昨日からの続きです。
我が兄(当ブログでは”だぴょん”とよばれる)は、ケニアから日本に戻ってきて20年くらい経っているから、だいぶ前の話ではあるのだけれど。
ケニア在住時代の話は今思い出してもなかなか面白い。
・コップ1杯の水があれば、頭を洗うことができる。
・少し郊外に行くと道路が舗装されていないからパンクはつきもので、ジャッキを使ったタイヤ交換は出来るようになる。
・夜に出歩くのは危なくて、日本人はお金を持っていると思われる。暴漢数人に胴上げされるみたいに担ぎ上げられて、全てのポケットを漁られたことがある。暗がりに行くと白い目と歯しか見えなくて察知しづらい。お札は靴の中に入れるようにしていた。
・この川は住血吸虫がいるから免疫がない日本人が泳ぐのは危ない。
などなど。
日本で聞いたらえっ??って思う話もよく含まれるが、楽しそうに笑いながらしゃべる。
こんなサバイバル感を感じる環境には耐性があるようで、ケニアには何年か暮らしていた。
むしろ、だぴょんは、日本、そして東京のように人が沢山いて、システマティックに社会が動き、時間や固定概念(当時の日本の)に追われる社会は凄くストレスに感じていたようだった。
なんでそんなことするの、どうしてそうしたの、他の人に迷惑がかかるから(変に思われるから)これはしちゃダメ。
昭和に生まれた子供達は、大人からそのようによく言われていたと思う。だぴょん本人は淡々と受け流していたが、そんな言葉に疑問を感じ、違和感を覚えていたのではないだろうか、と今では思う。
ケニアの生活では、思うように行かないことが多かっただろう。
電気・ガス・水道がない、なんて村もあっただろうし、時間通りに電車やバスが来るのか、手紙や宅急便はちゃんと届くのか、買った商品がちゃんと機能するのか、気になることはいっぱいあったと思う。
そんな社会生活をケニアで送っていたのかなと推測しつつ、
ケセラセラ
生きていくのに細かいことは気にしない。
なるようにしかならないならポジティブに生きる。
そのスタイルが彼には合致していて、心地よく暮らしていたのだろうと(弟の私は)思う。
で、話を本筋に戻します。
そんなケセラセラな兄が、飛行機を乗り継いでケニアから久々に日本に戻るということで、私が成田空港まで車で迎えに行った時のことでした。
「マンゴーフライ」という言葉を彼の口から聞いたのは。
(続く)
今日の植物
観葉植物のような白い葉っぱはジンチョウゲの「信濃錦」です。今年初めて手に入れたジンチョウゲです。
とても白い葉を展開してきたので、こんな葉を持つ植物を地植えしてよいのだろうか?
真夏の猛暑日を生き抜くことができるのだろうか?
と心配になったのですが、いまのところ日焼けせずに生きています(東京で培養しています)。
但し、午後から日陰になるエリア。
クラスペディア・グロボーサを収穫。
ドラムスティックのような外見。
たくさん花をあげて乱れてきたので、切り取りました。
花瓶に挿してみようかと。
こちらは以前に収穫してドライフラワーにしたクラスペディア・グロボーサ。黄色の色は残っています。
太陽マークみたいな花は、エリンジウム・ビッグブルー。ドライフラワーにしたら青い色は褪せてしまいました。
エリンジウム・ビッグブルーの青い色は以下の記事でみることが出来ます。
イワヒバたち
「黄金ノ華」は、日光にお住まいの巻柏仙人様(いわひばせんにんさま)のお棚を訪れた時に、仙人様が妻にくださったものです。その時は4号鉢サイズでした。2010年のことです(そんなに前の話だったのか・・。時が経つのは早いです)。
「夕映」は2012年に2.5号鉢サイズで購入したもの。大きくなったでしょ。
「金晃殿」は先日の栃木支部大交換会の戦利品です。