一昨日から父親が入院してて
昨日お見舞いに行った。
大した病気ではなく元気だったけど、
何日か絶食しないといけないらしく
退屈だ~と言っていた。
私は以前10年間くらい病院で働いていて
患者さんの絶食なんて当たり前と思ってた。
けど、実の父親となると
何も食べられないのが可哀想で…
しかもちょっと弱ってるし…
やっぱり親は親。
改めて、私は親のことが大切なんだな~って
思った
父は明るい性格だけど、昔は厳しくて
よく怒鳴られたり叩かれたりした。
私は小さい頃から人一倍感受性が強く、
繊細な子供だった。
そんな小さな子供が、躾(しつけ)と言えども
父親という大人の男性に
暴力を振るわれていたと思うと、
その頃の自分が可哀想でならない
もう少し違う躾の仕方があったんじゃないの!?
って思う。
でも。。。
あの頃の父は一生懸命やっていたのだろう。
父の生きてきた時代、性格、環境なら、
あのやり方が正しいと思ってしまうんだろうな~
1980年代だもんな~
以前の記事 罪を憎んで親を憎まず
にも書いたけれど、
あの当時、40代だった父が
一生懸命やった結果なのだろう。
このことが、水島広子先生の著書に
わかりやすく書いてあったので
引用させていただきます
********************
(相手の)「ありのままを受け入れる」というのは、
「内容を肯定する」こととは違います。
他人への暴力など、
どう考えても肯定できないことはあります。
「暴力を肯定できない」ということと、
「その人の事情を知れば、こんなふうになったのも
仕方がないと思う」ことは問題なく両立します。
水島広子 著 『自己肯定感、持っていますか?』
P68,大和出版
********************
親の人生というものを客観的に見ることで
「親のせいでこうなった」という思考から
自由になれるのかな。
それは「親を全面的に許す」ということではなくて。
親も一人の人間なんだな、という視点になることかも。
自分が小さかった頃の親の年齢に
自分が近づいてきたから、
「仕方なかったんだな」って思うことが
容易になってきてるのかもね