大人になった今も、

常に場の空気を察知することに

長けているように思います。

 

いや、

 
むしろ場の空気にもの凄く神経質
なのかな?とも思います(笑)。

 

 
人の気を遣わせない
人の迷惑にならない

 

 
そこにつながる子供のころの
エピソードです。

 
※前回の話はコチラです。
↓  ↓  ↓

【ぼくの世界観1】幼少期
『愛が欲しくて自分をつくろって生きてた』
 

父が教員だった当時の

田舎の中学校はとても
荒れていたようです。


黒板に向かって文字を書いていると、
チェーンやカッターが背中から飛んできた
んだとか。


父はスパルタ教育を愛する
もの凄くパワフルな教師でしたから、
(前回の話にも出ましたが、
 僕にももちろんスパルタ教育でした)


 暴力沙汰のある中学校にスカウト
され転勤になりました。


僕が小学校に入学して1~2ヶ月

経った頃だったと思います



そして母親は

妊娠9ヶ月のタイミング。


父は意気揚々とすぐさまその

遠くの町に転勤、


母と弟は出産の準備があり、
遠くの母の実家へ。


僕は近所の同年代の友達がいる家に
預けられました。

 

家族がバラバラ。

 

 (父も小学校3年の時ひとりで
 他人の家に預けられ、毎晩泣いて
 いたそうです)

↓  ↓  ↓

【ぼくの世界観1】幼少期



幸い、

その家庭はとても親切でした。

 
僕を家族同然に扱ってくれていたし、

 
一緒に風呂に入ったり、

もちろん叱られるときも
同じように厳しく叱られたりして。

 
なんだか叱られた時はものすごく
幸せを感じたな~
同じ家族なんだ!って気がしてました。

 



 月のたった1日を除いては…。

 

その家は自営業者で
毎月決まって子供たちはそれぞれ

お小遣いをもらって、駄菓子屋に行ってました。


そして決まってそこのお父さんに
こう言われました。

 
「タカ、ごめんな。
 タカにもお小遣いあげたいんだけど、
 タカのお父さんに止められてるんだわ。」

 
僕の家には、お金も無かったし

お小遣いの習慣もなかったので、

 
それは仕方ないと思ってましたが、

子供心に、、
そう言われるときが一番つらかった。

 
家族でない

部外者である自分の存在が



そこの家庭に

ものすごく迷惑をかけているようで。

 


だから、「お小遣い日」は


ひとりで遅くまで
川でザリガニを取ったり
山に入ってクルミを集めたりして、


その家の人に

 
気を遣われないように
迷惑にならないように

 
過ごすようにしていました。

 
その家庭の愛あふれるシーンは
見ないように、

邪魔をしないように。

 
それを見てしまうと、

家族のいない自分の心がキューンと

締め付けられるから。

 

「人の迷惑にならないように生きる」
この経験から身に着いたようです。

 

 

そんな思いはやがて

次第にエスカレートし

 

 

「常に人に気を遣う」自分を

作っていきます。

 

 

そしてその
「常に人に気を遣う」自分が

 

 

父のもとに呼ばれた

町の小学校での初登校の日に、、

 

 

あろうことか
 

その後4年間の記憶を

全く失ってしまうほどの

出来事を起こしてしまったのです。
 


ここまでお読みいただき、
ありがとうございます。

 
~つづく~

次回:

【ぼくの世界観2】幼少期

『気配を消して生きる』

 

ブレインドクター

荒井です。



今あなたは
人間関係って


実に複雑で難儀だと
感じていませんか?


特に職場での
人間関係。




実際




治療院でよく聞かされるのが
「職場での人間関係の悩み」です


職場にいる上司が
意地悪で嫌で仕方がない


毎日職場に行くのが
憂うつだしイライラする


かといって
どうしようもない…




僕も会社員時代
いろいろ人間関係でありました。


尖っていた時代だったので
上司とよくもめてましたね(笑)


我慢するタイプでなかった分
心に大きな負担にこそ
ならなかったですが、


上司にしてみたら
さぞ扱いにくい
部下だったと反省しています。




ちょっと
想像してみてください






・・・





ふたりの小さな子供たちが
電車の中で大声を出しながら
騒いで走りまわっていました


その騒ぎに他の乗客たちは
顔をしかめています。


でもそのお父さんは
というと、


子供たちに注意することもなく
窓の外を眺めている…。


そんな光景にしびれを切らした
男性がそのお父さんに近づき


「お子さんたちが騒いでいて
 周りが困っています。
 注意をしていただけませんか?」


と伝えました。


するとお父さんは
ハッとして顔を上げ


「あ、すみません。
 そうですね、
 注意しないといけないですね」


と大変申し訳なさそうに
誤りました。


そしてお父さんは
こう続けました。



「すいません。
 ちゃんとしないといけないのですが…

 実は今日妻が亡くなったばかりで、
 これから子供たちにどのように

 君たちのお母さんがいなくなった
 ということを伝えればいいのか、

 ちょっと思案していたものでしたから…」



この時注意した男性は
大きなショックを受け


今までの人生に対して
大きな転換が起きました。




~~~~~~~

どんな相手にも、
そうならざるを得なかった
状況がある

~~~~~~~




どんなに嫌いな上司にだって
そうならざるを得なかった
過去があります


どんな嫌味な上司でも
彼を頼りにしている奥様や
お子さんたちがいます。



休日には


良きパパとして
子供たちと一緒に遊びに
夢中になっていたり


奥様の代わりに
一生懸命
ごはん支度をしている
かもしれません。


過去には


失敗を上司にとがめられ
絶望を味わっていたことも
あるかもしれません。




試しに




一度完全に相手の立場に立った
つもりで話を聞いてみてください


相手の子供目線
相手の奥様(ご主人)目線で


聞いてみてください。



相手の立場から
この世界を見てみようと
心がけること


「嫌で大嫌いな上司でも正しい」


と一度そんな視点を持ってみて
はいかがでしょうか?



最初はムカついて
そんなことしたくない!
と思われるかもしれませんが



これからのあなたの人生を考えると
~~~~~~~~~~~~~~~~



間違いなく
あなたの人間関係関係は
変わっていきます。

 

 

追伸:

【ぼくの世界観】は1日おきに投稿しています。

【ぼくの世界観1】幼少期

 

父は学校の先生。


その父は戦争疎開で
横浜から北海道に。

 
父のお爺さんの家は、
お手伝いさんが6~7人いて、
貿易商とパン屋さんを営んでいた
そうです。

 
なんかモダンな感じですが
当時は、裕福な家だったそうです。

 
ちなみにお墓は東京で
「荒井家」ではなく
「越中屋」。

 
戦争による被害が大きくなり
親戚を頼って北海道まで
来たそうですが、

 
とにかく命からがら
祖父と2人で来たらしく、

 
その当時はまだ
小学3年生


横浜に置いてきた母親や
お姉さん、弟を思い出しては


毎日淋しさに
涙を流していたそうです。
(生前書き綴っていた人生記に
 そう書いてありました)

 
子供のころから
とても勉強ができたらしく

将来は弁護士になろうという
強い夢を持っていたのですが、

 
あの戦争によって
横浜の家もお金も財産もすべて失い
大学に行くことも叶わず

 
通信教育で大学を卒業し
弁護士では無く
学校の先生になりました。

 

戦争という時代背景と
お金の無いことで
夢を打ち砕かれた父は、

 
酒に酔っては
「戦争なんかしやがって!」
「金が無かったら何も出来ないんだ!
 世の中金がすべてなんだ!」
と叫んでいました。

 

そんなバリバリ昭和一ケタの
父でしたから、


長男である僕に対する期待は
もの凄く大きかったようです。

 
まだ小学校に入る前から、
「うちは徹底的にスパルタ教育だ!
 隆秀、お前は勉強して
 絶対に弁護士になるんだ!いいな!!」

 
いつもそう言われていました。

 

泣き虫な僕が
何かあって僕が泣くと


街灯の明かりはもちろん
家の明かりすらない
真っ暗な田舎道をかつがれ


小さな河原に捨てられました。

 
北海道の真冬であってもです。

 

恐怖で、泣きじゃくりながら
必死に親父の背中を
追いかけていました


「パパ、捨てないで
 お願いです、捨てないで…」

 
それに対していつも父は
 「泣くな!泣いたらまた
 川に捨てるぞ!!」と。

 

怒鳴られながら
一生懸命に涙をこらえ
親父にすがりついて
家に帰っていました。

 
幼心に、


「お父さんの言うことを聞かないと
 僕は捨てられるんだ。
 だからいつでもお父さんの
 言うとおりの子供でいなきゃいけない」

 
「お父さんの言うとおりに出来ないと
 お母さんが叱れらる。
 そしたら僕はお母さんにも
 捨てられるかもしれない」

 
そう怯えていました。
 

今思えば
両親の愛が欲しくて
母からの愛に包まれていたくて、

 
精一杯我慢をして
自分をつくろって生きていたのだと
思います。

 

小学校に入る前、
母にクリスマスプレゼントに


サンタの靴に入った
お菓子をねだった事があります。


父が夜家に帰ってくると
母はそのことをいきなり
父に告げました。


「え、いきなり言うの?」
僕は内心ドキドキ…


昭和一ケタの父に
3歩下がって歩くような母は


何をするにも
「お父さんに聞いてからね」
というひと。


父はそれを聞くなり


「そったらもん(そんなもの)が
 欲しいのか!まったく」

 
なんだか母に告げ口された
気持ちがしました。

 
と同時に


言ってはいけないことを
言ったのかもしれない…
と後悔しましたが、

 

「どら、今から買いに行くぞ!!」

 

という声に、戸惑いながらも、
雪が深々と降りしきる中、
足早に店に向かう親父を


 途中、転んで雪だらけになりながら
必死に追いかけました。

 

「こったらもんが欲しいのか」


店で僕が指差した
たった1つ残っていたサンタの靴を


無造作に店主に差出し
買ってくれました。

 
嬉しい気持ちと
父に迷惑をかけてしまった気持ち。


嫌われてしまった
かもしれないという切なさ。

 

僕はそれ以来、
母にも自分の気持ちを
はっきり出さない子になって
行ったようです。

 

そしてやがて、、
大きなトラウマを招く
大事件が起こります。

 

父は昭和一ケタの男ですし
「愛してるよ」なんて子供に言う…


そんな時代ではなかったから、
仕方がないかもしれませんね。

 

それよりも、父は
夢を果たせなかった
自分自身に

 
いつも腹を手立ていた。

 

父は自分自身を
愛せていなかった気がします。

 
ここまでお読みいただき、
ありがとうございます。