
¥735
Amazon.co.jp
中沢新一さんによる『日本の大転換』を読んだ。ことし読んだものの中で一番おもしろかった。
原発問題をあつかっているのだけれど、文明論的アプローチをとっているのでその視点がながい。
原発というのは人類史からみればごく最近の技術であるが、中沢さんはこれを長いエネルギー革命の流れの中で考察している。そして原発というのはその流れの中でも異質なものであると主張しており、この過ちに対するアンチテーゼとして次のエネルギー革命を行うべきだと説く。
我々は今までに火の発明に始まる第1次から原発の発明に至るまでの第7次エネルギー革命までを経験している。この区分は中沢さんのオリジナルではなくフランスの文明学者であるヴァラニャックが規定したものらしい。ちなみにヴァラニャックは『贈与論』を記したマルセル・モースの弟子だそうだ。
その流れでなぜ第7次の原発だけが異質かというと、原発は初めて周りの電子だけじゃなく核そのものに踏み込んだエネルギー革命であるからである。火や炉、石油や石炭によるそれまでのエネルギー革命においては、化学反応によってエネルギーが獲得されており、それは核そのものでなくその周辺をいじることでなされていた。
その化学反応に用いられる材料(木・生物など)は全て太陽からの恩恵で成り立っている。エネルギーの源は太陽から降り注ぎ、それがいかにして地球の生態圏に保持されるかというと、植物による光合成や生物の成長などである。つまり我々は太陽による一方的な贈与をうけとっているのである。太陽圏のエネルギーは地球にはない。太陽は核反応によってエネルギーを生成しているが、地球には出来ない。地球はただその恩恵を贈与としてうけとれるのみ「であった」。
その構造を変えたのが原発によるエネルギー革命でありはじめて我々は神の領域にふみこんだ。自身がエネルギーの源となりえたのだ。つまり地球の生態圏には異質な太陽圏でのエネルギー生成方法が形になったものが原発なのである。それはあたかも小さい太陽を地球にいくつも配列するかのごとき業であった。絶対にあり得ないものがそこに、ある。天皇がサイゼリアで昼食をとっているようなものだ。絶対にあり得ない光景が、ある。
この型と類似したものとして「一神教的神」が挙げられている。ギリシャにせよ日本などの多神教にせよエジプトでの太陽信仰にせよ、その信仰は自分たちの生態圏のどこか外にいる畏怖すべき存在(英語で言うところのawe)を、自分の側にはもってこずそのままにして崇拝し(awesomeとさけぶ)、その畏怖を媒介するものとして身の回りに多くの神を配置した。
日本では、神は自然の身の回りのすべてに偏在しているというアニミズム信仰がある。しかし一神教はどうか。どこか外部にいたはずの神が地上に降り立ち、人間の生に介在する。ノアの箱舟では人間を身捨てようとし、モーセには十戒を授けた。自分のまわりにないはずのものがある。原発とおなじ型なのである。
したげって玉石混交の日本的文化にそもそも原発というのはなじまなかった。そしてこのことを反省し、我々日本人があたらしい第8次革命を先導すべきだというのだ。それは第7次革命のアンチテーゼとして生まれるべきで、そこでは太陽を太陽圏に返還し、その贈与をうけとる構図を取り戻すべきである。これを具体的に行えるのが例えば太陽光発電である。第6次までは太陽からの贈与をエネルギーに返還するのに時間を要した(石油などは顕著)が、太陽光発電に代表される第8次革命ではその贈与を即座にエネルギー変換できるのだ。すぐにエネルギーにできる、という意味では原発とおなじだがその構図は第6時までと変わらない。したがってアンチテーゼという言葉をつかったのだとおもう。中沢さんはこの考えを綱領とした緑の党結成を考えているそうだ。
『日本の大転換』はカール・ポランニーの『大転換』からのラインを引き継いでいる。そのため資本主義批判も行っており新しいエネルギーの革命とともに経済の変革も主張していた。ケネーのフィジオクラシーをあたらしい経済の基盤とするかんがえのようだ。それについてはまた今度。