暴力から逃れる方法
暴力や暴言を受けているとき、
「どうしたら相手が変わるんだろう」
「なぜ自分ばかり傷つけられるんだろう」
「相手に反省してほしい」
そんなことを考えているかもしれません。
でも、ここで一つ大切なことがあります。
暴力をなくすために、暴力を振るう相手を変えようとし続けても、なかなか状況は変わらない。
なぜなら、人は他人を思い通りに変えることができないからです。
では、どうすればいいのでしょうか。
私は、暴力から逃れるために最も大切なのは、
「相手を変えること」ではなく、「自分が暴力との関係を変えること」
だと考えています。
「受け入れる」と「我慢する」は違う
最初に、大切なことを確認しておきます。
ここでいう「暴力を受け入れる」とは、
「殴られても我慢しましょう」
「暴言を受けても耐えましょう」
「嫌なことをされても許しましょう」
という意味ではありません。
危険な暴力からは、離れていい。
助けを求めていい。
逃げて自分の身を守ることは大事。
相手との関係を終わらせてもいい。
自分や子どもの安全を守ることは、とても大切です。
そのうえで、「受け入れる」という言葉を使うなら、
「暴力というものが存在することを認める」
という意味です。
「こんなことが起きるはずがない」
「絶対に許せない」
「こんな人間は存在してはいけない」
と否定し続けるのではなく、
「残念だけれど、世の中には人を傷つける人もいる」
「自分も傷つけられることがある」
「人間には怒りや攻撃性が生まれることもある」
と、現実をそのまま認める。
ここから、自分の人生を取り戻すことが始まります。
暴力を受けた人ほど、暴力に敏感になる
たとえば、子どものころに怒鳴られて育った人がいるとします。
大人になってからも、
「怒鳴る人は絶対に許せない」
と思うかもしれません。
もちろん、怒鳴られて傷ついた経験があるなら、そう思うのは自然なことです。
ところが、過去の経験が強く残っていると、現在のちょっとした強い口調にも、
「また攻撃された!」
と感じてしまうことがあります。
相手は単に意見を伝えただけなのに、過去の記憶まで刺激されてしまう。
すると、
「攻撃された」
↓
「自分を守らなければ」
↓
「相手を言い負かさなければ」
↓
「相手も反発する」
↓
「やっぱり人は怖い」
という循環が生まれることがあります。
ここで必要なのは、
「自分が悪い」
と考えることではありません。
そうではなく、
「私は今、目の前の出来事だけでなく、過去の傷にも反応しているのかもしれない」
と気づくことです。
暴力を敵にすると、心の中でも戦いが続く
暴力を受けた経験があると、
「暴力は絶対に許さない」
という強い思いを持つことがあります。
それ自体は悪いことではありません。
しかし、心の中で四六時中、
「許せない」
「なぜあんなことをしたんだ」
「絶対に間違っている」
「いつか分からせてやりたい」
と相手と戦い続けていると、
暴力が終わった後も、自分の中では戦いが終わりません。
相手は目の前からいなくなったのに、
心の中には相手が住み続けている。
これは、とても苦しい状態です。
だから、
「相手を許さなければならない」
のではなく、
「もう、この人との戦いを自分の人生の中心にしなくていい」
と決めることが大切なのです。
「相手を変える」から「自分を守る」へ
暴力を振るう人に、
「もう暴力をやめてください」
とお願いすることはできます。
しかし、それでも相手が変わらないことはあります。
そのとき、
「どうすれば相手を変えられるだろう」
と考え続けるより、
「私はどうすれば、この状況から離れられるだろう」
と考える。
ここに大きな違いがあります。
たとえば職場で暴言を繰り返す人がいるなら、
相手を説得することだけに力を使うのではなく、
上司や相談窓口に相談する
記録を残す
距離を取る
配置転換を求める
必要なら退職する
という選択肢があります。
家庭で暴力が起きているなら、
安全な場所へ避難する
信頼できる人に相談する
支援機関につながる
必要に応じて専門家や警察に相談する
という方法があります。
逃げることは負けではありません。
自分の人生を守るための行動です。
「私は何も悪くない」と「私は無力だ」は別の話
暴力を受けた人が、
「自分にも原因があったのではないか」
と自分を責めてしまうことがあります。
しかし、
暴力を振るわれた責任と、これからどう行動するかの責任は別です。
相手が暴力を選んだ責任まで、あなたが背負う必要はありません。
一方で、
「私は何もできない」
と考えてしまう必要もありません。
相手を変えることはできなくても、
自分がどこにいるのか、誰と関わるのか、何を受け入れ、何から離れるのかは、自分で選べる部分があります。
ここに、自分の人生を取り戻す力があります。
暴力を「受け入れる」のではなく、現実を受け入れる
「暴力を受け入れる」という言葉には、抵抗を感じる人もいるでしょう。
それでいいと思います。
無理に納得する必要はありません。
むしろ、
「暴力なんて絶対に嫌だ」
という気持ちがあるなら、それも大切にしてください。
ただし、
「暴力が嫌だ」ことと、「暴力が存在してはいけない」ことは別です。
世の中には、自分の望まないことが起こります。
嫌な人もいます。
理不尽な出来事もあります。
怒りをぶつけてくる人もいます。
それをすべてなくそうとすると、人生は終わりのない戦いになってしまいます。
だから、
「そういうことも世の中にはある」
と現実を認める。
そのうえで、
「でも、私はそこから離れる」
と決める。
これが、本当の意味で自分を守ることなのではないでしょうか。
暴力から逃れるために必要なのは「戦い続けること」ではない
暴力を受けたとき、
「絶対に許さない」
「相手を思い知らせてやる」
「二度とこんなことをさせない」
と戦うことだけが方法ではありません。
もちろん、危険な状況では自分を守るための行動が必要です。
しかし、安全を確保した後まで、
「なぜあの人はあんなことをしたのか」
「どうして自分だけがこんな目に遭ったのか」
と過去の相手との戦いを続ける必要はありません。
大切なのは、
「もう、私の人生をその人に支配させない」
と決めることです。
相手を変えることではなく、
自分の人生の主導権を自分に戻す。
それが、暴力から本当の意味で離れていく第一歩です。
逃げてもいい。離れてもいい。そして、戦いを終えてもいい
暴力から逃れる方法は、
「暴力に耐えること」ではありません。
「暴力を好きになること」でもありません。
まして、
「暴力を受けてもいい」
と自分に言い聞かせることでもありません。
必要なのは、
暴力が存在する現実を認めたうえで、自分を守る選択をすること。
そして、安全な場所まで離れることができたら、
「もう、この出来事に自分の人生を支配させない」
と決めることです。
相手を憎み続けなくてもいい。
相手を許さなくてもいい。
相手を理解できなくてもいい。
ただ、
「私は、私の人生を生きる」
と決めればいい。
暴力をなくそうとして相手と戦い続けるのではなく、
必要なときには逃げ、
距離を取り、
助けを求め、
そして最後には心の中の戦いも終わらせる。
それが、暴力から逃れ、自分の人生を取り戻すための大切な方法なのだと思います。



