パーマ屋の近所の2階建ての呉服屋や郵便局、
洋品店の軒先には毎年つばめが巣を作った。
そういう店屋の2階に上げてもらい、
つばめの巣を近くで見せてもらうのも毎年の楽しみの1つだった。
中でも好きだったのが洋服屋の2階のつばめの巣。
洋服屋の2階のつばめを見るときには仏間を通らなければならなかった。
パーマ屋は家の大きさの割には家族が多かったので
仏間などというスペースは無かった。
だからパーマ屋の娘はそのちょっと薄暗い部屋を抜けるだけでワクワクした。
仏間には大きな仏壇が有りいつもみかんや砂糖菓子がたくさん備えられていた。
パーマ屋の娘は祖母がいつもしているように仏壇の前にちょこんと座り
念仏を唱え線香を3本上げたた。
もちろんインチキ念仏だが・・・。
洋服屋の主人は
「家の息子でもそんなことはしないのに」といたく感心してパーマ屋の娘に
お供えをおろしてくれた。
大福、最中、なんとかというカステラでできたお菓子。
いつもは怖い顔のおじさんが 
にっこり笑って頭をなぜてくれるのも 
すごくうれしかった。
それ以来、味を占めたパーマ屋の娘はどこの家にいっても
仏壇の前にちょこんと座ると線香を上げ、手を合わせた。
この手で結構おやつをせしめた記憶がある。
でも、洋服屋に行くのはつばめのシーズンだけだった。
 
 
 パーマ屋の娘の一番古い記憶にある地蔵通りの昔はもちろん歩道などなく、
砂利道で埃っぽい道路だった。
一段高くなった歩道も無かった。
なたって馬車が電柱を運んでポコポコ歩いていた記憶さえある。
そんなだから横断歩道なんてあるわけもなく、
たとえあったとしてもそこまで遠回りして道路をわたるほど
パーマ屋の娘は律儀者でもない。
だから、家から出たら1直線に地蔵通りを横切り道の反対側の
お店屋さんに良く遊びに行った。
こちら側から道路の両方向を交互をにらみながら
車の切れるのを待って勢い良く反対側に走って渡った。
そんなときは必ずだれか近所の店屋の人が
「ハイ、いいよ。今だよ」と声をかけてくれた。
それから 勢いよく道を横切ればセーフ。
 しかし、たった1度だけパーマ屋の娘は交通事故にあったことがある。
いつもどおり通りの向こうの家に遊びに行こうとして通りを渡った。
ちょっとでも早く帽子屋の飼い犬、コロにあいたくて気がせいて
大人に声を掛けてもらうことなく反対側に走った。
そのとき運悪く、月賦屋の佐藤さんが運転するトッラクが
パーマ屋の娘の上を通過してしまった。
キ~とブレーキ音をさせながらトラックは止まり、
近所の人たちがブレーキ音に驚いてぞろぞろ通りに出て来た。 
そんななか
月賦屋の佐藤さんは近所の人が見守る中恐る恐るトラックを降りていった。
「絶対ひいた」
佐藤さんは真っ青に血の気の引いた顔でトラックの下を覗こうとした。
そのときトラックの脇からムクムクとパーマ屋の娘が泣きもせず出てきた。
走ってけつまずいた上にトラックが止まっただけだったらしい。
パーマ屋の娘は膝をさすりながら
向かいの帽子屋の飼い犬コロに会いに行ってしまった。
月賦屋の佐藤さんはほっとしたのとあきれたので
パーマ屋の娘の母親とその場にへたりこんでしまったらしい。
(大きくなったパーマ屋の娘はこの時の事件は全く覚えていない)
パーマ屋の娘が覚えているのは
佐藤さんがお詫びにと持って来たなんだかとても大きなビスケットに
ジャムがのったお菓子がとってもおいしかったことだけ。



3歩目に  続く
東京はJR山の手線の巣鴨駅で降りて北の方向に5~6分歩いた所に旧中山道がある。
ここが最近マスコミなどで良く話題になる「おばあちゃんの原宿」とまでいわれるようになった「巣鴨地蔵通り商店街」


巣鴨入り口



商店街の入り口には餅菓子屋や漬物屋や昆布を商う店が並んでいる。   
山高願寺、通称「とげぬき地蔵」さん(地元の人間の間では「お地蔵さん」)の
参拝した人がお土産を買うのを当て込んで五百円から千円位の手ごろな物が多い。
そんな店の間に挟まる様に年寄り向きの洋服を売る店が何軒もある。
ここにはいつぞや話題になった「モンスラ」なるものが売られいる。
婦人物のスラックスなのだが、紺地にかすり柄とか地味な花柄とかがある。
どこがモンスラ」かというとウエストと足首の所にゴムが入っている。
足首にゴムの入っていないちょっと見スラックスなんていうのもある。
ウエストと下腹のあたり、ふともものあたりがゆったりとしている。
しかも、生地は伸縮性のあるものになっており履き心地はいたってらくちん。
実に良く年寄りの運動パターンを考えて作ってある代物だ。
値段は2980円が一番多い。それほど高い値段の物はない。
そしてその脇には昔ながらのモンペも売られている。
「東京でモンペを堂々と売っている店があるのは巣鴨くらいだよ」と
巣鴨在住のおババ雀はいう。



この土地で生まれ育ったパーマ屋の娘の記憶ではこんな風な、
観光地見たいな土産屋があったりする町並みになったのはつい最近のことだと思う。
三~四年前、よっぽどネタが無かったのかテレビや雑誌で何回も取り上げられた。
クイズ番組のおばさんの部の回答者としてこの町にやってくるおばさん達が
格好のターゲットになている。
テレビを見ていると1日に一回はお地蔵さん参拝のおばさんや
商店街の人が必ず出てくる。
その効果で結構遠い地方の人々がやってくるようになった。
 

始めてその光景を見た日、いったい何がこの町で始まったのかと思った。
それは何だかとても気持ちのいい日にビルの4階にある自分の部屋から
ボーッと通りを見ていると通りの道の向こうから
先頭に小さな旗を立ててやってくる一団が目に止まった。
秋頃、大正大学の学生が学園祭の開催を触れ回るために大きな旗を立てて
列をなして地蔵通りを行進することはあったが
普通の人達が旗を立ててする行進は見たことがなかった。
ガヤガヤとその集団が通りすぎた。
しばらくするとまた、別の集団がやってきた。
「どこかで何かの催しがあるの?」と母に聞いても知らないし、
近所の人もしらないらしい。
うろうろ近所のお店の人となんだかかんだと話していると
家の前の雑貨屋の店長が
「あれね、観光バスで地蔵通りのおしまいの所に乗り付けて
お地蔵さままで歩いて行くんだよ」と教えてくれた。
我が町に何故の観光バス?!
何か変わった店が並ぶわけでもなく、そりゃ確かにお地蔵さんはあるけれど・・・。4のつく日には最近の東京では珍しくなった縁日の市がたつけれど・・・。
それだって、旗を発見した日は普通の木曜日で縁日ではなかった。

バスガイド


 犬を散歩させながらもっと不思議な光景に何度もあった。
にっこり笑った何人かの人達がピースサインを出しながら
記念写真をとっているではないか。
しまいには
「すいません。シャッター押してください」と声をかけられてしまった。
「ハイハイ、もうちょっとよって、よって」などと
指示までしてシャターをおしてあげた。
今までだってアマチュア写真家がカメラをぶらさげて町を
撮っている風景のには何度もあったことがある。
それだって何が珍しいの?としか感じなかったのに、
今や
「チーズ」で、インスタントカメラで、記念写真?!。
もともと、観光地とは言えなかった土地なので、
この土地で生まれ育った者にとっては随分と不思議な光景ではある。
その光景がそこここで見られるのだから思わずポカンとみとっれてしまった。
観光名所なんて案外こんな風にして出来ていくのかもしれない。
今でも日曜日や4日14日24日といった縁日の日でない
普通の日に観光バスを連ねて遣ってきて、
旗を立てたバスガイドさんがおじいさんやおばさあんを引率して遣ってくる。
そして、また、記念撮影大会の始まり始まり。
マスコミの威力恐るべし。


第2歩に続く