生方幸夫 前衆議院議員のブログを転載します。

【安倍さんの歴史観は、過去に目を閉ざす者の歴史観だ】

一昨日、安倍総理の戦後70年談話が出されました。
 
 そもそも、どうして総理が談話を出すのかその意味が分かりません。確かに戦後50年には村山談話が、そして60年には小泉談話が出されましたが、それ以前に別に戦後10年ごとに談話が出されてきた訳ではありません。
 
 まして、安倍さんは歴代総理の談話を継承すると言っているのですから、それに付け加える何かがない限り、談話をだす必要がそもそもありません。
 
 これだけ物議をかもしながら、出すのですから安倍さんなりに、どうしても出したい理由があったに違いありません。
 
 安倍さんが最も政治的に主張したいことはご承知の通り、「戦後レジームからの脱却」です。これを言いたいための談話だということです。
 
 では、談話の中に、どう戦後レジームからの脱却が述べられているのでしょうか。
 
 まず、歴史認識を述べた部分で、安倍さんは日露戦争について「植民地支配のもとにあった多くのアジア、アフリカの人々を勇気づけた」と述べています。確かにインドなど一部の国に、そうした反応があったことは事実ですが、日露戦争の実態は欧米諸国に遅れないように、日本も植民地を手に入れなければというのが本音です。
 
 勇気づけたとだけ述べているところに安倍さんの考えがあります。
 
 また、アジア侵略を拡大していった原因について、欧米諸国が「経済ブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受け、日本は行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた」と、日本が自ら侵略や戦争に突き進んだのではなく、欧米の圧力に抗するために、やむを得ず戦争をしたという認識を示しています。
 
 さら私が重要だと思うのは、日本が「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていったという部分です。挑戦者とは、普通、チャレンジャーという、いい意味の使い方をされています。

 本来は国際秩序を破壊したと反省するべきところを、挑戦者という肯定的な言葉を使うことによって、軍部の独走によって戦争に走った日本を、安倍さん流に美化したと私は思っています。
 
 つまり、安倍さんの歴史観は先の戦争は欧米に対抗するために、挑戦者として行ったことであり、侵略という積極的な意図はなかったというものです。そうした認識をもつことが戦後レジームからの脱却だと安倍さんはこの談話に込めたのだと思います。
 
 だから、後半部分の、次世代の子供たちに「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」、という結論に成るわけです。
 
 「過去に目を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目になる」という西ドイツのヴァイツゼッカー大統領(当時)の言葉をきちっと噛みしめるべきではないでしょうか。
 
 焦点となった反省やお詫びの言葉は確かに談話の中に入っていましたが、肝心の主語がありません。総理大臣としての安倍さんが、反省をし、お詫びをしなければ談話の意味がありません。これでは、アジアの人たちは本当は納得しないはずです。