幕末。
それは1853年のある事件から始まります。
ペリー来航です。
ペリーは開国をせまります。黒船の圧力により、ついに幕府は開国を決断します。
200年以上続いた鎖国の終了です。
この日から、江戸幕府は崩壊に向かいます。そして「江戸幕府を倒す」
倒幕運動が盛んになります。
この動きに、「新撰組」等、幕府側が目を光らせます。
このような状況の下、
「外国人を打ち払い、天皇中心の国を作ろう」という動きが盛んになります。
尊王攘夷(そんのうじょうい)です。
この中心は長州藩でした。
そして、その中心が吉田松陰の「松下村塾」の門下生でした。
この松下村塾がスゴイんです。
高杉晋作・伊藤博文(初代総理大臣)・山縣有朋(第3代総理大臣)等
日本の歴史をつくった人物が、長州の小さな塾から続々と出ているんです!
一時、長州は京都で主役となりました。攘夷派の公家(三条実美)を味方にしたのです。
この動きに「待った」をかけたのは、薩摩藩と会津藩でした。薩摩藩は長州のライバル
で、会津藩は京都の警備を幕府より命じられていたのです。
薩摩と会津は、天皇を説得し、長州藩を京都から追放しました。(8月18日の政変)
長州は薩摩に激しい憎悪を抱きます。 薩摩と長州の対立は決定的になりました。
1864年 ある事件が長州藩を激怒させます。
「池田屋事件」です。新撰組が京都の池田屋で、長州藩等の「倒幕の志士」達を
次々に斬り捨てたのです。
この事件をキッカケに、長州藩は、京都を奪い返すべく軍を京都に送りこみ、そして
ついに京都御所に突入します。(禁門の変)
迎え討つは、西郷吉之助。 後の西郷隆盛、明治維新のヒーローです。
この禁門の変は、薩摩・会津連合軍の圧勝です。長州勢は敗走します。
幕府軍の追跡から逃げのびた人物こそ、桂小五郎 のちの木戸孝允です。
(桂と西郷は、2年後、坂本竜馬の仲介で、歴史を変えた「薩長同盟」を成立させました。)
長州はとんでもないことになりました。幕府が「長州を討伐する」軍を送ることを
決定しました。(第1次長州征討)
さらに長州に大事件が起こります。四国艦隊下関砲撃事件 です。英米仏蘭の世界
列強4カ国の連合艦隊が、長州を砲撃し、コテンパンにやっつけたのです。
そりゃそうです。
イギリス・アメリカ・フランス・オランダ連合軍 VS 山口県 の戦いなんですから。
(この数ヶ月前に、長州藩は 下関を通過する外国船を手当たり次第攻撃するという
無謀な攘夷行動に出たのですが、その報復を受けたのです。)
ここでエピソードを一つ
ボロ負けの長州は、英米仏蘭4カ国との講和会議にひっぱり出されます。
そして会議で、次の2つが要求されます。
①賠償金を払え ②島をよこせ
この時、長州藩は一人の男に交渉を託します。高杉晋作 です。
高杉は長州藩の家老に扮して、交渉の席につきます。通訳は後の伊藤博文です。
その時、高杉は 英米仏蘭の4カ国代表をア然とさせる奇抜な衣装で登場します
。
(相手側通訳のアーネスト・サトウは、この時の高杉を、『戦に負けたくせに
まるで魔王のように傲慢だった』と日記に書いています。)
①賠償金を払え ⇒「あれは幕府の命令だから、幕府に払わせろ」と言い
②島をよこせ ⇒ 断固拒否 強硬な態度の4カ国代表に対して
「古事記」を10時間ぶっ続けで語り続けます。終わる気配がありません。
4カ国代表団は こう言います。「この話はあとどのくらい続くのか?」
「まだ始まったばかりだ」と返答すると ヘトへトの代表団はこう言ったそうです。
「もういいです。島はいりません。」 <次回に続く>
それは1853年のある事件から始まります。
ペリー来航です。
ペリーは開国をせまります。黒船の圧力により、ついに幕府は開国を決断します。
200年以上続いた鎖国の終了です。
この日から、江戸幕府は崩壊に向かいます。そして「江戸幕府を倒す」
倒幕運動が盛んになります。
この動きに、「新撰組」等、幕府側が目を光らせます。
このような状況の下、
「外国人を打ち払い、天皇中心の国を作ろう」という動きが盛んになります。
尊王攘夷(そんのうじょうい)です。
この中心は長州藩でした。
そして、その中心が吉田松陰の「松下村塾」の門下生でした。
この松下村塾がスゴイんです。
高杉晋作・伊藤博文(初代総理大臣)・山縣有朋(第3代総理大臣)等
日本の歴史をつくった人物が、長州の小さな塾から続々と出ているんです!
一時、長州は京都で主役となりました。攘夷派の公家(三条実美)を味方にしたのです。
この動きに「待った」をかけたのは、薩摩藩と会津藩でした。薩摩藩は長州のライバル
で、会津藩は京都の警備を幕府より命じられていたのです。
薩摩と会津は、天皇を説得し、長州藩を京都から追放しました。(8月18日の政変)
長州は薩摩に激しい憎悪を抱きます。 薩摩と長州の対立は決定的になりました。
1864年 ある事件が長州藩を激怒させます。
「池田屋事件」です。新撰組が京都の池田屋で、長州藩等の「倒幕の志士」達を
次々に斬り捨てたのです。
この事件をキッカケに、長州藩は、京都を奪い返すべく軍を京都に送りこみ、そして
ついに京都御所に突入します。(禁門の変)
迎え討つは、西郷吉之助。 後の西郷隆盛、明治維新のヒーローです。
この禁門の変は、薩摩・会津連合軍の圧勝です。長州勢は敗走します。
幕府軍の追跡から逃げのびた人物こそ、桂小五郎 のちの木戸孝允です。
(桂と西郷は、2年後、坂本竜馬の仲介で、歴史を変えた「薩長同盟」を成立させました。)
長州はとんでもないことになりました。幕府が「長州を討伐する」軍を送ることを
決定しました。(第1次長州征討)
さらに長州に大事件が起こります。四国艦隊下関砲撃事件 です。英米仏蘭の世界
列強4カ国の連合艦隊が、長州を砲撃し、コテンパンにやっつけたのです。
そりゃそうです。
イギリス・アメリカ・フランス・オランダ連合軍 VS 山口県 の戦いなんですから。
(この数ヶ月前に、長州藩は 下関を通過する外国船を手当たり次第攻撃するという
無謀な攘夷行動に出たのですが、その報復を受けたのです。)
ここでエピソードを一つ
ボロ負けの長州は、英米仏蘭4カ国との講和会議にひっぱり出されます。
そして会議で、次の2つが要求されます。
①賠償金を払え ②島をよこせ
この時、長州藩は一人の男に交渉を託します。高杉晋作 です。
高杉は長州藩の家老に扮して、交渉の席につきます。通訳は後の伊藤博文です。
その時、高杉は 英米仏蘭の4カ国代表をア然とさせる奇抜な衣装で登場します
。
(相手側通訳のアーネスト・サトウは、この時の高杉を、『戦に負けたくせに
まるで魔王のように傲慢だった』と日記に書いています。)
①賠償金を払え ⇒「あれは幕府の命令だから、幕府に払わせろ」と言い
②島をよこせ ⇒ 断固拒否 強硬な態度の4カ国代表に対して
「古事記」を10時間ぶっ続けで語り続けます。終わる気配がありません。
4カ国代表団は こう言います。「この話はあとどのくらい続くのか?」
「まだ始まったばかりだ」と返答すると ヘトへトの代表団はこう言ったそうです。
「もういいです。島はいりません。」 <次回に続く>