民族戦線@なお
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名古屋はアツいぞ!

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長い道のりでした…


ついに今夜、愛知県は瀬戸のとあるガレージに車両をぶち込みに行ってまいります!


二週間後は見事な特殊車両になっていることでありましょう(笑)



ちなみに画像は昨日栄にて、地元名古屋の名門、東海憂国者連合・愛国櫻會の停止街宣終了後の1コマです。


名古屋をナメんなよ!(笑)

赤誠時報

「私は反共産主義でもなく反資本主義でもない。強いて言えば非資本主義者であり、非共産主義者であり、一層適切に言えば非主義者である。
私は一切の『主義』なるものを奉じない。およそいかなる思想でも、主義としてこれを固執すれば、必ず世に害毒を流すようになる。主義とは人間の生活内容を統一するに適せる立場のことである。
人生は不断に流動して息(や)むことを知らない。従って統一に適する立場も、また時により場合に応じて変わらざるを得ない。事ある時は軍国主義、事なき時は平和主義、国貧しければ産業主義、国豊かなれば文化主義、総じて個人又は国民がそれぞれの立場に応じて取捨する立場である。
然るに、それらの立場の一つだけを万古不易の真理なるかのように主張して自余一切の立場を排撃することは、頭脳のはたらきが器械的であること、また我執の強いことから起こる。それ故に主義の標榜は常に一種の挑戦である。」
(大川周明「天照開闢の道」より)


先日の福田の所信表明演説しかり、戦後体制の象徴、自民党をはじめ「保守」「革新」を標榜する与野党既成政党による、その小手先の修正的弥縫策ではもはや何ら邦家救済の根本的解決策を提示し得ないことが明白となった現在に於いて、右であれ左であれ、日本人である限り、日本を、ナショナリズムを考えざるを得ない状況となって久しい。

たしかに今までは考えなくとも済んだ時代もあったのは情けないことではあるが事実である。
我々いわゆる民族派の主張が受け入れられなかった時代があったのもそのせいである。
「現に日本は平和ではないか」「これも日本に平和憲法があるからだ」という大義名分がホントらしく見えてきたからである。
我々の運動がやりづらく、我々の主張に耳を傾ける人々も決して多くはなかったのも事実かもしれない。

しかしこれからは違う。我々の言っていることが、何も過激でも軍国主義的でもなく、きわめて「常識」的なことだと分かってきつつある。へたをすれば左の方からそうしたことを言い出してくる状況にもなった。
我々の主張が聞かれるということは、それだけ責任を負わされるということでもあろう。言いっぱなしはもはや許されない。ましてや一般の国民サイドから見るならば、保守も革新も信じられなくなった今日、潜在的には、より強い、より行動力のある、そして民族的な哲学をもった政治勢力の台頭を希求しているのである。

「民族主義の時代」とは、我々の思想と同時に運動の姿勢が問われる時代になるということであるとともに、「平成の大政翼賛会」への道に連動する軽薄な「右傾化」を厳しく監視し、いわゆる「革新勢力」と同根の自民党の対米従属的な改憲論防衛論を打破し

民族の不変精神


への回帰を急務としなければならない時代のことである。
冒頭に引用させていただいた如く、不変精神ゆえに「主義」という語を用いることに関して違和感を禁じ得ないのも確かではある。


故に今、我々は理論的綱領的一致によってではなく、心情的行動的一致によってもたらされる同志的団結により打って一丸となり攻勢に転ずべきである。
そして日本の明日を照破する国家改造の青写真を提示し、国民の信を問う秋(とき)が来たということではなかろうか。


右翼、左翼をも超える「民族主義」
不変の精神、史観の下、民族戦線の構築と連帯により常に創造的姿勢を保持しつつ、その創造を阻害するあらゆる権力支配に対決しその破壊の為に行動していこう!


「自民党をぶっ壊す」のは小泉でも、ましてや安倍でもない

折々雑感

先日、お世話になっております団体の大型街宣車に同乗させていただく機会があったんですが、


ぃや~~実にいい!(笑)大型は乗ってる分には非常に楽です。まさにVIP!観光バスクラスの大型街宣車に乗ったのは初めての経験でしたので若干はしゃいでしまいました(o^_^o)


しかし、それと同時に思ったのは、この大型街宣車で抗議行動なりデモなりに赴いた場合、中にいるとまず外の景色が見えず、その結果外の緊迫感、緊張感から疎外されてしまうんじゃ~ないかな~と。。。


まぁこれはあくまでボクの個人的な考えですし、大型街宣車を駆使しての運動を否定するワケではございません。


ただ、思うのは、こうした外界と遮断された大型街宣車内から拡声器を通してシュプレヒコールなり主張なりを訴えるのと、徒歩行進に顕著なように生身の自分を外界に晒して主張なり抗議の声を挙げるのとではやはり運動をする際に感じる臨場感とゆうか、当事者感が全く違うのではないかと思うのです


六十年安保、七十年安保時には左右両陣営とも今みたいな大型街宣車の保有率は少なかったはずですが、連日生身のデモ隊が国会を取り囲み、それこそ「政治の嵐」が吹き荒れていたワケですよね?


「そりゃ~今と昔じゃ政治情勢も違うから…」


と、仰る方もおられるやもしれませんが、果たしてそうなんでしょうかね?


戦後六十二年、いわゆる「東西冷戦」なるものは事実上集結はしましたが、未だ世界を支配するYP体制とその縮図たる国内版YP体制・戦後体制は厳然として存在しているワケですよ


それが証拠に、戦後の日本に於ける、憲法問題、安全保障、領土問題、教育問題、日本人拉致、歴史認識問題……これら戦後日本弱体化の因を成す問題に対して、ひとつとして完全解決したものがありますか?


残念ながら無いんですね

その原因を大型街宣車での運動と直接結びつける気は毛頭ありませんが、やはり運動の形態も大きく変わる時期にとうに来ていると感じるのも事実です


まぁワタクシの個人的な趣味の範囲内での意見であるならば、街宣車は大きければ大きいほど、イカツければイカツいほど萌え萌えなワケなんですが(笑)やはりワタクシの本分としては「右翼オタク」でもなければ、「街宣車マニア」でもございません

曲がりなりにも組織に所属もさせていただき、曲がりなりにも、いち「戦闘者」(のハシクレ)として、微力を承知の上で、ただ単に
「本気で現在の日本を変えていきたい!」
と、願う大馬鹿ヤローでございますから、それゆえ、意識するとしないとにかかわらずこうした時代の閉塞状況を作り上げて来てしまった右翼陣営にも責任は大いにあるとも思うのです。。。もちろん自戒の意味も込めてですが


先日の自民党総裁選にしても、アイコラ写真じゃあるまいしトップの首のすげ替えに、「あ~でもないこ~でもない」と毎度のことながら侃々諤々して結局何らの救国策をも打ち出し得ない、戦後体制の延命、強化に終始するポツダム政府が好むと好まざるにかかわらず我が国の舵取りを続ける以上、我々民族派の存在意義は決して小さいもんじゃない、それと同時に今後の運動に対する我々の姿勢が問われることも覚悟すべきではないかと。。。


「反共右翼からの脱却」などと叫ばれて久しいが、これはもう大前提のことであって、真剣に邦家救済のためのアクションを起こそうとするならば我々はそれを一歩どころか二歩も三歩も抜きん出る、それこそ「右翼」という言葉を敢えて用いるならば「新右翼」ならぬ「新新新右翼」と称されるぐらいのスタンスを確立すべきではないのか?!


もとより右翼は民族の前衛、触覚である。


我ら民族派、民族の前衛であることを大いに自覚し、旧態にとらわれることなく、あらゆる角度から思想戦争を展開しようじゃないの!!


少なくとも、我々が生きている間に達成出来ないかもしれない大事業ではありますが、これぞまさしく浪漫!


たやすく達成出来ちまうような目標に一生を賭けるような人間にゃ死んでもならねーぞ!(笑)
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