茨城県の昔話
昔話①
『昔々の春、15メートルの巨人の亡骸が常陸国(茨城県)の浜に流れ着いた。大騒ぎ。役人が
駆けつけて唖然「こんな大きな人々が海の向こうから攻めてきたら、どう防いだら
よいのだろう・・・」』 今昔物語(平安時代末に成立)より
あんこう汁でウドン(2024年撮影)
前回、前々回に続いて今月に茨城県を訪ねた際の写真(いくつか昨年の写真もあります)を
茨城県の昔話を添えて投稿します。
『殿様がある村で夜を明かすことになった。殿様は「ローソクを点けてくれぬか」とお手伝いに
来ていた村人に言った。「はい」と村人は下がったが長いこと戻らない。やっと現われたが
手ぶら。 殿様「ローソクは?」 村人「塩をまぶして樽に漬けてきました」』
日本の民話・茨城編(未来社・1980年第4刷発行)より
『風土記(一)常陸国風土記』秋本吉徳・編
講談社学術文庫
鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線・大洗駅ホームから
昔話③
『昔、乙女と若者がいた。神祭りの夜に初めて会った。
若者が「木綿をつけた松を振りながら舞う姿がみえるよ」と呼ぶと、
乙女は「あなたは多くの女たちから私を見つけてくれたのね」と応えて惹かれ合った。
思慕を燃やしながら語り合う内に朝になった。二人は松の木になって永劫に寄り添った』
常陸国風土記(奈良時代の721年成立)より
昔話④
『昔、天竺(インド)にある姫がいた。母が他界して父は再婚、姫は継母に疎まれた。継母は
姫を、うつぼ舟に押し込み海に流した。
(うつぼ舟・切り倒した大木の中をくり抜いてフタと目張りをした舟)
うつぼ舟は常陸国(現・茨城県)の浜へ流れ着いた。それを権太夫という漁師が見つけて中を
探るとぐったりした姫がいた。姫は権太夫一家の介抱で持ち直して経緯を話したがまもなく
亡くなった。権太夫は姫を庭に葬った。しばらくして、庭から見慣れぬ木が生えてきて青葉を
つけた。青葉を虫が食べて繭を作った。木は桑、虫は蚕だった』
日本の民話・茨城編(未来社・1980年第4刷発行)より
昔話⑤
『昔、利根川での話。娘と大きな樽を担いだお爺さんがやってきて、船頭に頼んだ。
「某舟問屋までこの樽と手紙を届けてください』と小判を2枚渡した。
「樽の中は決して見ないでください」と続けた。船頭は了解した。娘とお爺さんは去った。
船頭は舟を出した。樽と手紙が気になる船頭、樽を開けて手紙を読んだ。
樽には玉が詰まっていた。手紙には
河童の親分へ。今年の分を納めます。最近の人間どもは用心しているので
尻子玉(人の架空の臓器で河童が好む)は99しか獲れませんでした。
足りないひとつはこの船頭のそれでお願いします
船頭はビックリ仰天、樽を川に捨てた。小判を確認すると小石だった』取手市公式HPより
関東鉄道・常総線。南守屋駅で(2024年撮影)
昔話⑥
『海岸に祠があった。男が中に入って奥へ進んだ。美しい女が機を織っていた。男はもてなしを
うけてお土産をもらった。女は「ここのことは他言無用」と男に言った。
しかし男は村に戻ると仲間に話した。
男は仲間と二人で再び祠へ入ったが村に戻ってこなかった。祠の入口は崩れて塞がっていた』
以下も似た話。
昔話⑦
『殿様が沿岸で舟をうかべて釣を楽しんでいた。家来が、誤って殿様の刀を川の中に落として
しまった。潜水が達者な漁師が刀を探そうともぐった。もぐっていくうちに、
海底に光が見えた。竜宮城だった。漁師はそこでもてなしをうけた。
「お探しの刀はお返しいたします。その代り、ここでのことは話さないでください」と
口止めをされて漁師は帰された。漁師は仲間に海底での出来事を話した。
漁師は漁に出たまま戻らなかった』
ふるさとの昔ばなし・染谷 萬千子 茨城いすゞ自動車・2000
『日高屋』さん取手店・野菜モツラーメンと
餃子と半チャーハンのセット(2024年撮影)
長禅寺(2024年撮影)
『長禅寺』 平将門公が平安後期931年に建立。御本尊は地蔵菩薩。
千波湖畔で
大串貝塚ふれあい公園で
日本各地に伝わる巨人はダイタラボッチ・デイダラボッチ・ダイダラ坊など呼称は様々。
8世紀の奈良時代に成立した『常陸国風土記』には
『昔、常陸国(茨城県)に大男がいた。丘にいながら手を伸ばして浜で貝を獲って食べた。その
貝殻は山のように積もった(現・大串貝塚)。大男の足跡は長さ40歩・幅20歩』とある。
昔話⑧千波湖とダイダラ坊の伝説
『昔々、ダイダラ坊という巨人がいた。ある村の南に大きな山があった。村人はいつも日陰で
かわいそうだ、と巨人は山を引き抜いて移動させた。山の跡に窪地ができた。
大雨が降って窪地に溜まった水があふれて村は水害にみまわれた。
巨人は指で窪地から低地へなぞった。溝ができて水を排し水害がおさまった。
水が流れる先に巨人は穴を掘って貯めた。それが現在の千波湖、移動させた山は朝房山と
伝わる』
『昔々、巨人がいた。「富士山と筑波山はどっちが重いのかな?」と二つの山を天秤に乗せて
持ち上げてみた。縄が切れて山は落ちた。筑波山はその時に二つに割れた』
面白かった。巨人伝説が基の物語。
『吉原殿中』あられを糖蜜ときな粉で包んだ、
幕末から続く水戸の銘菓
『紫錦梅(しきんばい)』
幕末に斉昭公が作らせた調味料
青梅を叩き、その果肉を紫蘇の葉で漬けたもの
都内池袋あたりで縄文時代は牡蠣の養殖をしていた形跡が、の記事を昔に読んだことがある。
縄文期(約3000年前まで)の一時期、海岸線は現在より内陸に(縄文海進6000年前)。
縄文海進当時、海辺の人たちが食べた海産物のゴミ(貝塚)は、海岸線が後退したずっと後年に
発見されて、「海から遠いのに、なぜ貝殻の山が? 巨人? 巨人が山に腰をかけて浜へ手を
伸ばして海の物を獲っていたのかも?」 大昔の人々のそんな想像が巨人伝説の始まり。
それがあちこちに伝播して、それぞれの風土に沿った類似話が形成されて、昔話・伝説になる。
そんなことを学生時代に教わった。もちろん、昔々は巨人がいたファンタジーも楽しい。
おまけ
スーパーの駅弁フェアで買った
兵庫明石のひっぱりだこ飯
お気に入りの、黒トリュフのポテチ
JR東日本・NewDays九州沖縄フェア


























