日本の大転換 (集英社新書)/中沢 新一

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中沢新一さんによる『日本の大転換』を読んだ。ことし読んだものの中で一番おもしろかった。
原発問題をあつかっているのだけれど、文明論的アプローチをとっているのでその視点がながい。
原発というのは人類史からみればごく最近の技術であるが、中沢さんはこれを長いエネルギー革命の流れの中で考察している。そして原発というのはその流れの中でも異質なものであると主張しており、この過ちに対するアンチテーゼとして次のエネルギー革命を行うべきだと説く。

我々は今までに火の発明に始まる第1次から原発の発明に至るまでの第7次エネルギー革命までを経験している。この区分は中沢さんのオリジナルではなくフランスの文明学者であるヴァラニャックが規定したものらしい。ちなみにヴァラニャックは『贈与論』を記したマルセル・モースの弟子だそうだ。

その流れでなぜ第7次の原発だけが異質かというと、原発は初めて周りの電子だけじゃなく核そのものに踏み込んだエネルギー革命であるからである。火や炉、石油や石炭によるそれまでのエネルギー革命においては、化学反応によってエネルギーが獲得されており、それは核そのものでなくその周辺をいじることでなされていた。

その化学反応に用いられる材料(木・生物など)は全て太陽からの恩恵で成り立っている。エネルギーの源は太陽から降り注ぎ、それがいかにして地球の生態圏に保持されるかというと、植物による光合成や生物の成長などである。つまり我々は太陽による一方的な贈与をうけとっているのである。太陽圏のエネルギーは地球にはない。太陽は核反応によってエネルギーを生成しているが、地球には出来ない。地球はただその恩恵を贈与としてうけとれるのみ「であった」。

その構造を変えたのが原発によるエネルギー革命でありはじめて我々は神の領域にふみこんだ。自身がエネルギーの源となりえたのだ。つまり地球の生態圏には異質な太陽圏でのエネルギー生成方法が形になったものが原発なのである。それはあたかも小さい太陽を地球にいくつも配列するかのごとき業であった。絶対にあり得ないものがそこに、ある。天皇がサイゼリアで昼食をとっているようなものだ。絶対にあり得ない光景が、ある。

この型と類似したものとして「一神教的神」が挙げられている。ギリシャにせよ日本などの多神教にせよエジプトでの太陽信仰にせよ、その信仰は自分たちの生態圏のどこか外にいる畏怖すべき存在(英語で言うところのawe)を、自分の側にはもってこずそのままにして崇拝し(awesomeとさけぶ)、その畏怖を媒介するものとして身の回りに多くの神を配置した。

日本では、神は自然の身の回りのすべてに偏在しているというアニミズム信仰がある。しかし一神教はどうか。どこか外部にいたはずの神が地上に降り立ち、人間の生に介在する。ノアの箱舟では人間を身捨てようとし、モーセには十戒を授けた。自分のまわりにないはずのものがある。原発とおなじ型なのである。

したげって玉石混交の日本的文化にそもそも原発というのはなじまなかった。そしてこのことを反省し、我々日本人があたらしい第8次革命を先導すべきだというのだ。それは第7次革命のアンチテーゼとして生まれるべきで、そこでは太陽を太陽圏に返還し、その贈与をうけとる構図を取り戻すべきである。これを具体的に行えるのが例えば太陽光発電である。第6次までは太陽からの贈与をエネルギーに返還するのに時間を要した(石油などは顕著)が、太陽光発電に代表される第8次革命ではその贈与を即座にエネルギー変換できるのだ。すぐにエネルギーにできる、という意味では原発とおなじだがその構図は第6時までと変わらない。したがってアンチテーゼという言葉をつかったのだとおもう。中沢さんはこの考えを綱領とした緑の党結成を考えているそうだ。

『日本の大転換』はカール・ポランニーの『大転換』からのラインを引き継いでいる。そのため資本主義批判も行っており新しいエネルギーの革命とともに経済の変革も主張していた。ケネーのフィジオクラシーをあたらしい経済の基盤とするかんがえのようだ。それについてはまた今度。
この夏休みを利用して韓国に一週間ほど滞在した。成田を出発しプサン空港に到着するまで二時間弱のフライトだった。着陸直前、窓から見下ろしたプサンの街並みは出発直後に見た成田のそれとはおおきな違いがあった。その違いは、都市が都市としてどれほど整えられているか、その程度の差から感じだものだと思う。概して、日本というのは都市計画が遅れているように感じる。とくにマンションの配置に於いて日本は不統一な感が否めないが、プサンではきれいに並べられている。空港から出てもその計画性を感じることができた。

それが、道の設計である。規模がでかく、また整然としている。ある人に聞くとそれは韓国の国防事情と関連しているという。韓国はいまだに北朝鮮と戦争状態にある。徴兵制は存続しているし、公式には休戦中という状況にある。したがっていつ戦争が勃発しても不思議ではないのである。昨年、北朝鮮から韓国にミサイルが撃ち込まれたのも記憶にあたらしい。したがって道路は一般車のことだけを考えて設計されるのではなく、戦闘機などが離発着できるように考えられている。だから道幅も大きいし歩道橋もみなかった。そして直線的な道路が多い。

このように道というのは軍事的なものと密接に関係しているのだ。ヨーロッパで道が発展してのはどうしてか。征服活動を多くおこなったローマ帝国ではアッピア街道などの道が発達し、十字軍の際には大規模に道路が整備され、のちの商業の発達への礎となった。三島由紀夫は『不道徳教育講座』のなかで、日本の都市の無計画さをせめたてられた際には、ヨーロッパの軍事事情と日本の平和さを引き合いに出して言い返せばよい、といっている。軍事的立国を中心にしていない日本人にとって道はもとからあるものでなく、住居を建設したのちの「すきま」、それが道となるのである。つまり最初に道があって都市があるのでなく、都市にひとがあつまり住み始めてから道ができるのだ。それを無計画性といってもよいものだろうか。

道程 / 高村光太郎
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

'street'という言葉の起源はラテン語にあるが、本来、「舗装された軍用道路」を表すのにつかわれていた。また漢字の「道」の解字をひも解くと、「首」という文字がみえるが、これは戦争で殺した相手の首を本国までひきずっていく様であったり、または異民族の首を埋めて清めたものを道と読んだりしたことに由来するらしい。いずれにしても軍事と道との関連性がうかがえる。

よって、道は本来、不気味なものであり、たとえば「希望の道」という言葉は撞着矛盾にも聞こえる。陰のニュアンスの「道」と陽の「希望」はお互いに反発した響きを放っている。魯迅は「道」と「希望」をうまくつなぎ合わしている。

「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

う~ん、深い。

しんたろう

週刊STに連載されている丸山孝男さんのコラム “English Joke Collection"をみていて、実にアメリカ人は嫉妬深いと思う。


英語のジョークで多いパターンとして、美しいもの・社会的に地位の高い人々がたくさん餌食なっている。


例えばブロンド、弁護士、医者、上司などである。


Blonde Joke

1. How do you make a blonde laugh on Friday?

-Tell her a joke on Monday.


2. Why did the blonde stand in front of the mirror with her eyes closed?

-She wanted to see what she looked like when she's sleeping.


ここでは美しいブロンドの女性が教養のない馬鹿な女として描かれている。


Lawyer Joke

1.

Client: How much would you charge me to answer three questions?

Lawyer: Four hundred dollars.

Client: That's a lot of money, isn't it?

Lawyer: I guess so. What's your third question?


2.What do angels and honest lawyers have in common?

-They're rumored to exist, but few have ever been seen



Doctor Joke

1.

Patient: Doctor, I'm constantly being embarassed by my poor memory. I forget everything.

Doctor: Perhaps I can help you. Let's get to first things first.

Patient: What do you mean?

Doctor: Pay me now.


2. Doctors and lawyers don't often find themselves in agreement. But they do agree that the best things in life are fee.



日本人も多くの英語ジョークのネタにされる日が来ることを望むばかりである。

のぶてる