誰にだって嫌いな言葉ってあると思うんですよね。
特に嫌いな言葉があるんですよ。
それが自己犠牲という言葉です。
なんで嫌いかというと、
自己犠牲は美徳なんて価値観が多少あるくせに、自己犠牲したところで誰一人幸せにならないからです。
あんな考え方犬も喰わねぇと思います。

犬が自己犠牲という考え方を食いつくしてくれたらどんだけ良いのか、なんて思います。
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じゃあなんで自己犠牲という言葉が嫌いなのか?
それは、
自分を大切にしてないのを正当化している
感じがするからです。
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※注
「いや、本来の自己犠牲という意味はな!」なんて反対意見をおっしゃる方もいると思いますが、あくまでこれは僕が自己犠牲という言葉から感じる印象ですし、解釈なのでそこは含んでもらえたら嬉しいです。
また自己犠牲の価値や意味をアツく語ってくれる方がいるならぜひ教えていただきたいのでおっしゃってください
注終わり
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別に誰かのために誠心誠意尽くすことは素晴らしいと思います。
だけどね、
犠牲という言葉は被害者意識を産み出す
と僕は感じるから嫌いなんです。
犠牲という言葉を調べてみると
1 神、精霊などをまつるときに供える生き物。いけにえ。
2 ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。また、そのもの。「道義のために地位も財産も―にする」「―を払う」
3 災難などで、死んだり負傷したりすること。「戦争の―となる」
とありました。
自己犠牲という意味で使うなら二番が意味としてはあってるのでしょうか?
別に良いんですよ!誰かのために自分を犠牲にしても。
でもそれが素晴らしいのは
自己犠牲したそのこと自体に、自分が心から喜びを感じてる場合だけ
だと思います。
もしそういう人がいたら心から尊敬します。素晴らしい人格者だと思います。あっぱれです。
(というかそういう人は自分が犠牲になっただなんて思ってないと思うけど)
だけど、自己犠牲とかよく言う人や、周りが良ければ自分はどうでもいいとか言っちゃう人は
だいたい見返りを求めてるか、責任を周りに押しつけて悲劇の主人公になりたがってるだけ
なんだと思ってます。
別に見返り求めても良いですよ。
自分が被害者になって責任を誰かに押しつけたって良いですよ。
それで本当に心から幸せだと思えるなら。
たとえばですよ、
誰かのため自分が我慢した人がいたとしますよ。
恋人の我儘を聞いたでも、旦那が片付けをしないという不満を我慢したでもなんでもいいです。
無駄な争いを起こしたくないとか、嫌われたくないとか理由はなんでもいいです。
いったんその場はなにも問題が起こらないですむかもしれません。
でも、
自分が犠牲になったと感じたなら、
そのせいで自分の中に被害者意識が芽生えてしまったなら、
不満は絶対に残ります。
そして、その不満がたまってしまったなら、
いつか爆発します。
ある人はぶちギレるかもしれません。
「だいたいいつもお前は○×!」
なんて昔の話題を持ち出してケンカになるのもそのせいです。
その人との関係性を壊さないために我慢していたにも関わらず結果としてぶっ壊れることがあったりします。
ある人は誰かにあたることもできずに、自分を責め精神を病んでしまったり、不平不満に支配され不幸感の中で生きることになります。
ようするに、
自己犠牲なんてしたところで、多くの場合自分が被害者意識を持つだけだから、長い目で見たら自分も周りも誰一人幸せになれない
ってことです。
自己犠牲という言葉が、自分が被害者意識を持つことに正当性を持たせる働きをしていると僕は感じるので、僕は自己犠牲という言葉が好きになれんのです。
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ようするに、何が言いたいかというと
誰かのため自分の気持ちを我慢したり、蔑ろにするのでなくて、自分の気持ちを大切に扱ってあげたら、みんな幸せになると思うよ
ってことです。
勘違いしないで欲しいのは
自分の気持ちをただ押し通したり我儘を言う、ということではないです。
自分が今どんなふうに感じているかという気持ちをしっかり自分が受け止めてあげたり、
自分の感情が拒否していると感じたらその気持ちを大切に尊重してあげるということです。
相手と交渉が必要な時は、まず自分がどう思っているかを伝えるだけでも、我慢の度合いは減ってくるしね。
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インサイドアウトという考え方があります。
自分を大切にした分にしか身近な人を大切にできないよ。まずは自分を大切にすることが何より一番重要だよ
と言った考え方です。
あなたが幸せになった分、周りの人が幸せになれるのですから、
そろそろ自分を犠牲にする生き方を止めてもいんじゃないのかな?
そんなふうに思うわけです。
