲホゲホ
 
 
やっぱり親は親。
 
改めて、私は親のことが大切なんだな~って
思ったニコ
 
 
 

 
 
父は明るい性格だけど、昔は厳しくて
よく怒鳴られたり叩かれたりした。
 
私は小さい頃から人一倍感受性が強く、
繊細な子供だった。
 
そんな小さな子供が、躾(しつけ)と言えども
父親という大人の男性に
暴力を振るわれていたと思うと、
その頃の自分が可哀想でならないぐすん
 
もう少し違う躾の仕方があったんじゃないの!?
って思う。
 
 
 
でも。。。
 
 
 
あの頃の父は一生懸命やっていたのだろう。
 
父の生きてきた時代、性格、環境なら、
あのやり方が正しいと思ってしまうんだろうな~
1980年代だもんな~
 
にも書いたけれど、
 
 
あの当時、40代だった父が
一生懸命やった結果なのだろう。
 
 
このことが、水島広子先生の著書に
わかりやすく書いてあったので
引用させていただきますニコニコ
 
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(相手の)「ありのままを受け入れる」というのは、
「内容を肯定する」こととは違います。
他人への暴力など、
どう考えても肯定できないことはあります。
 
「暴力を肯定できない」ということと、
「その人の事情を知れば、こんなふうになったのも
仕方がないと思う」ことは問題なく両立します。
 
 
水島広子 著 『自己肯定感、持っていますか?』
P68,大和出版
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親の人生というものを客観的に見ることで
「親のせいでこうなった」という思考から
自由になれるのかな。
 
それは「親を全面的に許す」ということではなくて。
 
親も一人の人間なんだな、という視点になることかも。
 
自分が小さかった頃の親の年齢に
自分が近づいてきたから、
 
「仕方なかったんだな」って思うことが
容易になってきてるのかもねキラキラ