先入観をなくせば悩みは消える
〜あなたはどんな色のメガネをかけていますか?〜
「きっと嫌われている」
「どうせ失敗する」
「あの人は冷たい人だ」
そんなふうに思い込んでしまい、苦しくなった経験はありませんか?
実は、私たちは目の前の出来事を、そのまま見ているようで見ていません。
自分が今まで経験してきたことや、親や学校で教えられた価値観を通して現実を見ています。
つまり、「現実」を見ているのではなく、「自分の解釈」を見ていることが多いのです。
心屋仁之助さんのブログで紹介されている
「何にでも醤油をかける女の物語」という話があります。
ある街に、いつも食卓に醤油を置いている家がありました。
その家では、いつの頃からか(先祖代々?)出てきた食べ物には
何にでも醤油をかけるという習慣がありました。
その家で育った裕子さんも、当然のごとく何にでも醤油をかけます。
卵でも、カレーでも、プリンやケーキにも醤油をかけます。
子供のころから、家族のみんながそうしてきたし、
それが当たり前だと思っていたから。
小学校の給食にも、いつも魚の形の容器に入れて、
醤油を持っていっていました。
先生やみんなから、不思議がられたり、変な扱いを受けましたが、
裕子さんは、逆にみんながどうして掛けないのか不思議でした。
だから、裕子さんにとっては、すべての食べ物が塩辛いものでした。
だから、「甘いもの」や「まろやかな」ものがあることさえ気付きませんでした。
年頃になった裕子さんは、彼氏から言われました。
「今まで我慢してたけど、何にでも醤油をかけるのはやめてくれないか。
こうやって美味しいケーキを買ってきたんだから、甘さを楽しまないか」
裕子さんは、何を言われているのかわかりませんでした。
「甘さって何? 見たことも食べたこともないわ!
どうして醤油をかけたら駄目なの??!!
前から思ってたけど、私も言わせてもらうわ。
どうしてあなたは、醤油をいつも持ってないのよ!!」
裕子さんは、自分を否定された気がして、とても悲しく感じました。
そして、そこから裕子さんの行動が変わったのです。
(いいわよ、じゃあ何にでも醤油をかけないでいるわ)
裕子さんは、天の邪鬼になって、極端な行動に出ました。
お刺身も、醤油をつけない、卵かけご飯にも醤油をかけない、
焼き魚や焼き海苔、煮物を作る時にも醤油を使わなくなりました。
そして、どうしてここの料理はこんなに美味しくないのよ!!
と、毎日のように怒っていました。
「ちょうどいい」というものが、わからなくなってしまったのです。
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話しを最初に戻しましょう。
裕子さんの育った家庭では、何にでも醤油をかける文化でした。
だから、「すべての食べ物には醤油をかけるものだ」と信じて疑っていませんでした。
だから、見た食べ物すべてに、醤油をかけます。
それが「常識」「当たり前」「信じて疑わないもの」だったのです。
そして、これが「ゆるぎない大前提」であり、
そして、これが「裕子さんだけの現実」であるわけです。
目の前の「出来事」すべてに「醤油という自分の価値観を混ぜる」
その結果、「自分だけの醤油味の現実」が繰り広げられます。
すべてがそう「見える」。それが、現実なのです。
彼が浮気しているはずだ、という目で見れば(疑いの醤油をかければ)
彼の言動のすべてが、疑わしく見える。
自分はつまらない人間何だ、という目で見れば(つまらない醤油)
他人の何気ない行動が、すべて自分がつまらないんだと思わせられる。
目の前の現実を、醤油をかけた目で見れば、すべてが茶色に見えるし、
目の前の現実に、何にでも醤油をかければ、すべてが塩辛くなります。
それに、醤油をかけたほうがおいしくなるものもたくさんあるのです。
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これは、こういうものだ
これは、こうであるはずだ
これは、こうするべきだ
これを、「思い込み」とか「先入観」といいます。
それは、誰かから教え、刷り込まれてきました。
目の前の現実を見るときに「醤油をまず掛けるんだよ」と教えられてきました。「醤油をかけたほうがおいしいんだよ」
「醤油をかけるのが普通なんだよ」
「醤油をかけないと、失礼なんだよ」
「醤油をかけない人は、悪い人なんだよ」
さらには、誰かから「あなたは、醤油みたいな女だよ」と言われて、
そう思い込んでしまった人もいるかもしれません。
そう「大前提」が間違っているのです。
間違った大前提の上に、
いくら努力しても、もっと大きな間違いが拡大するだけです。
勘違いが加速するのです。
-----------自分の「べき」に反する人が「苦手な人」です。
「なんであなたは、醤油をかけないの!!!」と嫌な気分になります。
これが「自分だけの制限・自分だけのブレーキ」です。逆に
「そう、あなたは、私と同じ醤油をかけるよね、素晴らしいわ」
というのが「好きな人」「憧れる人」です。
「そう、あなたは私と同じ味覚を持ってるから素晴らしい」なのです。
その自分と違う価値観を持った人、自分と同じ醤油をかけない人を許すワークが、
前回ご紹介した、「無意識のブレーキを見つけて外す方法」 なのです。
それが「まだ許せない」「それはおかしい」という気持ちが強いと、
すごく嫌な気持ちになるのかもしれません。
「醤油をかけてもいいし、かけなくてもいい」
今までは、「醤油をかけないとだめ」「かけるべき」
もっと極端にいえば「醤油をかけないと怒られる・嫌われる」でした。
それを
「醤油をかけるのも、いい」「かけないのも、いい」と、
どちらにも○(マル)をつける。
そして、自分で「選ぶ」ことができるのです。
色つきメガネで世界を見ている
例えば、赤い色つきメガネをかけていたら、白い紙も少し赤く見えます。
でも本人は、そのことに気づきません。
「世界は赤っぽいものだ」と思ってしまうからです。
私たちの先入観も、これと同じです。
「人は信用できない」
「失敗したら終わりだ」
「いい親は子どもをしっかり管理するべきだ」
そんな考えを無意識に持っていると、目の前の出来事は、その考えを証明する材料ばかりに見えてしまいます。
思い込みが悩みを作る
例えば、友人からの返信が遅かったとします。
その事実だけなら、「返信がまだ来ていない」というだけです。
しかし、
「嫌われているのかもしれない」
という先入観があると、一気に不安になります。
ところが後になって、
「仕事が忙しかっただけだった」
「スマートフォンの充電が切れていた」
ということも珍しくありません。
悩みの原因は返信が遅かったことではなく、「嫌われているに違いない」という思い込みだったのです。
「○○するべき」が苦しさを生む
私たちは知らないうちに、
「親はこうあるべき」
「子どもはこうするべき」
「仕事はこうするべき」
という基準をたくさん持っています。
もちろん、ルールやマナーは大切です。
しかし、それが絶対に正しいと思い込みすぎると、自分と違う考えの人を見るたびにイライラしたり、傷ついたりします。
価値観が違うだけなのに、
「間違っている」
「許せない」
と感じてしまうのです。
「正しい」ではなく「違うだけ」
ある家庭では、朝食はパンが当たり前。
別の家庭では、ご飯と味噌汁が当たり前。
どちらが正しいわけでもありません。
育った環境が違えば、当たり前も変わります。
ところが、自分の当たり前だけが正しいと思ってしまうと、人間関係は苦しくなります。
相手を変えようとするよりも、
「そういう考え方もあるんだ」
と思えた瞬間、心は驚くほど軽くなります。
「本当にそうだろうか?」と問いかけてみる
悩みが生まれたときは、自分にこんな質問をしてみてください。
本当にそう決まっているのだろうか?
他の可能性はないだろうか?
私の思い込みではないだろうか?
この問いを持つだけで、心の視野は広がります。
決めつけていたことが、実は勘違いだったと気づくことも少なくありません。
先入観を手放すと選択肢が増える
先入観をなくすというのは、自分の考えを捨てることではありません。
「こう考えてもいいし、違う考え方でもいい。」
そんなふうに、どちらにも〇をつけられるようになることです。
すると、「~しなければならない」という苦しさから解放され、自分で自由に選べるようになります。
心に余裕が生まれると、人との違いも受け入れやすくなり、人間関係も自然と楽になっていきます。
まとめ
私たちは、出来事そのものに苦しんでいるのではなく、自分の解釈によって苦しんでいることが少なくありません。
だからこそ、悩みを感じたときは、
「私は何か先入観で見ていないだろうか?」
と立ち止まってみてください。
その瞬間から、見えてくる世界は少しずつ変わり始めます。
出来事は同じでも、見方が変われば感じ方も変わります。
先入観という色つきメガネを外したとき、これまで悩みだと思っていたものが、実は自分の思い込みだったことに気づけるかもしれません。

