わが命つきるとも:フレッド・ジンネマンの自画像 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

わが命つきるとも:フレッド・ジンネマンの自画像


わが命つきるとも
A Man for All Seasons


監督:フレッド・ジンネマン
脚本:ロバート・ボルト
原作:ロバート・ボルト
製作:フレッド・ジンネマン
製作総指揮:ウィリアム・N・グラフ
出演:ポール・スコフィールド、スザンナ・ヨーク、ロバート・ショウ、オーソン・ウェルズ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
撮影:テッド・ムーア
編集:ラルフ・ケムプレン
1967年 アメリカ映画


フレッド・ジンネマンの作品が好きだ。
このブログでも、『日曜日には鼠を殺せ』や『ジュリア』を取り上げてきた。
今回、取り上げるのは16世紀英国の法律家・思想家として知られるトマス・モアを主人公にした『わが命つきるとも』だ。


原題は、"A Man for All Seasons"。
"for all seasons"は慣用句で、夏でも冬でも、寒かろうが暑かろうが、首尾一貫した姿勢を変えないという意味だ。
トマス・モアは、ヘンリー8世の統治下で行われた、国王の結婚にまつわる権力の濫用に異を唱え、ついに国家反逆罪で斬首されてしまう。
彼は、法による正義と、信仰の権利を、「首尾一貫」して主張し続けた、まさに"for all seasons"の人だった。


映画では、長いものにいとも簡単に巻かれてしまう、醜い家臣たちの姿が描かれている。
人間という動物は、100匹いれば99匹までは、絶対王政下であろうが民主主義下であろうが、浅ましい奴隷根性をさらけ出すものだ。
平成日本だけが、異常なほど堕落しているわけではない。古今東西を問わず、権力が腐敗するのは、それを許す社会全体の土壌があるからだ。


フレッド・ジンネマンこそ、"for all seasons"の男だったのではないだろうか。
ウィーンに生まれ、映画に魅せられ、若くしてパリに出て映画を学び、さらに映画の都ハリウッドに渡った。
人生を映画に捧げてしまったという意味では、フレッド・ジンネマン以外にも、多くの映画人がいるだろう。
しかし、商業映画、娯楽映画が大手を振るハリウッドにあって、一貫して「くそ真面目」な作品を撮り続けたという意味で、フレッド・ジンネマンの右に出る者はいないはずだ。


フレッド・ジンネマンは、自分の作品を理解してくれる観客が必ずいると信じていたのだと思う。
金儲けのためだけに、マーケティング調査のような手法を弄して、観客の受け狙いの映画を垂れ流す昨今の映画界を見たら、ジンネマンは何と言うだろうか。
その意味で、彼は人間に対する限りない信頼と愛情を持っていた。


主役を演じアカデミー賞を受賞したポール・スコフィールドは、トマス・モアが乗り移ったようだと評されるが、私にはフレッド・ジンネマンが乗り移ったように見える。
つまり、ポール・スコフィールドの肉体を通して、フレッド・ジンネマンが語っているのだ。
スクリーンの中で噛んで含めるように話すトマス・モアの一言一句は、そのままフレッド・ジンネマンの我々へのメッセージなのだ。


フレッド・ジンネマンの作品はそれほど多くない。
特に脂の乗りきった戦後の作品は、20本ほどだろうか。
しかし、そのいずれもが、間違いなく珠玉のものだ。
「姿勢を正して背筋をのばして観る」そういう映画に出逢えた時の幸福感は格別だ。