K-152 アンティオコス三世胸像 | きょうの石膏像 

K-152 アンティオコス三世胸像


K-152 アンティオコス三世胸像      H.64×W.40×D.33cm (パリ・ルーブル美術館収蔵 ローマ時代の模刻 イタリアより出土)




こちらは、セレウコス朝シリアの王であったアンティオコス3世(紀元前241~187年)の肖像彫刻です 


原作彫刻はローマンコピーの大理石像で、パリのルーブル美術館に収蔵されています



イタリアで発掘されたオリジナルの彫刻はこのように頭部だけで、石膏像に存在している衣服をまとった胸の部分は後世の補足です。現在でも、ルーブル美術館内の展示としては、この写真と同じ体裁で頭部のみ展示されていますので、胸の部分は単に石膏像に仕立てるうえで付加されただけのものなのかもしれません

この石膏像、日本では30年くらい前までは”シーザー”の像ということで販売されていた経緯があるのですが、これは誤りです。但し、フランス側の資料にも、”かつてシーザーと呼ばれていた・・・”というような表示がありますので、考古学的な評価として曖昧だった時期があったようです



さて、アンティオコス3世という人物について・・


時代としては、マケドニア王国のアレキサンダー大王が東征を行い巨大領土を獲得した後のお話になります(紀元前320年頃)

マケドニア王国の貴族として生まれたセレウコス一世は、アレキサンダー大王の東征にヘタイロイ(重装騎兵の戦士団)の一員として参加し、アレキサンダーの死後の領土争いに加わります

バビロニアを拠点としたセレウコス一世は、様々な戦争の後、現在のトルコ~シリア~イラン~イラクに相当する地域をその支配下におさめ、セレウコス朝シリアを確立しました


ファイル:194fkr.JPG
アンティオコス3世の治世時の領土図 水色の部分が即位時の領土範囲、紫色がその後の獲得領土



その後、やや衰退気味であったセレウコス朝を、再度隆盛に導いたのがアンティオコス3世です

彼は再度の領土拡大(一時的にインドの一部に到達した)に成功し、その偉業から、アレキサンダーに習って”大王”と呼ばれるようになりました。
しかし、その後は共和制ローマと対立することとなり、大敗を喫してしまい(紀元前189年)、その後セレウコス朝は衰退してしまいました

File:AntiochosIII.JPG


アンティオコス3世の肖像が刻まれたコイン




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