今回で3回目の橘湾岸320km。
今回は11時スタート組
5時、7時、11時、14時、16時と
後スタートになればなるほど強力なランナーが登場する
『実力制ウェーブスタート方式』
9割ぐらいが5時、7時のスタート。
後スタートになればなるほど制限時間も短くなる。
理由は幾つかありますが
一斉スタートだと320kmもあれば先頭と最後尾との差がものすごく長くなり、運営側のエイドや選手管理が行き届きにくくなるため、選手間の差を幾らかコンパクトにして運営を成り立たせる。
もう一つは
217km地点以降は翌日20時からしかスタートできない
というもの。
幾ら早くついても休んでる間もタイムは加算されますし、4時間も5時間も足止めされるのも次再開するにあたって身体中がカチコチ固まってしまったりして…現に待ち過ぎてリタイアされたかたも過去にはいらっしゃる
やはり各選手の実力や走力に応じたスタートは運営側も考慮するが、選手側もそこを踏まえて考える必要あります。
320km、さらっと語ります
11時に長崎市の出島表門橋前スタート
11時組は4名。
いきなり7km先の標高333m稲佐山展望台まで行き、当然上りは歩き
ただこの区間を51分、過去自己最速で通過
長崎市内に降りて時津方面に、そして32km鳴見ダム、38km畝刈も無事通過
45kmあぐりの丘に同じチームの方々が公式ボラに入ってて、しかも同じチームなのに久々に会うかたもいて、つい少し長居してしまう。
でもこれも大事♪
65km女神大橋で7時間30分超え。
E217km部門、今回H320km部門通して過去最速到達!
これには理由がある。
一つは正規スタート7時だが、今回は11時レイトスタートなので4時間差を埋めるべく今まで以上に仕上げてきたつもり。
もう一つは真昼間の11時スタート。
スタートこそ、この時期にしては暑い時間帯だったが序盤稲佐山なんて結構歩くし、その後は長崎市内まで下り、時津〜畝刈15km間ぐらいは木々の中通るので暑さも和らぐ。
陽があたる45kmあぐりの丘来る頃にはもう16時なので暑さ自体も収まるほうになってる。
いつの間にか暑い時間帯を過ぎちゃってるし、11時スタート走りやすいなというね。
かえって5時、7時スタートの皆さんの方が我々よりも活動時間も多いし、5〜7時間既に経過した中で真昼間に陽が直で当たるエリアを走られてるので暑さに苦しんだと思うし熱中症や脱水症のかた、2日目、3日目に1日目のダメージが残ったかたもいらっしゃった。
今回初めて真昼間スタートの橘湾岸だったが、スタートが早ければ早いほど完走にはかなり有利だけど、
橘湾岸に限ってはレイトスタートもアーリーにはない「ささやかなメリット」があるんだなと知った。
65km女神大橋で18時半過ぎ、もう辺りは真っ暗。
女神大橋エイドで着座休憩してふと自分のふくらはぎに手をやると
『ザラッ🧂』と感
ふくらはぎに塩!
塩分摂取はしていたが想定以上に汗をかいていたことを知る。
辺りは暗いしそんなに暑くもないが、体内塩分が少なくなってるのは明らかで2日目、3日目もあるので塩分摂取を適切な量をこまめに摂ることにする。
女神大橋〜江川交差点から伊王島方面へ
伊王島方面へ進んでいると何やら向かってくるヘッデン付けたランナーが!
しかもゼッケン付けて???
明らかに変だ!?!?
どうやら伊王島一周終えた5時か7時のランナーさんが、本来なら蚊焼漁港を目指さないといけないはずがそのまま来た道を戻ってきてしまったらしい。
その方に地図で現在地、そして行くべき道を教えて途中まで一緒に走り、そしてお別れしました。
そのかたは最終的に無事320km完走されました!(よかったー!)
伊王島方面へ再度スタート。
その頃には伊王島一周終えられた方々と次々にすれ違い挨拶しながら。
伊王島に入る前の75km伊王島トンネルにて
自分より6時間前にスタートした
『大切な仲間』とすれ違う。
どうやら昼間の熱中症の影響で走るのもままならない状態。
『これはイカン!』
とその仲間に追いつくためにここから後先考えないハイペースで行くことにする。
109km恐竜体育館エイドで追いついたが、およそ4時間で35kmのハイペースラン!
まーキツかった、、、
その仲間と合流し、121km樺島公民館までひたすら歩き、その後また1人旅ランに戻る。
およそ12km計4時間半もお付き合いしていたことになる
樺島灯台で朝の5時、、、
予定では遅くても4時に通過してないとヤバい算段だったので
またここからランペースを上げる
上げる言っても35km間で走ったハイペースと歩きまくった代償で既に脚の疲労がきていたので多少のペースアップに留まる。
ポジティビアン氏か
「ハイパー320kmでインターバル走敢行」とツッコミ入れてましたが、
本当にそうでしたよね。笑
相当負担になりましたもん。
でもそれはあの状況なら仕方あるまい。
『見捨てる後悔』のほうが後々ずっと残るだろうし、それならば後悔しない選択したまで。
これ、幸いだったのが大会通して胃腸障害がほぼ無かったこと。
もちろん対策が良かったのもあるが、仮に何処かで発症していたらかなり危なかっただろうなあ。