興味深いランキングを紹介します。


世界には問題が山積みです。


大気汚染・飢餓と栄養失調・紛争・伝染病・自由貿易・教育・テロ・地球温暖化・・・


これらの中で一番力を入れるべき問題はどれでしょうか?


全部解決できればいいですね~


しかし人間の使える資源や時間、お金は希少性のゆえ限られているので、選択をしなければなりません。


そこで、優秀な経済学者が議論してコストパフォーマンスの面から世界の諸問題のランキングをつくりました。


それが、4年ごとに行われる Copenhagen Concensus です。


以下が2008年度のランキングです。




Rank
Solution
Challenge
1

Micronutrient supplements

for children

(vitamin A and zinc)

Malnutrition
2
The Doha development agenda Trade
3
Micronutrient fortification (iron and salt iodization) Malnutrition
4
Expanded immunization coverage for children Diseases
5
Biofortification Malnutrition
6
Deworming and other nutrition programs at school

Malnutrition

and Education

7
Lowering the price of schooling Education
8
Increase and improve girl's schooling Women
9
Community-based nutrition promotion Malnutrition
10
Provide support for women's reproductive role Women
11
Heart attack acute management Diseases
12
Malaria prevention and treatment Diseases
13
Tuberculosis case finding and treatment Diseases
14
R&D in low-carbon energy technologies Global Warming
15 Bio-sand filters for household water treatment Water


いまの発展途上国も国連によると100年後には今の先進国以上に裕福になるといいます。


それを考えると、無駄なお金を使うことなく、より沢山の人が将来得ることができる豊かさを享受できるよう優先順位を決めることは非常に有意義なことですね。


のぶてる

「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。」(リップマン『世論』)
「人間ならば誰にでも現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」(ユリウス・カエサル)

ライオンは満腹の時に獲物をとらえることがないということは、不必要な殺生を行う人間とよく対比される事実である。
しかしライオンが獲物をとらえるときに、その獲物があまりにも可愛く、たべるのが惜しいからといってハンティングをやめるということも同時にきかれない事実である。

人間がかわいい子供をころしたとしたら、血も涙もないやつだと非難されるのが一般的な感覚ではないか。
僕らのような将来ある20代好青年が被害にあった殺人事件などにおける、とってつけたような評価は、「まだまだ未来があったのに残念でしたねぇ。」というものであることが多い。ここには、様々な人生経験を終えた老人よりも若者の命に価値をおく考え方が見え隠れする。

ここに「人間らしさ」の一部が見いだせるのではないか。ライオンは平気で弱者、つまり赤ん坊を標的にする。そこに善悪の判断は入ってこない。若者は生かそう、という発想は彼にはない。そこにはただ自然があるのみなのである。ある種の思考の「型」が動物である「ヒト」と文化を持つ「人間」との間に極太な線を引いているように思う。

その「型」を見やすい形で表している言葉が「~らしさ」ではないか。男らしさ、女らしさ、社会人らしさ、こどもらしさ、エリートらしさ、おちこぼれらしさ、ライバルらしさ、親友らしさ。「~らしさ」という言葉をあるグループに与えることで、人間はある種の「型」をもってその人と接する。

『これは経済学だ!』にも書かれている通り、弱者が元来存在するのではなく弱者は「弱者」という言葉によって創られるのである。したがってその「型」から外れる弱者をわれわれは許すことが出来ない。弱者は「弱者」であるのだから、である。ザギンで寿司を食ってはならん、高級バッグを買ってはならん、という具合に、かれらは「弱者」を演じることを期待されている。定義されている。

サルトルは『ユダヤ人』のなかで次のことを主張した。
「ユダヤ人の性格が反ユダヤ主義を惹き起こしているのではなく、反対に、反ユダヤ主義者が、ユダヤ人を作り上げたのだ」(岩波新書p.177)

これを応用すれば、「弱者は生まれながらの弱者ではなく、彼らを弱者とみるひとによって弱者になったのである」といえる。

我々の周り(surroundings)自体によってというよりも、我々の見方(型、ステレオタイプ)によって我々の世界は構成される、というこの真実(!)は神の存在にもかかわってくるように思われる。

ヒトとは異なって人間というのは明日がある。明日があることを経験的に知っているし信じてもいる。「人生」がある(ここからゆうじろうの甲殻機動隊と交差する)。その人生に意味が無いのは明明白白だけれでも、その状況下で落ち着くことはできなかったのだろうか、人間はsurroundingsに意味を求めた。毎日昇りそして降りる太陽には神秘な力があるという「型」を採用したり、災害がおこるとそれを神の怒りとみなすような「型」を持ちだした。諸事実には何か意味があるのだ。そしてこの意味を人間は「神」と名付けた。なにもないところから生みだされたのである。あるけどない。有にして無。ゆうじろうのいった「空」の概念である。

このように人間には「見えないものを見る能力」が備わっている。ライオンにはない。
友達はいつから親友に変貌するのか。過ごした時間か、それとも思い出の量か。そうかもしれない。しかし単なるともだちを親友にするもっとも重要な起点は、その友人を親友と「思いこむ」ことである。そう思い込むことによって、自分の行動が親友にする行動のパターン(「型」)にすり替わり、相手もそれを受けて関係性が変質するのだ、とおもう。

生物学者の福岡伸一はその著書『できそこないの男たち』の中で、ある授業の風景を描いている。それは生徒たちに膵臓を顕微鏡で観察させ、それをスケッチさせるもので、そのスケッチのたどたどしさにあることに気づかされ次のように続ける。
「私は忘れかけていたことを自戒の意味を持って思いだす。私が膵臓の細胞を見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っているからなのだ。どの輪郭が細胞一つ分の区画であるのか、その外周線を頭の中に持っているからだ。・・・。かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、美しい光景ではあるものの、そこに広がっている何ものかを、形としてみることも、名づけることもできなかった。・・・。つまり、私たちは知っているものしか見ることができない。」(p.55)

一度、型が身についてしまったらそれを打ち破るのはたやすいことではない。無理にそれをやると「型なし」なやつになりかねない。ある型からほかの型に移行させるにはどうすればよいのか。ある型にいる人間にとってその他のものは、見えないものである。だとすれば型の移行は跳躍である。したがってその跳躍の着地点をしることが、もしくは他の型が「ある」ことをしることが、型の移行の一助になる。水泳の練習法に移る。

水泳で速くおよぐには腕の回転を速くしなければならないし、掻きを強くしなければならない。(だよね?)
だからそれを意識して練習する。しかし普段の自分の型(イメージ)で泳いでいては、意識していたとしてもはたからみるとそれほど向上しないものらしい。

したがって彼には高次の型を体感させることが必要だ。腰にゴムを巻きつけて水の中での速い感覚を、水かきをつけて掻くときの力強い感覚を、「見せる」のだ。これによってもともと見えていなかったものが「見える」ようになり、昔の型から跳躍していきつく「新しい型」(目標)を得るのだ。

このように「型」は人間の行動を方向づけるし、その移行が行動の移行に重なる。

経済学にはself-fulfilling prophesyというものがあり、これは経済を構成するactorが経済モデル(型)から得られる最適行動を認識しているためにそれに合うように行動する、といったものである。経済モデルなんて道端に落ちているものではない。みえないものである。それを誰かがある時「みれた」ために、人々は跳躍し始めたのである。

そういえば、アダムスミスも見えないものをみつけた。「神のみえざる手」である。かれは見えないものを見た人間の一人だと言えるだろう。

しんたろう
“想い”と“頭脳”で稼ぐ 社会起業・実戦ガイド 「20円」で世界をつなぐ仕事/小暮 真久
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NPO法人Table For Two の代表の社会起業に関する本です。

2008年のダボス会議でBill Gatesが、Creative Capitalism(創造的資本主義)の構想を発表して以来、社会起業はよりいっそうの注目を集めています。


小暮さんは、理系大学院からマッキンゼーの戦略コンサルタントに就職、松竹を経て、NPO Table For Two Internationalを立ち上げた、異色の経歴の持ち主です。


筆者のNPO法人は食の不均衡の是正に取り組んでいます。つまり先進国は飽食で、メタボとなり、発展途上国は食が少なくがりがりになっているという現状の改善を試みているのです。


そこで、日本の大手企業と提携して、その社員食堂でカロリー控えめな特別メニューを社員が食べると1食につき20円がアフリカに寄付され、その20円がアフリカの子供たちの給食1食になるという仕組みを作りました!


「テーブルをはさんで先進国とアフリカがつながる」、そういったイメージが社名にこめられているのです。


本の中で筆者は日本は喜んで他の人のためにいいことをしてあげる仕組みが少ないと嘆いています。その仕組みを作るのが社会起業家と呼ばれる仕事であると。


現状では日本には「怪しい、信用できない」といったNPO法人に対する偏見が数多くあり、筆者も大変苦労されたそうです。


今後の課題としては、こうしたイメージを払拭して、社会起業はボランティアではなく、れっきとしたビジネスであるといううことが広く認知されれば、多くの優秀な人材がこの社会起業の分野に入り、世界はきっとより良くなるのでしょうね。


のぶてる